kazuo kawasaki's official blog

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11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 14th, 2013  Posted 7:10 PM

11月16日 壬申(赤口)

狂っている。
狂っている痛さは、
「痛い!」とさえ感じなくなる。
痛みと快楽を往復している自分は
狂っているのだ。

『デザインの極道論』いたい


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9月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 14th, 2011  Posted 9:54 AM

9月14日 壬申(赤口)

狂っている。
狂っている痛さは、
「痛い!」とさえ感じなくなる。
痛みと快楽を往復している自分は
狂っているのだ。

『デザインの極道論』いたい


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9月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 14th, 2011  Posted 12:49 AM

9月13日 辛未(大安)

人は過ぎ去った時間の中から、
時折痛さが舞い戻ってくる
ような間隔をもつ。

この感覚は、
快楽の思い出とは裏腹のものである。
が、痛さが快楽ともつながってくる
感覚を求めようとすらし始める。

『デザインの極道論』いたい


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9月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 13th, 2011  Posted 12:07 AM

9月12 日 庚午(仏滅)

肉体的な痛みはモルヒネで
押し殺すことができても、
心の痛みを取り除くことはできない。

時間が癒してくれるという話を
私は信じない。

時間の経過の中で、
場合によっては別の痛みすら
引き出すことだってあるわけだ。

『デザインの極道論』いたい


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11月24日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 24th, 2009  Posted 5:41 PM

11月24日 大安(癸酉)

時折、
私は現代の情報にかき回され、
呆然とせざるを得ないときがある。
それは痛さを忘れている
混純とした社会のなかで、
痛みとはどういうものであったのかを
思い出そうとしても思い出せないでいる
わけだ。

『デザインの極道論』いたい


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