12月 29th, 2010 Posted 12:00 AM
自分への厳しさ
このブログが目指してきたこと。
それは高密度俊足な情報社会です。
「情報」の功罪に晒される日常。
この日常から特に「罪「から目をそらさず、特に情報技術を直視してきたと思います。
ただし、疑念、懸念、明白な誤りは的確に指摘してきました。
その結果が自分に対しても誤解や否定が成されたとしても、
それを受け入れる覚悟は備わったと思います。その覚悟とは「自分への厳しさ」の裁定です。
なぜなら、すでに自分がめざす方向が明らかだからかもしれません。
その上このブログでは、私がどれほど資本主義にも民主主義にも、
大きな疑念を持っているかを告白しその思考メモを書き残しています。
もっとも私の世代は、高度経済成長から現在の不況までを体験しています。
しかし、これほどこの一年の政治に失望が連続している経験は始めてです。
だからあらためて、私は「自分の存在」を日本の歴史観の中で確認しています。
それは、日本の歴史上で尊敬と敬愛を捧げることで、自分自身に厳しくあるためです。
ささいなことかもしれませんが、
このブログを毎日必ずアップすることも自分への厳しさを確かめていることです。
時に、ブログアップが遅れると読者の方や教え子などから、
体調のことで心配をかけてしまします。
もし、自分が自負できることでは、「自分にどれだけ厳しく」を実践していることです。
自分に厳しくといっても、歴史上は無論ながら、
現代においても尊敬できる人物が自分に対する厳しさを知るとき、
これが「行学」の核心だと再認識します。
Tags: 「行学」の核心, 不況, 功罪, 思考メモ, 情報, 情報技術, 懸念, 政治に失望, 民主主義, 疑念, 自分への厳しさ, 資本主義, 高密度俊足な情報社会, 高度経済成長
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12月 28th, 2010 Posted 12:00 AM
空なる「かたち」を
ボールペンスケッチの一年。
私のスケッチはまずラインに込めます。
思考の集約と収束が描くのは「空」です。
いつも「ことば」にこだわりながらも、
「空」のラインが立体化していくと私の「かたち」になります。
「ことば」思考もすべてを「空」なるまで自分を追い込み、
思考の集約も収束もボールペンBとモレスキンJapanese+iPadに走らせます。
ただ、iPadでのスケッチはまだまだ私の表現力不足です。
私のスタッフたちにはマーカーを捨てさせて、スケッチパッドでレンダリングを、
しかし3Dレンダリングよりも、ソフトモデル=ペーパー実寸モデルづくり、
光造形でのラピッドプロトタイピングをマスターさせています。
次世代、次・次世代デザイナーへの行学のススメです。
ところでこの一年、私が感激し感動するデザイン造形=かたちは創出されなかったと思います。
そして、確かに韓国はじめアジア諸国のデザイン表現力は格段と進歩してきました。
ガラパゴスと呼ばれるわが国の産業界ですが、
私は、真のデザイン力はまだまだわが国に潜んでいると思っています。
悲しいかな、「かたち」を創出できるデザイナーは激減しています。
理由は二つでしょう。
デザイナーの創造力を見抜けない経営者、センス無き経営者ばかりになりました。
いわゆる政財界にリーダーがいないことです。
そして、デザインへ、デザイナーへ、先行投資をという大きな器ある人物も激減していることです。
となれば、あらためて日本の技術と日本のデザイン、
このアライアンス基盤をもう一度リストラクチュアリングすることでしょう。
「空」なる「かたち」という日本文化を表現できる次世代を育成すること、
これが私の世代、私の役割だということを思い知らされた一年でした。
だから、私は私の「空」からの「かたち」をボールペンでともかく描き、
来春には、その「製品」そして「商品」を準備することはできたと思っています。
Tags: アライアンス, スケッチ, センス無き経営者, ボールペンスケッチ, ライン, リーダー, リストラクチュアリング, 先行投資, 創造力を見抜けない経営者, 大きな器ある人物, 思考の集約と収束, 政財界, 次・次世代デザイナー, 次世代, 空, 行学のススメ
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12月 27th, 2010 Posted 12:00 AM
「ことば」とかたちの相対論
私の行学は、「ことば」ありきです。
「行学」としての私のデザイン、
まっすぐに「ことば」と「かたち」、
その相対的な構造性・関係性を修練研磨する学域として求めています。
「かたち」に私の美意識を希求する基盤はなんといってもことばです。
そして、ことばではとても表現仕切れないこと、
それこそコンセプトになりきらない造形が極値造形と呼んでいます。
これは「言語道断」(道元)への修練ゆえ行学目標です。
今年は、いくつかのことばの再考と定義確約、さらにあらたなことば定義を求めています。
これを私は、「ことばの行学」だったと考えます。
とりわけ、このブログで使用する語彙がサーチワードとして一日200語近くなったことは、
一つの成果だったものと判断しています。
いくつかの言葉がありますが、なんといっても、「名詞+名詞」という英語表現、
「情報」がやっと整理できました。
「アプロプリエーション」を徹底検証しました。
これをデザイン用語に持ち込み法学への提示になったことは成就成果だったと自負しています。
また、今年は、わが国日本の政権交代にどれほど、
現政権はじめ、政治という「制度」に落胆したことでしょうか。
この落胆から自らを解放するにも、「ことば」の問題がありました。
私は、島国日本を「花綵の国」と呼んでいます。
一言語一民族ながら資源無き国家の歴史観はすべからく「言語体系」に依存してきました。
したがって海外語が邦訳されてこそ、
日本の文化観から文化感が形成されてきたものとさえ認識することができます。
「情報」も「情勢報告」であったり、
「経済」も「経世在民」であったりという邦訳が正確だったのかは、再確認が必務です。
特に、歴史観でのことばの曖昧さに気づいています。
この語彙集編集が最も重要かもしれません。
「明治維新」の「維新」というのは正しい表現用語だったのだろうかという疑念があります。
そのまま「維新」を引きずれば、226事件「昭和維新」を想起します。
だとするなら、「平成維新」という言葉表記には、
相当の甘えと曖昧さがあることを指摘しておかなければなりません。
そんな中で数学術語も、私にとっては「かたち」への近接手法ですが、
いくつかの邦訳自体の誤訳かもしれないことをを見つけていることを告白しておきます。
来年は「ことば」の行学を、デザイン実務の下敷きにしていく所存です。
Tags: 226事件, かたち, ことば, ことばの行学, コンセプトになりきらない造形, 名詞+名詞, 平成維新, 情勢報告, 政権交代, 数学術語, 明治維新, 昭和維新, 極値造形, 構造性, 経世在民, 維新, 美意識, 花綵の国, 行学, 言語体系, 言語道断, 語彙集編集, 誤訳, 近接手法, 関係性
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12月 26th, 2010 Posted 12:00 AM
「行学」に向かって
この一年のテーマは「行学成就」。
「行学」とは、私なりの定義があります。
行とはまっすぐな道を進んでいくことゆえ、
学問なり実務に正面から立ち向かう修練のことだと考えています。
そして、私は現代の経済社会中心とこの社会を支えている民主主義の真実に懸念があります。
このたとえようもない懸念の中で、「自分の中にあるかもしれない美意識」を職能として、
デザイン・教育・研究に向けて「行動」しています。
無論、やりきれなかったことや、自分が自分に弱いから成就できなかった成果を、
来年を迎えるにあたって直視しています。
成就できたことは、入院する事態にならなかったことは幸運でした。
自分が自分に言い聞かせて実現・具現できなかったことへの反省・自省があります。
知財権の中であらためて自分の職能権利である「意匠権」については学び直すことができました。
特に「アプロプリエーション」を、デザインがどう受け止められるか、
誰も指摘してこなかったことを法学分野に提示できたことは私の修練結果だったと思っています。
さらに人間は自分を育んできた歴史観に自分の存在を差し出す必要があります。
私が自分の行学基盤として、歴史観を常に学び直してきた気がしています。
メガネフレームのデザインは25年間も取り組みながら、
未だにこの難しさと対面していることを思い知りました。
医療機器は、人工心臓からロボット手術支援機器、さらにはワクチンの開発まで、
まだまだ自分の力量が試されています。
具体的に取り組み始めたエネルギー・水などの社会システムに、
これから私の行学の核心があることを確認しています。
そして再確認しているのは、デザインにだけ自分の美意識を重ねることができるということです。
Tags: アプロプリエーション, エネルギー, メガネフレーム, ロボット手術支援機器, ワクチン, 人工心臓, 修練, 医療機器, 歴史観, 民主主義, 水, 法学分野, 社会システム, 経済社会中心, 美意識, 行学, 行学基盤, 行学成就
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12月 25th, 2010 Posted 12:00 AM
Inclusive・Exclusiveの対比
Inclusive DesignはExclusiveと対比。
あるいは対照性や反照性で、詳細定義に近接。
私はこの近接性を「近傍性」と読み直しています。
果たして、Inclusive Designの本質と定義は、
● 形容するデザイン対象、
● デザインアイテム、
● デザインプロジェクトの実例を何にするかということになります。
これこそ「何がInclusive Designであるのか」、
今、その何が求められているかが問題=Problemであり、その解決=Solutionが解答になります。
そしてこの解答こそ「造形デザイン=かたち」になるわけです。
Inclusive Designの造形要素・造形要因は、
一人称=デザイナーから三人称=ユーザーに向けられます。
解決手法としてのトポロジー
そして、InclusiveとExclusiveが変位する次元と造形に、トポロジーがその解決手法である。
このことが実務デザイン手法であることに気づいてほしいというのが私の主張です。
私は、定義をとりあえず文法的なカテゴリーの「人称」にもとめました。
そして、人称を一人称・二人称、さらに三人称との関わり、
すなわち構造をどのように近接していくと定義に連続や収束をしていくのかをメモとしました。
つまり、「近づく」というのは、連続系なのか収束系なのかということです。
近接から近傍
しかも、連続や収束でもどこかで変位することがあります。
私のイメージはとりあえず、トポロジーを最も基本的に示している「メビウスリング」が、
そうした造形デザイン=かたちの印象になります。
理由は、メビウスリングは、二次元のテープが捻られて三次元リングになり、
どこからどこまでがInclusiveとExclusiveかを「かたち」で表象されているからです。
Inclusive Designとは「カタチ」表象として、
きわめてトポロジーデザインでもあると私は強調しておきます。
しかも、この「カタチ」はバーチャルであることに気づいていただきたいと思います。
メビウスリングでの実験
実験をしてこのイメージをつかんでください。
テープを一度ひねって、リングを作ります。
そしてそのテープの幅の中心線にそって切り分けると、これまた大きなメビウスリングになります。
ところが、テープを2度ひねって、メビウスリングを作り、
そのセンターラインで切り分けると、二つのリングがつながってできあがります、
まるで手品のわざですが、これは、明確に二つの概念を視覚化するでしょう。
そこでテーマにしているInclusiveとExclusiveが「かたち」造形化していくために、
一回のひねりと二回のひねりで、「近傍性」を視覚化していることになります。
Tags: Exclusive, Inclusive Design, カタチ, トポロジー, メビウスリング, 何がInclusive Designであるのか, 反照性, 収束, 収束系, 問題=problem, 変位, 実務デザイン手法, 対比, 対照性, 次元, 視覚化, 解決=Solution, 詳細定義, 近づく, 近傍性, 近接性, 造形デザイン=かたち, 造形要因, 造形要素, 連続, 連続系
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12月 24th, 2010 Posted 12:00 AM
人とモノと相互作用
「会話・対話」は人と人との話し合い。
さらに人とモノとの間の対話的な相互作用。
だから、まずInclusiveが人称と関係性を確認。
このことをメモとして伝えてきました。
まず、人称性を文法的なカテゴリーを基本にして、
一人称と二人称に、三人称が介在してくるときには、
どのようにInclusiveの限定と拡張が起こっていくを検証しました。
その結果として、Inclusiveの対立・反照のExclusiveが、
実は「差別化」であることにまでたどり着きました。
つまり、Inclusive Designには、差別はありえない。
「差別性」というExclusive
「除外性」や「占有性」はありえないということを確認できたと思います。
したがってこれまで、Inclusive Designを「包含されたデザイン」という安易な邦訳定義、
これは全否定ですというのが私の目標でした。
ところが、「占有性」や「除外性」を限定させるという機能性、
これがデザインの本質にあることも、それこそ包括しなければなりません。
たとえば、限定されたユーザーへのデザインは、
Exclusive性をさらに強化する価値観というよりも、
価値「感」が必至であることも認めておかなければならないということになりました。
なぜなら、デザインはその原意に「目印をつける=designare」です。
目印をつけるというのは、直接的にExclusive性を目標としたデザインであることを示しています。
Exclusiveの反照に近接
したがって、Exclusive性を最初に明確化すれば、
その反照・対照であるInclusive DesignへのInclude化を、
導入し、補強し、保全し、完結させることができるものと判断します。
この判断上にInxlusive Designの本質ゆえの定義が明証化されることに近接していくのです。
Tags: Include, デザインの本質, 人称と関係性, 会話・対話, 価値「感, 価値観, 保全, 包含されたデザイン, 占有性, 原意, 反照, 安易な邦訳定義, 完結, 対立, 対話的な相互作用, 導入, 差別化, 目印をつける=designare, 補強, 話し合い, 近接, 限定と拡張, 除外性
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12月 23rd, 2010 Posted 1:44 AM
ユーザーという三人称
三人称は、人々や人達のことです。
デザインの使い手の三人称、
それはユーザーや生活者と呼びます。
私は生活者とは呼ばずに、ユーザーと呼ぶことにしています。
理由は私なりのこだわりですが、いずれということにします。
さて、三人称である人=ユーザーの期待や希望は推測はできますが、
確信をもって彼らの価値観は分かりません。
しかも昨今の価値観は「価値感」と表現した方がいいほど、感覚的です。
しかも、価値感という言い方は現代的な表現です。
むしろ価値観というある種の呪縛が資本主義によって、
私たちすべてが洗脳されて価値感されてしまったのかも知れません。
価値の多様性など幻想
だから、価値の多様性などがあるというのは、
あってほしいという社会的、世界的、あるいは民主的な幻想にすぎないとさえ思っています。
私がもっとも懸念するのは、三人称であるユーザーを分別することが、
とても曖昧模糊になっているということです。
それなら、三人称であるユーザーに明確な区別が実は肝心であり、
それがまさにInclusiveとExclusive を定義づけると考えているからです。
それはInclusiveとExclusive入れ替えが起こっていることに無頓着になり、
Inclusiveを「包含してる」という安易な邦訳で定義していることにつながっています。
私は、「除外する」とか「独占する」ということが、
実は重大な意味性を指摘しておきたいと考えています。
商品の差別化
端的にいえば、デザイナーが「商品の差別化」というのは、
明らかにExclusiveな領域を設定しているということです。
Tags: Exclusive, inclusive, 三人称.ユーザー, 価値感, 価値観, 包含, 品の差別化, 多様性, 感覚的, 独占, 生活者, 除外
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12月 22nd, 2010 Posted 12:00 AM
デザイン手法は会話
デザイン手法に「会話」が手がかり。
40年デザインに関わってきた経験です。
この経験値から、デザイン手法とデザイン造形を伝えます。
まず、「私」がデザインしたいモノを見つけます。
そしてひたすらそのモノの造形にだけこだわります。ことば・図・スケッチ・図式・数式です。
私はそうした独り言をそのデザイン対象のモノに語りかけています。
そうして、そのモノをどうして自分=一人称が、二人称となる「あなた」を見つけて、
そのモノを語ります。
無口さ・饒舌さ
ただし、この語り方・語り口は、二通りしかありません。
・無口・一切言葉無く、「あなた」に差し出すだけの時もあれば、
・饒舌・もう自分の持っている語彙の限りを尽くして喋ります。
この会話、あるいはモノにだけの対話は、気楽なこともあれば、緊張極まりないときもあります。
そして、この一人称と二人称のinclusiveに、
三人称である誰かに、そのモノの造形を伝えるときになって、
その造形されたモノの「かたち」が語り出すかもしれないことが、
実は、「コンセプト」と「言い切ってしまう一言」だと確信しています。
不要なコンセプト
「言い切ってしまう一言」は、可能なかぎり簡潔であってほしいのです。
この簡潔さが「美しいかたち」の母体です。
なぜなら、気楽な相手であろうが、緊張する相手であろうが、
たった一言で、その「かたち」がきれいでさらに美しいと言い切れるなら、
二人称=2nd personも三人称=3rd personも、
説得と納得というコミュニケーションが可能になると確信するからです。
つまり、この簡潔さである一言さえ不要なら、
デザインにコンセプトすら不要だと考えています。
無論、デザイナーになっていくトレーニングのために、
コンセプト=ことばからデザインをしていく手続きを教えることは不可欠ですが、
いづれ、そのようなコンセプトなどは全く不要だと宣言しておきます。
語彙を持つ才能
そして、語彙=ボキャブラリーには記号も図式も数式も必要だということです。
無口な語彙性と饒舌な語彙性に、気楽な自分と緊張する自分という一人称だけが、
モノの造形・かたちを創り出すことができるのです。
ただし、この一人称になりきれる存在を才能と呼んでおきます。
つまり、「かたち」を創れる一人称は限られているのです。
Tags: 「かたち」を創れる一人称は限られている, 2nd person, 3rd person, かたち, コミュニケーション, コンセプト, デザインにコンセプトすら不要, デザイン手法, デザイン造形, ボキャブラリー, 会話, 図式, 対話, 手がかり, 才能, 数式, 母体, 気楽, 無口, 無口な語彙性, 独り言, 簡潔, 納得, 経験値, 緊張, 美しいかたち, 言い切ってしまう一言, 記号, 語彙, 説得, 饒舌, 饒舌な語彙性
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12月 21st, 2010 Posted 12:00 AM
会話・対話
会話あるいは対話の構造。
会話は、「私」と「あなた」の存在の確認行為です。
そして会話は、常にこの関係が入れ替わります。
「私(A)はあなた(B)に○○○ですから」、
「私(B)はあなた(A)に●●●ですよ」。
AとBの人称が「会話・対話」では人称の入れ替えがあります。
ところが、「文章」になれば、人称の入れ替えはありません。
三人称が入ってくる会話
そこで、まずこの「会話性」での一人称と二人称に、三人称が入ってきます。
ここが文法的な、特に会話での人称カテゴリーの関係性です。
この会話に入ってくる三人称に、デザイン手法のあり方があると判断します。
たとえば、三人称である彼または彼女の話題になるとします。
通常でいけば、
「私(A)は、彼女のことをこのように思うけど、あなた(B)は?」、
「私(B)は、あなた(A)もそうだと思うけど彼女のことを●●●だと思っている」。
この会話に、三人称・彼女が入り込んできます。
三人称が概念・コンセプトになる会話
まず、一人称・二人称=Inclusiveですが、三人称の彼女が話題に入ってくれば、
彼女までがInclusiveになります。彼女を除外していないということです。
そこで、彼女のことをたとえば、あだ名をつけたとします。たとえば「リンゴ」とします。
この「リンゴ」は彼女の概念=conceptです。
しかも、この会話での「リンゴ」はりんご、その物ではなくて、「彼女・三人称の概念」であり、
会話の主体である一人称と二人称だけが理解・認識しているInclusiveな概念だということです。
さて、デザイン手法において、まず、自分がデザインするモノは自分が欲しい物であり、
自分に価値あるモノです。
そして、二人称としての「あなた」にも価値あるモノであることを確認したとき、
彼女、私が例示した「リンゴ」さんにとっても価値あるものかどうか、ということになります。
本来三人称である「リンゴ」さんにとっても、
価値あるデザインまでをInclusive Designということになるというたとえ話です。
このたとえ話を事例とするなら、
「私とあなた=一人称と二人称」が会話で「リンゴ」という三人称は、
人間ではなくてデザイン対象とすれば、
コンセプト「リンゴ」がデザイン対象の概念になる、ということも意図しています。
一人称・二人称のコミュニケーションを十分にしていくことは、
三人称を取り入れたときのコミュニケーション、
この十分さを確保することにつながっているということです。
Inxlusive designの重大定義性を生み出してくる「会話」=パロールは
デザイン手法だということです。
Tags: Inclusive Design, あだ名, コミュニケーション, デザイン手法, パロール, 一人称, 三人称, 三人称の概念, 二人称, 人称, 人称カテゴリーの関係性, 会話, 会話・対話, 対話, 文章
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12月 20th, 2010 Posted 12:00 AM
三人称のNeed・Wantは不明だ
Needは何?
Wantは何だろう?
この答を最も的確に答えられるのは、
「自分自身=私」、一人称です。
二人称である「あなた」に相当する人なら、想像もつくと思います。
しかし、三人称「彼、彼女、彼ら、彼女ら」は、まったく知らない人たちです。
三人称のNeed・Wantは想像はできるかも知れませんが、正直、全く私には分かりません。
人称は、文法的なカテゴリーであるよりも、
まさに、マーケッティング的なことにつながっています。
マーケッティング調査は無視せよ
私は、三人称の人たちのNeed・Wantを知りたいとも思いません。
というより、わかるはずがありませんから、マーケッティング調査なるものを無視してきました。
簡潔に断言すれば、私がデザインする対象は、まず、一人称である「私」へのデザインです。
そして、そのデザインを、二人称に相当する私の「あなた」にとっても
Need・Wantなのかを重視してきました。
すなわち、一人称・二人称向けのデザインが、自分で満足できるモノで無い限り、
三人称を説得できるわけがありません。
結局、デザインは、一人称・二人称での確認と確約が自負できてこそ、
三人称=市場に向けられるはずだと考えてきました。
この一人称・二人称は、確実にInclusiveであり、
一人称・二人称向けデザインをInclusive Designの基本だとまず定義しておきたいと思います。
そして、三人称を決して「除外しない」デザインへ、
どのように拡大していくかがInclusive Designの定義になると考えています。
Tags: inclusive, Inclusive Design, Need, Want, あなた, マーケッティング, マーケッティング調査, 一人称, 三人称, 二人称, 文法的なカテゴリー, 私, 自分自身, 除外しない
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