8月 23rd, 2014 Posted 12:00 AM

高校時代の山岳部では、福井県内と白山山系ばかりでしたが、
夏の合宿で不帰岳から針ノ木岳の縦走をしました。
白馬岳、その長い雪渓で初めて大落石に遭いました。
小屋ほどある大岩石がピンポン玉のように弾んで来て、小落石は、
ビュンビュンと多量に飛びかかり仲間の顔面を鋭く切り裂きました。
後立山縦走は大学時代毎夏の行事でしたが、落石は恐怖でした。
広島の山々が土砂災害です。3時間で1ヶ月の大豪雨は今もです。
当然ながら、山がその形を変える泥i石流も想定外でした。
日毎に、死者そして行方不明者が増えています。
救助隊の体力を憂い、すでに葬式を見れば涙が流れます。
それは私には、またしてもという悔しさが連続しっぱなし。
広島の山つちは、真砂土と呼ばれていると知りました。
花崗岩からの砂土は園芸では最適な土でしたが、
人命をいとも容易く自然は奪うのです、自然と調和は出来ません。
砂土・砂壌土・壌土・植壌土・植土は粘土質の含有量毎でした。
つちがとちになり、土地の上に町・街=まちがあります。
そして、人はかたちできもちを動かし、いのちが繫がっていました。
私、デザイナーはまさに、直接かたちに携わってきました。
だから、つちのデザインが必要だと考えぬき、ようやくですが、
つち=土のデザインで山のデザインもし直すべき日本列島と考えてます。
阪神大震災直前にも、準備していたラジオデザインは叶わず、
フクシマ人災でも小型原子炉もアドバンス、それだけに、今度こそ、
液状化防止のつちのデザイン=土壌改良素材は製造から生産へ、
そのあと一歩がまだ少し時間が要ります。
だから、開発メンバーには、広島災害地で実際実験を願っています。
危機デザインは「危」険=最悪事態=いのちを護る「機」会です。
つち=土・とち=土地・町・街=まちが在ってこそ、
そこで、かたち・きもち・いのちのためのデザインが当然です。
すべてに「ち」があります。
日本の根本思想は「ち」の文化構造にあることは確かです。
なんとしても、土=つちのデザインで山の形と街の形をこの危機で、
やり直すデザインをもっと急がなければなりません。
「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
Tags: いのち, かたち, きもち, ちの文化構造, つち, とち, フクシマ人災, まち, ラジオデザイン, 不帰岳, 危機デザイン, 園芸, 土壌改良素材, 夏の合宿, 大崩れ, 大落石, 大豪雨, 実際実験, 小型原子炉, 小落石, 山岳部, 広島, 広島災害地, 後立山縦走, 救助隊, 最悪事態, 泥i石流, 泥水濁流, 涙, 液状化防止, 白山山系, 白馬岳, 真砂土, 砂土・砂壌土・壌土・植壌土・植土, 粘土質の含有, 縦走, 花崗岩、山つち, 落石は恐怖, 葬式, 針ノ木岳, 阪神大震災, 雪渓, 高校時代
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8月 22nd, 2014 Posted 12:00 AM

インクルーシブデザインの大間違いの書籍は感情的に見逃せず、
デザインの方向を大きく狂わせてしまうことを書き残します。
私は私なりにインクルーシブデザインを海外でも講義してきました。
ところが、大間違いどころか、デザイン実績も無い人たちによって、
インクルーシブデザインが拡散されている状況を超えるために、
コンシリエンスデザイン(=コンシェリエンスデザイン)を
最初の方法として徹底的に論理構成を試みています。
その原書と邦訳本を読み比べています。
私の読み方は、原書と邦訳本での翻訳違いを探し出すことです。
これは、時には、原書より邦訳の方が優れているものがあります。
今回も、邦訳の方が若干いいかもしれませんが、
まだ少し残っているので、両面的にいい内容を選んで、
それを元に自分の認識を明確にしたいと考えています。
結局、私は「能書きが多いデザイナー」です。
ちなみに、能書きとは効能説明です。
これは学生時代から言われていたことですからそうなのでしょう。
しかし、重要なのは、原本=原書で語られたことが翻訳されたとき、
極めつけを発見することが最重要だと思考する自分自身です。
その自分にコンシリエンスデザインがふさわしいかどうか、
もし似合っていないとしても、似合いたい自分を創ることです。
自分を創れる人間がクリエーターになれる資格があるでしょう。
デザイナーは全てがクリエーターではありえません。
42年デザイナーだった私の判断では、1%程度がクリエーターです。
その他は、デザインのような職能をしているに過ぎません。
この原書と邦訳本ともに面白いコトは、
十字形の交差点に何十もの円形があれば、目が回ります。
そのように、融合も統合も目が回る錯覚から離れる自分の認識です。
「デザイン的にどうでしょう」なんて言われると、
「それは、デザイン的=装飾的」程度のレベル知能に呆れます。
コンシリエンスデザインとは、やはり問題解決を果たすために、
実は目眩するほどの幻覚から醒めて、デザイン解決のための
融合と統合をどうすべきかが、改めて問われています。
Tags: インクルーシブデザイン, クリエーター, コンシェリエンスデザイン, コンシリエンスデザイン, レベル知能, 効能説明, 原書, 原本=原書, 問題解決, 目が回る錯覚, 翻訳違い, 能書き, 自分の認識, 融合と統合, 資格, 邦訳本
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8月 21st, 2014 Posted 12:00 AM

2004年にPKD=Peace-Keeping Designを連載で文章提案しました。
もう随分経過しているかもしれませんが、開発続けています。
低開発国での感染症防止のワクチン接種は、シリンジの開発を続け、
経皮注射だと痛いので、経肺接種なら痛くないからと決め、
ようやく登録も終了したのでその形態を紹介できます。
ワクチンも2種決定し、しかも、遺伝子検査は1ヶ月を5時間、
この医療検査ユニット開発をデザインしその搬送や展開もデザイン、
接種手順にも相当に工夫を込めてきました。
私が、
医療検査ユニットと訴えかけてもう10年になりますが諦めていません。
最近のデザイナーは提案で終わってしまうことに平然としています。
これは許せないどころか実はデザイン才能が無いと断定しています。
「モノづくりが大好きだから・・・デザイナーを」とかいう
そのような若手が本当に多くなってきていますが、
私の断定は、「ヤルと決めたら、まっしぐらにヤルんだ」なのです。
もちろん、私にも出来なかったコトは一杯ありますが、
それは未来に向けても、何らかに残しておきたいと考えます。
私はこれまで、いわゆる大風呂敷を広げることこそ、デザイン。
しかし、その大風呂敷は畳んで帰ることができる大きさにしました。
PKOもPKFも、すべて軍隊的な要素が強く、
それこそ軍事力で世界平和という考え方が時代遅れです。
今日も、一日5000人の子どもたちが死んでいるわけです。
これはジャンボジェット機が10台墜落しているという想像力です。
国内はもちろん、海外でも、PKDのことを語ってきましたが、
ワクチンシリンジ・遺伝子検査・接種システムの具体化デザイン、
これらでPKDを訴求する具体的なモノとコトのデザインが、
もうあと少しで展開ができそうになってきました。
「ヤルときめたら、ヤルんだ!」この決意こそ、
デザインを成し遂げるデザイナーの裁量だと確信しています。
『デザイン都市でのデザイン会議報告』
「シリンジの問題解決・2006年から取り組んできた」
「『危機管理プロダクトデザイン』は先端統合デザイン」
Tags: 5000人の子どもたち, PKD=Peace-Keeping Design, PKF, PKO, ジャンボジェット機, シリンジ, ワクチンシリンジ, ワクチン接種, 世界平和, 低開発国, 医療検査ユニット, 大風呂敷, 感染症防止, 接種システム, 痛い, 経皮注射, 経肺接種, 軍事力, 遺伝子検査
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8月 19th, 2014 Posted 12:00 AM

私は、「自然と人類の調和」に違和感を感じて生きてきました。
このところの大雨は、異常さを超えています。
そして、私が疑問に思うのは、天気図表現が余りにも狭くて、
日本近海からしかありませんが、せめてもっとインド周辺からの
気温変化や気圧変動の情報が必要だと思っています。
CNNなどでは地球規模の気圧変動の方がわかりやすいはずです。
私の記憶では、4~5歳ぐらいに福井の荒川が当時は氾濫して、
押し入れの上段に置かれていたことがあります。
警察官だった父はもう暗くなってから帰宅し、官舎のみんなで、
機動隊道場に非難した経験をいつも思い出します。
途中で、父に肩車されていても共に濁流の中に放り出されて
、父が素早く私を助けてくれました。
「ジャバ、ゴゴ、ジャバ、ゴゴ・・・」と言っていたのは、
今でも大洪水を見るとそのことは明確な記憶になっています。
しかし、機動隊道場には多分一週間ほど居たのでしょうが、
とても毎日が楽しかったことです。が、帰宅するとDDTが蒔かれ、
その強烈な臭いと白い粉の中に自宅があったことです。
TVで、大水に浸かった店舗、山崩れ、濁流に呑み込まれる車と
この大雨の悲惨さは自然に対してどれほど人間の無力さを知ります。
あの3.11を体験し、竜巻やこの大豪雨という自然の暴力性に対して、
私は「最悪の状態」を危機と呼んでいます。
危機とは、危険な事態を機会=チャンスとして、生き残るだけ、
これが「最悪の状態」=危機から解放される唯一の手法だと思います。
今、この危機解決に向けての新素材開発にもう少しのところです。
「泥水」は人間の存続性を決定的にする、自然の怖さそのものです。
したがって、なんとしても、この泥水を食い止める現実手段が、
私の危機解決の新素材開発につながっています。
そして、このデザインタイトルを「コンシリエンスデザイン」と、
議論を重ねて企画してきました。
自然の暴力性は泥水による激流が最も象徴的ゆえに、
「最悪の状態」からの解放は決して自然との調和ではありません。
『忘れた頃にを想定内に!』
Tags: 3.11, CNN, DDT, コンシリエンスデザイン, 人間の存続性, 人間の無力さ, 危機, 危険な事態, 地球規模, 大豪雨, 大雨・洪水・山崩れ, 天気図表現, 最悪の状態, 機会=チャンス, 機動隊道場, 気圧変動, 気温変化, 泥水, 濁流, 福井の荒川, 竜巻, 自然と人類の調和, 自然の怖さ, 自然の暴力性, 警察官
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8月 18th, 2014 Posted 12:00 AM

「企画書」はデザイナーになってどれほど書いたでしょうか。
バブルの時には、一枚書いてとても高額だったことは今では夢です。
ただし、「企画」と「計画」の違いはほとんど一般化していません。
特に、政府も行政、企業にいたっては無能の有様です。
それは「企画」にしろ「計画」にしろ、いづれも戦略用語ですから、
「戦略」=企画、「戦術」=計画であることも知識です。
企画とは、領土拡大において、どこまで領土を支配する予定書、
計画とは、元来は経画=領土線を縦に引くことです。
したがって、企画とは戦略同様に目標と目的が示されますが、
計画とは、その目標と目的を具体的に空間設定、時間設定を
人間が行うべき行動指針が示されなければなりません。
まずもって、政策策定書・政府内閣から行政の「企画・計画」書で、
私に提示されると、ついつい次の質問をしてしまいます。
これは企画ですか?計画ですか?
目標しか書いていないのですが、目的は何ですか?
企画なのに、どうして具体的な方針が書かれているのですか?
計画というのに、どうして目的だけで行動工程が無いのですか?
となれば、とても嫌な存在になるのでしょう。
こうした批判のためにどれほど仕事を失ってきたことでしょうか。
今や、このようなことはどうでもいいのです。
私は真っ正直に、地道に、目標と目的を見極めた企画を提示し、
その遂行のための行動・実務方針と時間管理の計画を差し出します。
万が一、この企画・計画が実現できない場合は、
この実現を成すべきリーダーが無能である証になるはずです。
なぜなら、時代は「情報時代」であり、「見える化」が当然です。
したがって、私はデザイナーとして、書けるだけ書き残し、
後世にその判断と評価を残すことが可能になっています。
私は、デザインという「絵に描いた餅」作業こそ、
「絵に描かれた餅」だからこそ「食べられる時代」になりました。
だから、「企画書」?を書き残します。
「企画は必ず具現化すること」
Tags: 「企画書」?, リーダー, 予定書, 企業, 企画, 企画書, 実務方針, 情報時代, 戦略, 戦略用語, 戦術, 政府, 政策策定書, 時間設定, 目標, 目的, 空間設定, 絵に描いた餅, 行政, 見える化, 計画, 食べられる時代
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8月 17th, 2014 Posted 12:00 AM

昨日は69年目の敗戦記念日でした。終戦と言ってはならないのです。
私は父が7年半も戦争に騎兵隊として従事しました。
日華事変で招集されそのまま太平洋戦争に巻き込まれました。
戦争時代の話は全く私に語ろうとはしませんでしたが、
高校時代にはかなり食い下がって聞いたことがあります。
大学人になったとき、父からは、南京大虐殺などは無かったことと
「明号作戦」でインドシナ解放・アジア解放に加わっていたこと。
この話だけは伝えろと言われて育っています。
今、日本は「集団的自衛権」での賛否が国を二分していますが、
日本が決定していることは「平和」の本質を熟知していると信じます。
ゆえに、私はこの日を敗戦記念日にすべきだと考えています。
かつて、日本のデザイン界でふざけた連中の会議で、
「こんなやり方では靖国に眠る人々に顔向けができないだろう」と、
これは業を煮やして怒ったことがあります。
その夜に、同時に出席してきた恩師から、
「川崎、あの発言をするからお前は怖がられる」と言われました。
が、現状は顔向け出来ない輩が主導するから、悲惨なことは確かです。
私がこの「右傾」と呼ばれるのは、米国で1990年代に仕事をして、
「イエロー・モンキー」扱いの悔しさがあるからです。
恩讐を乗り越えることなど無理ですし、まして、中国の一党独裁、
拉致問題は許しがたいことは、私の政治思想の根幹です。
左傾化している日本人は、この国に住むべきではありません。
中韓系の論客で反日を声高に語りながら日本帰化パスポート所持は
絶対に認めてはならないはずです。
この甘さがあるからこそ私は右傾という左傾の偏重さを討つのです。
私の父は、70でリタイア後は、従軍事のことを靖国神社にむけて
彼なりの整理と決着をつけていました。
私は「明号作戦」があったからこそ、今日のアジアには、
独立国家が残っていることを明白にすべきだと私もまとめています。
「終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本」
「神の国は、アジアを開放したということ。」
「敗戦で学びながらも、またそうなるのだろうか。」
Tags: イエロー・モンキー, インドシナ解放・アジア解放, 一党独裁, 中韓系の論客, 南京大虐殺, 反日, 太平洋戦争, 左傾の偏重さ, 拉致問題, 敗戦記念日, 日本帰化パスポート所持, 日華事変, 明号作戦, 独立国家, 終戦, 集団的自衛権, 靖国に眠る人々, 靖国神社
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8月 16th, 2014 Posted 12:00 AM

Consilienceという言葉をある教授から与えられて以来、
ほとんど取り憑かれています。
科学と文化、学術と芸術、この「融合」を根本で熟考しています。
私にはまず、疑いがあります。
とりわけ、学際化とは専門領域を融合化するとか言われると、
融合って?となってしまいます。
正直、自分がつかみとって、認識している自覚が無ければ疑います。
それこそ、専門家と公認されていればいるほどそう思います。
かって、日本のトップクラスの研究所での限定された発表会で、
「こいつの発表が全く分からない」と確定したことがあります。
ところが、時代は彼を寵児にしてもてはやしましたが、
その知識の浅薄さは今もそれだけの人間になっているようです。
時代とか、その社会感覚、流行には嘘くささが極めて多いはずゆえ、
それを内村鑑三のある書籍には、その証が書かれています。
また、この基本書に液晶グラスが自分のデザインながら、
これぞ本当に重要なモノです。
100円ショップにまであるようなPCメガネでは何も解決しません。
重要なコトは、青色カットなど意味無く本当は「ドライアイ対策」。
パソコン画面に向かっている特にコンタクトをしていたなら、
ドライアイが目の病気を誘発することは間違いありません。
このデザインには、造形で、技術と医学を融解させ合わせています。
少なからず、二つの専門分野を対象デザインに向けて、
融解することになります。その融解させる工程での合体化です。
言葉の構造上では、必ず、融解+合体=融合は成立するでしょう。
しかし、融合させた結果が化学反応すれば、
融解させて合体化には、元の要素・要因は消滅することもあります。
したがって、融合とは必ずしも、二つの要素が残るわけではなく、
化学反応としての融合があることも認識条件だと考えています。
『PCメガネはドライ・アイ対策でなければいけない』
Tags: Consilience, PCメガネ, ドライアイ対策, 内村鑑三, 化学反応, 学術と芸術, 学際化, 液晶グラス, 科学と文化, 融合, 融解, 融解+合体=融合, 認識条件, 青色カット
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8月 15th, 2014 Posted 12:53 AM

「先端的」、「医工連携」、「融合化」、「統合化」とは、
企業や大学では当然のごとくタイトル化され、いかにも未来性とか、
これは明白な大嘘です。
「先端的」に、先端性など見たことがありません。
「医工連携」で確実な「商品」など存在していません。
「融合化」は絶対にしなければなりませんが、概念不足甚だしく、
「統合化」の困難さを知れば知るほど、無理難題が浮かびます。
企業デザイナーから出発し、身体障害・心臓障害を認定された私は、
絶対に「嘘つき」にはなりたくないことを信念にしてきました。
しかも、大学環境でなければ生きられない人間を沢山見てきました。
大学が輸出産業に寄与しているコト皆無も確認したでしょうか。
不必要な大学だらけのわが国です。
そして、財団法人とか社団法人には、税金逃れと天下りを一杯知り、
こうした学府や組織が、国家形成をしているとは全く思えません。
かって「焚書坑儒」というコトがありましたが、
私はその心境にならざるをえない書籍も山ほど見てきました。
だから「勉強」することこそ「人格を形成する」というこの盲信性、
勉強すれば人格形成できたと思える人物には、まるで実績皆無です。
いい加減なデザイン、デザイナーには「喧嘩」を恐れません。
これから、「コンシリエンスデザイン」で、
真の先端性・医工連携・融合・統合を再整理します。
それは、明らかに「実績実務」をこの世界に差し出すためです。
1603年アカデミア・デイ・リンチェイ=Academia Die Lanceが、
最初に「見えざる大学=invisible college」を提唱し、
専門分化された領域が提示した融合と統合による「パラダイム」。
これはまだ未完のままゆえその画期的な概念やデザイン方法論こそ、
「コンシリエンスデザイン」に成るものと確信し、
その定本的な書籍から勉強ではなく、認識力を獲得します。
Tags: 1603年, invisible college, アカデミア・デイ・リンチェイ, コンシリエンスデザイン, デザイン方法論, パラダイム, 人格形成, 先端的, 勉強, 医工連携, 喧嘩, 嘘つき, 大学環境, 天下り, 定本的な書籍, 実績皆無, 心臓障害, 概念不足, 焚書坑儒, 無理難題, 社団法人, 税金逃れ, 統合化, 融合化, 見えざる大学, 認識力を獲得, 財団法人, 身体障害, 輸出産業
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8月 14th, 2014 Posted 12:00 AM

Vividusというラテン語は英語ではVividになります。
日本語では簡単にVividカラーと呼んでいますが、
元来「V」には生命力という意味がヒエログラフとしての象形が
秘められていますから、Vividにはもっと深遠な定義があります。
さて、気づいてびっくりですが、すでにメガネフレームデザインは、
「Kazuo Kawasaki」ブランドでシリーズ化されて30年になります。
当初、メガネフレームのデザインでは、
かつてヘッドホンデザインに取り組んできた経験が役立ちました。
しかし、日本にはメガネ加工士=オプティシャンと、
眼鏡鑑定士=オプトメトリスト(大学で医師教育と同等6年)という
眼鏡医師=日本なら眼科医の制度がありませんから、
無資格であっても簡単に眼鏡店経営が出来てしまいます。
私ブランド商品販売は訓練された加工士と鑑定士能力のお店だけです。
しかも、今では3プライスの廉価店が無知識なTV-CMを放映して、
常識操作まで行っている有様です。この宣伝にはあきれます。
私が産みだした、「アンチ・グラビティ」という体感軽量さや、
「アンチ・テンション」構造のレンズ応力無負荷は模倣されてます。
さらに、最近ではモニター対応のPCメガネなどは、
青色カットだけを広告訴求していますが、まったく無謀です。
モニター対応は「ドライアイ対策」が肝心ですから、
私の「ウインクグラス」が唯一の製品です。
いづれにしてもメガネフレームのデザインは牽引していくつもりです。
だから、この記念モデルは、カラーイメージではスポーツ的な
いわゆるデュアルVivid Color=二色組み合わせと、
確実な「アンチ・テンション」構造を実現しています。
これだけのカラーに対して、もう一つのカラー製品がありますが、
それは店舗毎の販売キャンペーン対応を準備しています。
Vividusゆえの「生命力」がなぜ二色カラー組み合わせなのかは、
この30周年記念での物語りデザインにしていくつもりです。
Tags: 「Kazuo Kawasaki」ブランド, 0周年記念, 3プライスの廉価店, PCメガネ, Vivid, Vividus, Vividカラー, アンチ・グラビティ, アンチ・テンション, ウインクグラス, オプティシャン, オプとメトリスト, デュアルVivid Color, ドライアイ対策, ヒエログラフ, 二色組み合わせ, 応力無負荷, 無知識なTV-CM, 物語りデザイン, 生命力という意味, 記念モデル, 青色カット
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8月 13th, 2014 Posted 12:00 AM

ユニバーサルデザインからHCD、そしてインクルーシブデザイン。
design for allという概念の変化とともに、
デザイン活動の背景論理をその表現意図と内容にしてきました。
「障がいは否定的なものでない。新たな解釈であり、
わくわくするものである。」という帯文の
「インクルーシブデザイン」の書籍を読むと、障害者としての自分は、
障がいとは否定的どころか、なんとしても肯定することを言い聞かせ
新しい解釈などが、出来るわけがありません。
まして、わくわくする?・・・ふざけた発想だ!と怒りが走ります。
本来、インクルーシブとは、エクスクルーシブとの対立概念と、
比較し、その差異性を会話形式で位置づけることが基本です。
それはエクスクルーシブ=排他・排除として対立概念にしないこと、
この知性が根本的に大欠落していることであり、
あたかも「インクルーシブデザイン」という嘘つき構造に気づきます。
したがって、昨夜は「コンシリエント(形容詞)デザイン」を、
これからの活動タイトルにしてきましたが、
阪大で論議をして、名詞+名詞(動詞)に決定しました。
かつて、エコロジカルデザイン賞をGマーク賞にするときも議論し、
エコロジーデザイン賞にした概念検討を思い出しました。
[正直、現在のGマーク審査は根本原則を喪失しています]
[応募し、審査するだけの審査委員能力の欠落を断定します]。
それまでは「地球にやさしい賞」にエコロジーへ変換した話です。
それはエコロジーとは何か?だから形容詞接頭語を辞めて、
「何がエコロジーか?」というデザイン、この意味と問いかけでした。
したがって、「インクルーシブデザイン」という概念間違いではなく、
「コンシリエンスデザイン」こそ、自然科学+人文科学の融合を
さらに、「医工学」では何も実現出来ないがゆえに、
看護学・保健学でさらに強化をして、融合から統合化する実務こそ
「デザイン看医工学」を「コンシリエンスデザイン」に決定しました。
それは、看医工学という学術性を産業実績的な効果と成果のために、
「何がコンシリエンスデザインなのか?」を基礎概念にしました。
その専門家をこれから阪大が人材育成していくということです。
consilience
agreement between the approaches to a topic of different academic subjects, especially science and the humanities.
Tags: design for all, HCD, インクルーシブデザイン, エクスクルーシブとの対立概念と、 比較し、その差異性を会話形式で位置づけるこ, エコロジーデザイン賞、名詞+名詞, コンシリエンスデザイン, デザイン看医工学、Gマーク賞, ふざけた発想, ユニバーサルデザイン, 会話形式, 何がエコロジーか?, 何がコンシリエンスデザインなのか?, 効果と成果, 嘘つき構造, 学術性を産業実績的, 対立概念, 差異性, 排他・排除, 新たな解釈, 背景論理, 表現意図と内容, 障がい
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