12月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
12月 6th, 2020 Posted 12:00 AM
目次を見る
11月 16th, 2017 Posted 12:00 AM
金沢美大の産業美術学科・「工業デザイン専攻」は、
当時、工業デザインというのは先進的だったと思います。
しかし、工業デザイン関連の書籍・雑誌は皆無でした。
まだ「工業意匠学科」とかでグラフィックも「商業デザイン専攻」でした。
だから、洋書・洋雑誌だけで、建築・アートだけが学術的でした。
しかし、私の論理性=思考基軸を支えてくれたのは、数雑誌ありました。
その中で、「遊」と「エピステーメー」、「SD」と,
あとは美術手帖・数理科学・現代思想だけでした。
「遊」は松岡正剛氏に憧れ、工作舎に転職すら考えていました。
後に松岡氏に出会い作品集帯文まで書いていただく仲良しになりました。
「エピステーメー」はとても解読困難で、
ここから哲学や現代思想や宗教論に入りましたが、
終巻号は、いくつかの書店を回って銀色の本を寂しく抱えて帰りました。
「遊」・「エピステーメー」が消えた頃、
「へるめす」で中村雄二郎先生の「知」にのめり込み、
やがて、先生連載にイラストも描くなど随分と親しくさせていただきました。
具体的には建築数誌の雑誌があり、懸賞論文に応募しました。
最優秀論文はその書き出しで、自分の敗北を認めました。
「この都市には記憶がない。・・・」
私は集落として都市論を書きましたが完全に(負けた)と思ったほどです。
やがて、その建築家・彦坂氏に出会い、この話をして彼に仰天されました。
そしてSDの最終号では「ユニバーサルデザイン」の商業主義を非難し、
「ヒューマンセンタードデザイン」を二人で書き上げました。
なぜなら、「ユニバーサルデザイン」を紹介したのも彼と私だったからです。
「へるめす」は哲学・建築・現代音楽ときわめて上品な雑誌でしたが、終了。
ちょうどジョンレノンが射殺されたことで、私は自分の青春を終えて、
福井にもどりましたが、その時に「日本記号学会」に入りました。
まだ大学人になるなんて考えていないときでした。
かなりの数の学会は大学退任とともに脱会しましたが、
日本記号学会は今も会員です。
それは学会誌=書籍が読みたいから、それだけです。
今や、デザインをとりまくこうしたほぼ「記号論的な考察」の雑誌は、
なんと「iichiko」のみかもしれません。
友人であるグラフィックデザイナーであり、東京藝大名誉教授の河北氏が、
スタッフに、哲学者たちも編集までを任せて季刊誌を出してくれています。
結局、こうしたように雑誌や小冊子すら消えていくのは、
日本人の知能レベルが低下しているとさえ私は思っています。
だから、デザインされた形態言語すら読めない、あるいは盗用する、
この風潮から、一刻も早く脱皮すべきでしょう。
* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『ユニバーサルデザインの原意』
* 『やっと4冊目の作品集が出来上がった!』
Tags: SD, アート, イラスト, エピステーメー, グラフィック, ジョンレノン, ヒューマンセンタードデザイン, へるめす, ユニバーサルデザイン, 一刻, 上品, 中村雄二郎, 会員, 低下, 作品集, 作品集帯文, 先進的, 哲学, 商業デザイン専攻, 商業主義, 困難, 大学退任, 学会誌, 学術的, 宗教論, 射殺, 工作舎, 工業デザイン専攻, 工業デザイン関連, 工業意匠学科, 帯文, 建築, 建築家, 建築数誌, 彦坂, 応募, 思考基軸, 懸賞論文, 敗北, 数理科学, 日本記号学会, 書き出し, 書籍, 最優秀論文, 松岡正剛, 業美術学科, 洋書, 洋雑誌, 現代思想, 現代音楽, 知能レベル、形態言語、季刊誌、編集 、iichiko, 終巻, 美術手帖, 考察, 脱会, 脱皮, 解読, 記号論, 記憶, 論理性, 転職, 連載, 遊, 都市, 都市論, 金沢美大, 銀色, 集落, 雑誌, 青春, 非難, 風潮
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
5月 27th, 2014 Posted 12:00 AM
「東京」、一極集中は昭和から今なおさらに強まっています。
地方から東京への想いは、この代表的な団塊世代の歌手たち、
彼らの「東京」詩情があって歌謡曲のタイトルに象徴されました。
矢沢永吉=広島、やしきたかじん=大阪、松山千春=北海道から
それぞれの歌詞内容に彼らの東京への想いが歌われました。
しかも、すべてが昭和の時代であり、私と同世代のきもちでした。
彼らがふるさとから、東京での自己表現をめざし、
あきらめというよりも、都市構造を見透かした歌手たちでした。
私にとっての東京時代は7年間定住でしたが、
その後は、距離をとって傍観し、月1上京しています。
最も「変だ!、おかしい!」と思っていたのはバブル時期でした。
その頃、東京がバブルだとは福井にいた私には不明でしたが、
ちょうどその当時はApple本社・クパチーノとの関係だけの仕事。
東京から来訪するプロデューサーと称する人たちの異様さは、
今も明確に覚えていますが、彼らは今、存在していません。
東京一極集中は、現在、ますます勢力を露わにしています。
比して、廃村ということばを辞めて「終村」らしいのです。
私は日本列島の集落=村体制づくりにこそ新政策が必要でしょう、
が、その政策、村づくりデザインは行き詰まっていると感じます。
ひょっとすれば、「東京」と謳われた時に、
現在のシャッター通りまでが予知されていたのかも知れません。
私のふるさと福井県も人口は80万人を減少させています。
月1回、帰省する度に私は精彩を欠いていくふるさとを知ります。
この「都・対・鄙」に、私は鄙びと=雛美人デザイン論、
これを若き日に書きましたが、伝統工芸にだけ適用させました。
おそらく、3.11以後、さらに一極集中が強靭化するなかで、
私はあらためて雛美人デザイン論が必要だと思っています。
「終村」は決して言ってもつくってもいけない観念です!
Tags: 「東京」, 「終村」, 「都・対・鄙」, Apple本社・クパチーノ, シャッター通り, バブル時期, 一極集中, 伝統工芸, 団塊世代, 廃村, 昭和, 村づくり, 東京一極集中, 歌手, 歌謡曲, 自己表現, 観念, 鄙びと, 集落, 雛美人デザイン論
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
6月 7th, 2011 Posted 12:23 AM
Tags: 光景, 幸不幸, 引き津波, 彗星・日食・月食・暴風雨, 文明の基本, 現代都市社会, 生と死, 自然と人間の調和, 自然の風景力, 自然現象, 集落, 風景, 風景画
Posted in 祈望から企望へ
11月 8th, 2010 Posted 12:00 AM
一極集中・東京
集落は都市と地方に分化しています。
都市=都と地方=鄙、この分化も裏表があります。
ただしこの裏表は明確ゆえトポロジー性の判断はまだ不可能です。
トポロジー性とトポロジー的は使い分けなければならないでしょう。
あらためて記述していくつもりです。
都市についてわが国は東京であり、全国地方は鄙になっています。
東京=都、この一極集中に限定されています。
「地方の時代」というアジテーションはまさに木霊したままです。
私は地方の崩壊は、第一次産業と呼称したところでの産品、
農産物・海産物への政策介入が巨大かつ専制的だったからだと判断しています。
現代、わが国はすべからく第三次産業が拡大しています。
敗戦トラウマ
そして、資源の無い貿易立国で生きなければならない日本の宿命は、
次の二点です。
ひとつは一極集中化はそのまま人口の偏在化につながり、
まさに第三次産業にも集中していることです。
そして、この集中化は地方においても同等の傾向があります。
もうひとつは、新たな産業化・業態の変化に東京も地方も無自覚であり、
意識改革は政治政策よりも企業政策に依存し過ぎていることでしょう。
この傾向に配置され続けてきた大きな政策には根本的に「敗戦トラウマ」が残存していることです。
東京のローカル化・グローバルという虚構
かってわが国の社会構造は、ドイツ的集落構造の呼称が見事的確だったと思います。
ゲゼルシャフトとゲマインシャフトでした。
しかし、本場ドイツにおいても、この集落構造は分断と分化が起こっています。
これはまさしく、資本主義の急変そして崩壊と連鎖しているように私には思えてなりません。
この言葉は今や、ローカルとグローバルに飲み込まれたと考えるべきでしょう。
私は、一極集中の東京は地方都市でもその相似形が派生していることに、
ある種この問題解決のヒントがあるとイメージしています。
それは、日本そのものがローカルとなりグローバルがどこなのかはまさに虚構です。
その虚構は「情報空間」に集中、いや収束していると再考しています。
Tags: グローバル, ゲゼルシャフト, ゲマインシャフト, ドイツ的集落構造の呼称, トポロジー性, トポロジー的, ローカル, 人口の偏在化, 地方=鄙, 地方の時代, 情報空間, 敗戦トラウマ, 第一次産業, 第三次産業, 農産物・海産物, 都市=都, 集落, 集落構造は分断と分化
Posted in 057「グローバリゼーション」, 資本主義から逃走せよ!