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『バラマキ土産を伝統工芸とは「ふざけるな」です』


   


     12月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM

「オリンピック・パラリンピック」の「儲け話」がここまで酷いとは?
伝統工芸品等の東京2020公式ライセンス商品化の案内が来て、
産地がともに盛り上がるのであればと考えました。
そもそもロサンゼルス大会から、商業主義が発生してきましたが、
まったく、違うやり方でした。
私は越前打刃物と越前和紙に、最初は「こうやれば」と望んでいました。
打刃物の産地、和紙の産地にも参加してもらって、
プロモーションになるから、細かく企画を練っていました。
ところが、主導しているのは株式会社47CLUB、
これは全国45社46紙の新聞社でした。
46紙の新聞社が「伝統工芸」に目を向けたのですが、
その契約や流れをみると、技術や後継者を必死に育んできた
「伝統工芸」を使って開発した商品は
「産地名はいらない」という契約です。
私は、「それはインチキだ」、と二つの産地に言いました。
大切な産地を、単に「バラマキ土産」をつくる、
そんなことに巻き込んで欲しくないのです。
「オリンピック・パラリンピック」関連商売として、
新聞社が伝統工芸を利用していると判断しました。
それこそ、和紙の産地は、
世界遺産の当初のエントリーからもれました。
1500年の伝統ある産地ですが、
後継者が地域として育成されていく体制づくりが必要でした。
そういった問題もようやくクリアされ、
「越前和紙」もユネスコ世界遺産の産地です。
が、全然メディア報道がありません。
だったら新聞社で1300年の産地がなぜ駄目だったかを知らせるべきです。
また、越前打刃物は「伝統工芸」では世界的などんな産地よりも活発です、
親方と後継者が産地を、まだまだ高めています。
「オリンピック・パラリンピック」は純粋にスポーツ競技を応援します。
産地とともに、まったく新しい企画をたちあげます!


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『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』


   


     12月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

「和食」はユネスコ認定されましたから、
ともかく日本の食文化全体が伝統文化としてグローバルな認定でした。
しかし、「和紙」でユネスコ認定されたわけではありません。
ひたすら和紙産地が、国内の中でも「自分たち」だけを
官僚経由でユネスコ認定を勝ち取って自分らが本物と主張しただけです。
厳密に言えば、1300年の歴史は1500年の越前和紙との、
私が絶対に許せない「差別化」謀略を完成させただけのことです。
したがって、「和食」は農林水産省の仕事であり、
「三つの和紙産地」認定は文部科学省の仕事だったことです。
日本人だって、ユネスコ認定での日本国内の取り決めなどは全く、
私たちは知るわけがありません。
私も、福井県選出の国会議員と一緒に文科省のお役人から、
詳細を聞かされて知ったというわけです。
認定された和紙も楮に限定されています。これが文科省の仕事?
雁皮の困難さ、土佐楮は選ばれず、溜漉き、黒漉き無視なんて
本当の和紙技能は選外ですから。
冗談じゃない!、申し上げたい、お役人に何が分かっておられるのか、
しかも、マスコミのバカどもは、和紙でドレスが出来る?って、
それは和風紙(純楮ではない紙パルプの草紙)です。
知性無き文科省の官権を、絶対に認めない人間がいます。私です。
それは私だけでなく、極めて悟性ある多大な仲間がいます。
ユネスコ認定自体を、私は実物と歴史性そして伝統的制度論で、
海外アピールする覚悟でいます。
なんと言っても、越前和紙から和紙が全国各地に伝承されたことを
私自身が熟知と経験から、文科省のこの認定を海外から壊します。
海外のデザイナー仲間は絶対に私を全信頼しますから。
なぜ、私がこの覚悟と決意をしているかは、
文科省の認定に関わり、私に説明した担当者の偉いさん達、
じっくりと再考を真摯に、そして激烈に私は求めます。
メールも平然と無視できるそのような人たちです。
もちろん、この認定を取り付けた産地は和紙づくりに真剣でした。
この認定を知った後で、あわてふためいた産地は猛省を、そして、
首長の知事や市長は、全く伝統には無知だったと指摘しておきます。

『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』
『享保の手帖から私が学び直したこと』
「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
「越前和紙から名塩和紙への悲しい物語り」


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『享保の手帖から私が学び直したこと』


   


     11月 3rd, 2014  Posted 12:20 AM

母方の血筋は宮大工です。祖父は最後の宮大工でした。
伯父から残っている宮大工関連の図面や代々語り継がれた家訓と
現代でのメモ、手帖を譲りもらいました。
写真の手帖は達筆とはいえない仕事関係の命令書的な記載があり、
それは享保19年ですから1734年の記述です。
図面は、発想が広がれば用紙は付け足され、正面図が描かれると、
その用紙の裏面には背面図がそのまま描かれているのです。
私は数十枚の図面を徳川美術館で修復をしてもらいましたが、
最も私が気を引かれたのが、和紙でも泥漉きの紙でした。
私が越前和紙の産地に、最初訪れたとき、いきなり言われたのは、
私がデザイナーだと言った瞬間「帰ってほしい!」と言われました。
それはどれほどデザイナーというのが産地を壊していたことです。
だから、何度か訪れて心を開いてもらった方はもう逝かれましたが、
世界各地で手漉き和紙の実演をされていたのです。
彼の跡継ぎ連中と私は「オータキペーパーランド」を創りました。
今では、その連中の子ども達はFBしてくるまでに成長しました。
彼は、「父親を人間国宝にしたい師匠」だと言ってきます。
だから、今、デザイン活動をまとめてしていませんが、
私は自分用の和紙を発注することができます。それは絶対に、
街中にある和紙の専門店=ほとんどが和風紙=半草紙です。
私は半草紙が駄目だと言っているのではありません。
なぜなら、本物の楮紙や雁皮紙などはとても高額です。
そのようなモノは絶対に今の市場では「商品価格」がつけられません。
余程、工芸紙であるという納得がいるわけです。
いかにも1300年の歴史でユネスコ認定という前に、
1500年の越前和紙産地が選外になることは三つのことを示しています。
まず、「和紙」でなぜ登録しなかったのだろうか?
全国各地の和紙産地を区別して、伝承性の保護など無意味です。
ユネスコ認定で毎年どれほど行政は支払うのでしょうか?
無償だとするなら、和紙業界に大きな差別格差をつけたことです。
なんとも納得できません。
そして、低レベルなデザイナーがハエのように出てくるでしょう。


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