12月 27th, 2014 Posted 12:00 AM
12月27日 壬申(仏滅)
私はやはり明言すべきことに
絶対に躊躇しない人でありたい。
明言を差し控えることが
空気を読み
穏便であることがわかるが、
その穏便さの中で
息をしたいとは思っていない。
そんな穏便さなど、息苦しいだけだ。
川崎和男「喧嘩道」
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12月 25th, 2014 Posted 12:00 AM
12月25日 庚午(友引)
今、喧嘩の常道である、
怒鳴ってはいけない・・・’らしい。
怒鳴り合うと理解が届かず、
怒鳴られたら反感を買うらしいが、
その反感での怒鳴り合いが消えてしまった。
すいませんと
分かったふり、反発心を押さえ込んで
謝ったふり、
そんなことは無用だ。
怒鳴り合う喧嘩がことさら懐かしい。
川崎和男「喧嘩道」
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12月 2nd, 2014 Posted 12:20 AM
12月2日 丁未(友引)
アートだ、デザインだ、
メディアアートだ、
なんとかアートだ、
デザインだ、って騒がしい者、
彼らが主張する作品に
私は厳しい見方をしている。
そのほとんどを否定することができる。
川崎和男「喧嘩道」
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12月 1st, 2014 Posted 12:00 AM
12月2日 丁未(友引)
アートだ、デザインだ、
メディアアートだ、
なんとかアートだ、
デザインだ、って騒がしい者、
彼らが主張する作品に
私は厳しい見方をしている。
そのほとんどを否定することができる。
川崎和男「喧嘩道」
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11月 27th, 2014 Posted 12:00 AM
11月27日 壬寅(先負)
平気さと平然さを使いわけている、
そういうのを
私は輩と呼ぶ。
この二つを使い分ける輩は
生涯をかけても許せない。
しかし、
私が暴力性を潜ませた喧嘩相手にはならないものだ。
なぜなら、
大抵、こうした輩は、
時代から取り残されていく。
それは社会からも見捨てられるものだ。
川崎和男「喧嘩道」
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11月 25th, 2014 Posted 12:00 AM
11月25日 庚子(先勝)
喧嘩相手には
仕方無しの場合も用意しておくべきである。
それには、
演技としての喧嘩性である。
その喧嘩性には
暴力性と武力性も
仕込んでおく必要があるものでだ!
川崎和男「喧嘩道」
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11月 24th, 2014 Posted 12:00 AM
11月24日 己亥(赤口)
私が喧嘩師として、
その生き様と立場は
大学空間においています。
この大学空間からの
喧嘩相手は、
学術知識体系と実務産業体系
この大学空間に生息している人間
そして
自分自身である。
川崎和男「喧嘩道」
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11月 23rd, 2014 Posted 12:00 AM
11月23日 戊戌(大安)
喧嘩という暴力性は、
たとえ、喧嘩は知的行為といえども、
その暴力性があるという錯覚を
私は利用すべきだと考えている。
つまり、
それは「孫氏の兵法」での
「用間」だと認識している。
果たして、
この意味性は伝わらないものでもあると、
私は思っている。
「暴力性のある喧嘩」が時に、
私は必要だと断言している。
川崎和男「喧嘩道」
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11月 22nd, 2014 Posted 12:00 AM
11月22日 丁酉(仏滅)
喧嘩を望める相手は
私にとって、重大な人物に限っている。
喧嘩相手にも成らない人物は、
私が認めない人であり、
こういう人物には周囲にいてほしくもない、
ということだ!
川崎和男「喧嘩道」
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11月 21st, 2014 Posted 12:00 AM
11月21日 丙申(先勝)
見逃せない輩には
なんといっても、
喧嘩という高尚な仕掛けは無用である。
喧嘩するより、
その前に私は
次のような発言をすることにしている。
「高校時代だったら、絶対に殴っていた」と。
喧嘩とは、とても知的で高尚な行為である。
川崎和男「喧嘩道」
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