kazuo kawasaki's official blog

『資本主義からの逃走』
  「資本主義、その「不景気」とは疾病にすぎない」


   


     11月 30th, 2009  Posted 6:00 AM

「景気」という言葉に資本主義は揺れ動かされています。
そして、「不景気」というのは、
元来、医学術語=depressionを借用したことばです。
depressionとは「鬱病」のことです。
資本主義経済の鬱病的な社会生理、
社会的な疾病をそのまま借用しているのです。
したがって、社会的な鬱病的な疾病ですから、
次のようなことが起こっています。
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そして、「資本主義の経済論」全てが、
医学的な「鬱病」と、経済社会的な「不景気」の対比と、
その疾病対策は皆無です。
だから、「不景気論」や「景気対策」は「景気循環論」に
陥ってきたと、私は判断しています。
まして、ほとんどの経営者が少なからず、「経済学」や、
「景気対策論」を学んだとしても、それは、「応答」です。
決して、「回答」にも「解答」にもなりません。
なぜなら、
言葉の医学的な由来である「鬱病」そのものが不明です。
「鬱病」患者を臨床的あるいは根知的な治療方法という
問題解決」ができていないわけですから、
「解答」は、ありえないというのが、一つの仮説でしょう。
私は、デザイナーとして、
「景気循環論」や「景気と不景気のサイクル論」という
経済学的な手法や、金融学的な手法などは、
まったく、信用していません。
この社会的、経済的な「不景気という疾病」には、
まず、

● 臨床的な治療としてのデザイン「回答」と
● 根知的な治療としてのデザイン「解答」を
  準備し、提示しています。

さらに、経済的・社会的な医学生理的なアナロジーを
● 社会・経済の保健予防としての様々な「応答」が
  大事ではないかと考えています。

この見方を、野性的に、経験的に見抜けない、
企業とその経営者は「不景気」から抜け出すことは
まったく不可能であることは間違いありません。
私のデザイナーとしての経験です。


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『資本主義からの逃走』
 「非情なる資本主義には、ベクトルがある」


   


     11月 27th, 2009  Posted 3:00 PM

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経営者が、資本主義の細密を知ろうとしたいのは、
一般的には、悲しいかな「損益数値」だけです。
その価値感では、命すら奪われるのです。

本来、資本主義が「社会構築のために勤勉性や倫理性」を
なぜ、根幹にしていたかを、
常に自問している経営者に会うことは滅多にありません。
経営者自身の勤勉性は、「数値評価とその判断」だけです。
このような、経営者の資質には、
「文化性と社会的使命性」を同次元で体現しようという
人格性・品性を備えた人物に
私の経験の中では出逢うことは滅多にありませんでした。
「品格」を定義しているのは、谷崎潤一郎しかいません。

文章読本」に書かれていますが、時代性ではややズレがあります。
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いづれ解説しておかなけけらばらないと考えています。

さて、資本主義には、
「無情さ+非情さ=冷酷さ」が完備しています。
この方程式は資本主義のベクトルです。
そして、このベクトルが常に狙いを定めているのは、
「資本主義への献身性」の有無だけです。
この「献身性」が、「応答」でしか発揮できない経営者は、
このベクトルで射抜かれることになります。殺されるのです。

私は、デザインをベクトルという武器にしています。
すなわち、
このベクトルは、防御と攻撃が出来る明らかに武器です。
「資本主義の非情さ」を攻撃したり、
あるいは、
「非情化されてきた資本主義」を防御・防衛するものです。
だから、「デザイン」は企業経営では不可欠なのです。
そのことが結局分からなかった経営者は、
自身の企業と共に共倒れ、企業倒産していきます。
デザインベクトルは、
「文化性と倫理性」を表現している「美」が、
その企業、経営者に「理解できますか?」と、
常に「応答」ではなく、
「回答」と「解答」できる資質から、経営者たる才能を、
常に求め、検証されているです。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義の冷酷さ、
  企業倒産をデザインから傍観する」


   


     11月 26th, 2009  Posted 3:00 PM

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資本主義の「冷酷さ」は、当然、マルクスはじめ、
マルキストたちが指摘してきました。
だから、共産主義、社会主義というのも、
すでに無理があったことは歴然としています。

私は、デザイナーとして、
「企業倒産」、「会社更生法適用」、「上場取り消し」を、
本当に間近で、かなり見てきました。
もちろん、それを予知したり、予測できる要素を
見いだしたりということは才能だとも自負します。
デザイナーとしての大きな「経験値」になっています。
「直感」=「第六感」もあります。
この企業、危ないな・・・?!
パートナーあるいはコンサルタントを引き受けるのは
お断りしよう!!!!!
そして、そうした予測をした企業は、
必ず「倒産」や「会社更生法適用」に至るのです。

大きな要素は、三つあります。
まず、「経営者の資質や思想」です。
次に、「資本主義における景気観の読み違え」。
最後が、「デザインを見下げている企業環境」でした。

私は、いづれ、私が体験してきたことを書き残そうと
思ってきましたが、
やはり、もう書き始めた方がいいと判断しました。
なぜなら、「デフレーション」・「デフレ・スパイラル」に、
現在の日本経済はこうなるだろうと、
私の予測は、予知ではなく的中しているからです。
最近のベストセラーに「イノベーションのジレンマ」
という経済と企業の予測本があります。
私は、この指摘はまだ「資本主義を前提」にした発想に、
経済学者の脆弱性を読み取っています。
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それは、「イノベーション」とは「景気循環論」
あるいは、「革新」という動機付けで「景気説」で、
その論理が終結的になっていて、
単なる「イノベーション」という
「話題」への「応答」説でしかないからです。
それは、
「イノベーション」を「課題」・「問題」ではないからです。
すなわち、
イノベーションでの「景気循環論」への
「回答」も「解答」も経済の論理では生み出せないのです。
イノベーションへの「解答」は「回答」を経て、
「デザイン」が明確化できると私は経験から考えています。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義から離脱してきたデザイン」


   


     11月 26th, 2009  Posted 8:00 AM

私は金沢美術工芸大学の出身です。
「産業美術学科・工業デザイン専攻」でした。
明らかに、
産業=資本主義への献身性への教育です。
「インダストリアリズム」=工業下意識主義を
下敷きに「デザイン」を学びました。
しかし、決して、
産業美術的な教育を受けたわけではありませんでした。
それが、大きな財産となっています。
常に、「トレーニング=身体性でのデザイン技術」の
習得と「理想主義としてのデザイン美」でした。
いわゆる実技は、「平野門下生」として、
徹底的に「身体化」されてきました。

●デザインストローク
●スタイライゼーション
●フィッシュボーンプランニング
●ジョイントワーク
●ファスニングシステム
●レタリング

自作モデリング、がほとんど「平野門下生」が、
基礎・基本としてマスターさせられました。
したがって、
本当に「造形デザインが出来るデザイナー」は、
こうしたトレーニングを身体化できた連中だけです。
日本の少なからず、産業デザインで、
「商品デザインの造形」は、このトレーニングを
受けた者だけ、というのが私の持論です。
しかし、
インダストリアリズムの終焉とともに、
「デザイン職能」は、時代的に大きく変貌しています。
私は、産業デザインとは、
「欲望の刺激装置」と言ってきました。
つまり、「欲しくさせる装置を仕組むデザイン」です。

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「インダストリアリズムの終焉」という副題で、
私は「プラトンのオルゴール」という著作と、
展覧会をしました。
1994年のことです。

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1994年・ギャラリー「間」での「プラトンのオルゴール」個展

2006年、この個展でのインスタレーションは、
「作品」・「スケッチ」・「展示計画」が、
金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。

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2006年の永久収蔵から2008年一時常設展

1996年、名古屋市立大学芸術工学部が新設。
この芸術工学部では、
「産業」を「健康」の基盤にする「デザイン」でした。
89年・ベルリンの壁崩壊。
91年・ソビエト崩壊。
こうした時代変遷の予測は、
私はすでに、美大で「産業美術学科」でありながら、
柳宗理先生、平野拓夫先生
平野先生は最初の国費デザイン留学生であり、
Gマーク制度創設者の一人によって、
「身体的に」たたき込まれていたと考えます。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国には、諦観からの希望がある!」


   


     11月 25th, 2009  Posted 3:00 AM

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「諦観」とは、resignだと私は経験してきました。
諦めて生きること。
これはリハビリテーションの原理だと知ったのは、
車いすを余儀なくされ、
米国のリハビリ・トレーニング原書の
最初の書き出しで知ったのです。
とても大きなショックでした。体が震えました。
怖かったです。
これからリハビリで、元のような生活になるんだ!って。
この意気込みは、一遍に消失しました。
ところが、「諦めて生きる」というのは、
もう、歩けなくなった自分ではないけれど、
歩けない代わりに、もっと歩けていた以上に自分を修練し、
残された機能を鍛錬するということがresignだと、
米国のリハビリテーションの本に書かれていたのです。

まさしく、これは日本の仏教的思想の「諦観」でした。
以来、私は常に「諦観」の思想と論理を、
自分自身に言い聞かせて、車いすで生きてきました。
「神の国」には「諦観思想」があります。
米国にも同様にあるのです。
「あきらめる」=give up と言うのと、
「諦める」=resignとの大きな差異です。
私たちは自分本位であることに、
何らかの決着=諦観が、絶対に必要なのです。
「諦観」を心底にすれば、
それこそ、「神の国」には、右翼も左翼も、部落差別も、
どんなタブーすら「諦観」で全て融解してしまいます。
そして、
「諦観」が希求しているのは、
実は「希望」です。
今日本の国「神の国」の子供たちがほとんど知っています。

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司馬遼太郎氏の上記の一節です。
21世紀を生きる子供たちに、彼の「希望」があります。
果たして、21世紀に生きる大人は、
彼と子供たちの「希望」を
次世代に準備できるのでしょうか。
改めて、「諦観」からの「希望」で、
「神の国」に生を受けて存在している「使命」を、
自分自身に問い直していく日常こそ、
「諦観」と「希望」の狭間での私たちの「義務」であり、
その「義務」を果たさずして、
勝手極まりなく「権利」を求めることは、
人格を犯罪にしていると、私は考えています。
「神の国」の住人は、「諦観」が「希望」を創出するのです。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国は、アジアを開放したということ。」


   


     11月 24th, 2009  Posted 8:00 AM

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「明号作戦」というのが終戦間際に決行されました。
第二次世界大戦で戦後わが国は誹謗中傷を受けています。
それこそ、敗戦となった報復は
日本国内の左翼系、マスコミの一部ですら、
平然と「戦死者」への鎮魂も無く罵詈雑言です。
「靖国問題」・「教科書問題」・「慰安婦問題」、そして、
でっちあげられた「南京大虐殺」にまで及びます。
私は、こうした問題に、より知的・冷徹・平衡感覚的に、
実情を遡及すべきことが、
基本的な「愛国心」の基礎ではないかと考えてきました。

しかし、
「愛国心」・「部落差別」・「新興宗教」・「国歌」などを
戦後はすっかり、「タブー」としてきた教育には、
本来の教育思想への大きな裏切りを私は認めざるをえません。
「日華事変」と「大東亜戦争」との差異性を語った講義すら、
私は一部から「忠告」まで受けたのです。
「思想教育など行うべきではない」と。

この歴史観が私的に語られることを「思想教育」という大学人、
私はそうした連中を日本人とは思わないことにしています。
そういう大学人をいづれ論理的にも、制度的にも、
日本人学者であることの資格は剥奪すべきだと思います。

「明号」作戦は、
インドシナを欧州各国からの独立を支援しました。
そこにあった「基盤思想」は、
アジア小国それぞれの解放と独立でした。
あの敗戦間際での日本軍が果たした功績は、
決して公認もされず無視であり歴史史実は皆無です。
それどころか、明号作戦を指揮した人々は、
戦犯として絞首刑された日本軍の幹部将校たちでした。
彼らは靖国に帰国しているのです。
彼らの「アジア小国の開放」功績は、
日本の歴史には明晰に書き残し、
語り継ぐべきだと私は主張しておきます。

なぜなら、欧米宗教で押しつけられた「資本主義」、
日本人自らも「資本主義」を選んだ賢明さを、
私は、間違いでは決してなかったと確信しています。
しかし、そろそろ、
あの「明号作戦」の根底の理想主義を読み返すべき、
そんな時代に入っていると思っています。
アジアの小国、その真なる独立はまだ虚構かもしれません。


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『資本主義からの逃走』
 
*なぜ「神の国」を、
それは資本主義・日本の骨子だからです*


   


     11月 22nd, 2009  Posted 9:00 PM

「資本主義からの逃走」を書き始めたのは、
日本人として、デザイナーとして、
さらに、大学人としての日本への「想い」からです。
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確かに、
「神の国」というからには、
そこには、教義・天皇制・右翼的発想・敗戦国家論、
ややもすれば、反米感情、左翼否定論などが、
表現となり、読者諸兄は、川崎和男の過激性のみを
「やはりか・・・」と納得されたりされていると思います。
そして、
川崎発言への反感・反撃姿勢を買うことは
十二分に承知しています。
あるいは
きわめて右翼側や国体制での合都合性を叶えています。

しかし、
私の本意は、このようなレベルに、
このブログ発言を書き述べているわけではありません。
「資本主義から逃走しなければならないのです!」
「民主主義へも懐疑心を持つ必然の時期にあるのです!」
結果は、明前です。
それは、私がデザイナーであり、
「デザイン」という「理想主義」で、
具体的に、Peace-Keeping Design=PKD
Bottom of the Pyramid=BOP-Businessで、
日本の産業構造・制度設計・文化体制を変革したいからに
他なりません。
そのためには、すでに忘却していたり、
無評価である近代史、
少なからず、江戸後期から明治維新、戦中・戦後、
そして現代を、
整理する視座を私の視界でとらえておきたいからです。
それが、「理想主義者であるデザイナーの職能思想」です。

たとえば、ささやかなことであっても、
多少、(自慢げに)書き残します。
一昨日、福山市で久々に、建築職能の方々に、
講演会を開催していただきました。
20年前、福山市は、
当時一番日本で「地方活性化のデザイン会議」が活発でした。
その会議で発言した、同世代のデザイナーはほぼ、
今や、デザイン系大学で大学人になっています。
また、
PowerPointというプレゼンテーションソフトは、
私がMacintosh SE(SE/30の前機種)に回路を組み込み、
透明液晶のオーバーヘッドで投影した、
おそらく世界で最初にプレゼンテーションをした所です。
先般はスタッフブログで紹介した3画面を使用しました。
16:9でKeynote、
これもNeXTSTEPでのLight Showから
進化しているツールです。
私は、こうしたささやかなコンテクスト活動の
集大成から、「デザインが世界・日本を変える」ことを
発言していきたいのです。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・二つの公案を」


   


     11月 22nd, 2009  Posted 1:22 AM

「公案」という言葉には、二つの意味があります。
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私は、この言葉の意味を、「神の国・日本」には、
見事に当てはまっている、と考えてきました。

● もともとは、中国で生まれた言葉、
その意味は、裁判物語です。
日本では公案として「大岡政談」が有名でしょう。
もし、この公案として、
日本は、東京裁判を「公案」とすることができます。
「公案としての東京裁判」は、きっぱりと
わが国の世界的な罪状として語られていることを
否定すべきは否定し、正当な再評価が必要です。

無論独裁化した当時の軍部責任問題の罪状は、
認めなければならないと思います。
しかし、一方的な報復、見せしめとして、
この裁判で戦犯とされた人物裁決には、
大きな疑問と再評価を求めなければならないのです。
その人物を戦犯とした歴史は、
今、書き直しておくべきだと私は考えます。

事例として、広田弘毅は文人であり、
なんら戦時責任を問われるべきではなかったはずです。
そして、罪状明確な戦争責任者が、
合祀されている靖国問題もここに端を発していることを
きっちりと整理すべきです。

B級戦犯となった岡田中将の軍人としての主張である、
名古屋空襲への抵抗攻撃もすでに、
忘却されようとしています。
「明日への遺言」という映画記録は公案となっていますが、
どういうわけか、
決して語りつながれようとはしていません。

したがって、
● 私は「公案」=「現成公案」にて、
禅宗的な問題解決の対象として、
東京裁判を配置するべきだと考え提案したいと思います。

なぜなら、
国際法としての戦争責任から考えれば、
母国歴史での罪状が、今なお、問い詰められていることへ
「現成公案」をもって、
罪状よりも、戦争であったからこそ、
果たしえた解放戦線があったことこそ「公案」を
世界に公認させておかなければ、
それこそ、
戦死者への真の鎮魂は不可能であることを
「現成公案」として
「無字」(無門関という禅書の応答)なりの
日本人の心情を国際化することこそ、
「神の国の復興」に他なならないと私は考えています。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その辛苦・5」


   


     11月 21st, 2009  Posted 10:00 AM

人は、堪え忍ぶことを知っています。
特に、「神の国の住人」だった日本人は、
戦中・戦後どれほど耐えて堪えて忍んだことでしょうか。
戦後、少なからず豊かさに包まれて育った私程度に、
その「辛苦」は、想像を超えてるはずだと思います。

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そして、本当は、「間違った選択だった戦争」は、
「辛苦」から逃れるための唯一の方法だったとさえ、
私はたたづんでしまいます。

だから、戦前、戦中、戦後、はもちろんのこと、
「神の国」に生きることが辛苦であったのでしょう。
その堪忍の心情性こそ、日本人の「こころ」だから、
願い・祈りは絶望の寸前=辛苦への態度だと思うのです。

しかし、この願いや祈りが、
なんらかの信仰心や信念に向かわない限り、
「神の国」に流れる日常性をも、何かに代替させたり、
言い訳や言い逃れを、あたかも、全体的な意志だという
大きな錯覚をしてしまいます。

私は、その、あたかも、「辛苦」への祈りと願いを
言い逃れにさせようとした一群は、
あきらかに左翼系・進歩的(のはずはない)文化人と、
戦後の新興(偽)宗教の始祖たちではないだろうか、
と思っています。許せません。
そして、彼らをカリスマとしてあがめてしまった人々の
哀れさと無知識さを悲しむばかりです。

「辛苦」に堪えきるには、祈りでも願いでもありません。
まして、
左翼思想や新興宗教の偽善的信念や信仰、
そのもっともらしさなどを選ぶのは賢明な判断で
あるはすがありません。

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それは、もう一度、「神の国=自然の国」の
ささやかな「日常の自然」へのまなざしでしょう。
そのまなざしが、「日常の自然」にどれだけ、
感激と感動ができる「我」であるのか、
その「我」である自分には「美」を知る心があったこと、
「神の国」に生を受けたことを感謝できるかだと思います。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その堪忍・4」


   


     11月 20th, 2009  Posted 6:00 AM

敗戦し、焦土と化したわが国こそ、
「娑婆」(シャバ)を
実体験させられたのではいでしょうか。
それは報復に「堪忍」(カンニン・タンニン)してきた
敗戦国家の日本人でした。
私は、この「娑婆」=「堪忍」が、
同義語であることを知っています。
ゆえに、「間違った戦争だった」とか、
「戦争で亡くなった方々への鎮魂」を込めた多様な意見に、
心底から、「神の国の住人」意識は、
統合し統一していく重大さを、
あらためて問いかけ直していくのが、
今世紀の「神の国」だと考えています。

「娑婆」とは、サンスクリット語(サハー)であり、
この世はあらゆる悪事や苦しみに耐え抜いていく世界、
ということこそ「堪忍」(能忍・雑会)だからです。
神の国」が敗戦で「堪忍」させられたところに、
持ち込まれた「自由・平等・愛」なる浅薄さなどを
「民主主義」などということで、
「堪忍」を忘却させているにすぎないのです。
どれだけの報復・復讐を受けさせられたことでしょうか。
それなのに、私自身も、戦勝国のあの明るさや、
「自由・平等・愛に憧憬」してきたことは事実です。
しかしながら私はこの状況から覚醒することができまた。
それは、デザイナーとして米国で受けた人種偏見でした。
人種偏見に潜む白人社会の報復性でした。

私は、あらためて主張します。
敗戦という経験こそ、
神の国」という「娑婆」を知らされました。
その「娑婆」での「堪忍」さ=仏道根本を、
「神の国の住人」として、
私たちは人格化する時期が、今、訪れています。
それは、「世界」が「娑婆」であり、
「堪忍」を日本が世界へ知らしめる
使命観を持っているということです。


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