7月 6th, 2019 Posted 12:00 AM
GSといえば、ザ・タイガースを思い出します。
大阪の難波にあったジャズ喫茶「ナンバ一番」に入ったところ、
生の歌声を聞きました、浪人時代でした。
そこには、浪人である私たち3人と、あと観客は3人だけ。
6人の観客相手に、圧巻のステージで上手くて「凄いな!!」でした。
しばらくして、タイガースがテレビに登場してきました。
それこそ、GS=グループサウンズでズーッと一番人気でした。
ところが、私にとってはそのうちザ・ジャガーズへと気持ちが移り
こちらが最高のメンバーだと、よく音楽を聴いていました。
最近はYouTubeで確かめられることが多いので、
リードボーカルの岡本信の歌声を再び聴いています。
残念なことに、10年前に彼は旅立っていました。
いつまでも、青春時代の彼の音楽を聴ける現代の環境は嬉しいです。
当時はいわゆる流行歌手はやはり歌唱力がありました。
AurexのCDやカセットで、これらを聴いています。
今では誰も覚えていない安達明もCDで聴きます。
ただし私のスピーカーシステムでは、
GSは絶対に聴かないことにしています。
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Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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12月 24th, 2011 Posted 12:00 AM
震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。
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Posted in 祈望から企望へ
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