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Posts Tagged ‘金融工学’


『「モノづくり」国家観を再度、商品分類で把握すべき』


   


     11月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

日本は絶対に「モノづくり」の国家観を
忘れてはならないのです。
おそらくIT産業での金融工学的な手法では、
1000社のベンチャー企業は30年後には2.8社しか残りません。
特にベンチャー企業はいわゆる企業合併(乗っ取り)で
企業資産を増加させていく時代は終焉しました。
「モノづくり」国家観をPPM よって、企業の利益を
明確にしているメーカーは見たことがありません。
自分はStar商品・Cash Cow商品・Problem Child・Dogということを
視覚的な分類をしていくと、たとえば何故、伝統工芸産業や
地場産業が低迷していくかを図解的にメーカー=製造業での
商品分類が明確になります。
伝統工芸にしろ、地場産業でもStar商品は皆無と言って良いでしょう。
そこで、Problem Child商品内の吟味によって、
ここにStar商品をデザイン、それも付加価値ではなくて、
全体価値で産出することで、これは金のなる木商品にすることが、
絶対に可能になる論理をまず掲げ、価値創出による商品戦略を
もう一度、日本の「モノづくり」を、生まれ成すべきと考えています。
かって鉄鉱石を輸入し、その加工に付加価値を込めれば、
それが日本の基幹産業になるけれど、デザインは全体価値ということを
自分は40数年間主張してきました。
衰退していく伝統工芸産業も地場産業も、もう一度、
デザイン=価値創出をStar商品によって産出すべきだということを
自分のデザイン戦略にしたいと、具体例を産業創成化していく覚悟です。
「KK適塾」では、この具体例を見せることを考えています。
デザインは決して「机上の論理」ではなく、付加価値でもありません。

* 「危機解決産業の創成は3D-PRINTING中核重要拠点として活動」
* 『次世代デザイナーへの手本になりたい事例を発表予定』
* 「ブランドは付加価値ではないということ」
* 『ようやく出版されたDEO=デザイナーのあるべき職能観』
* 『愛着と愛用がデザインの全体価値である』

 


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『資本主義からの逃走』
 「社会主義実現のための市場経済論の見事さ」


   


     2月 23rd, 2010  Posted 10:00 AM

生産力強化への
学びとしての模倣
「南巡講話」によって、「市場経済論」は、
多言語・多文化である中国在住大衆=「中国人」を、
統一する見事な教条主義であり、共同幻想付与論でした。
日欧米は、資本主義に立ち入ってくるこの論理の策略を
見過ごしていたのではないでしょうか。
無論、中国での反体制者たちへの、
「弾圧非難」の正当性こそ、
自由主義であり民主主義の本意意識だと、
批評したに過ぎなかったのではないだろうかと思います。
以後、チベットへの侵攻弾圧、国内での統制監理の強化は
共産党一党支配を専制政治を圧倒的なものにしました。
大きく見つめ直せば、三つの根幹があります。
● 生産力を「個人化」させて、収奪と富の集中支配
●「個人力」をあたかも自由さだと情報統制の徹底
● 国家権力=一党専制支配力は軍事力の増強へ結合
この三つは、生産力強化のみが経済と計画の基盤という、
見事さだったものと考えざるをえません。
具体的に言い換えてみましょう。
生産力は「商品価値」づくりです。
その「商品価値がもっともアイコン性あるモノ」を選別、
すなわち、日欧米「ブランド価値の模倣」です。
これはわが国も、
敗戦直後にモノマネ・コピーの経験に重なります。
「生産力の強化育成、その即効性」を得る手法は、
産業発展史では同等です。
「あなた方は、モノマネ・コピーは学び構造ですから、
どんどんやりなさい。そして苦情は国家が謝罪をします」。
こんな中国の市場経済の裏構造が見え隠れします。
そこに、米国での「金融工学」には、
大きな失策がありました。倫理観の大きな欠損です。
倫理性は中国同様だったものと判断せざるをえません。

北京オリンピックと上海万博が実現します。
この二つが、
市場経済論と一党支配軍事力統制はまだまだ不明ですが、
明確に成功したのは、日本からの収奪は侵攻しています。


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『資本主義からの逃走』
  「デフレ・スパイラルは、極度な鬱病」


   


     1月 3rd, 2010  Posted 8:00 AM

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鬱病景気

21世紀になって、10年目を迎えます。
新しい世紀が「革新」だという情報操作に、
全世界が期待しました。
ところが、「宗教戦争」という名の「資源剥奪戦争」は、
金融工学という詐欺工学で世界を「鬱病景気」へと
落とし込んだのです。
その時点で、「大学」という科学と技術と思考の学府は、
世界中の大学が破綻したのです。
そのことに気づいている大学学長はほんのわずかです。
この予測は二人の人物が指摘していました。
この二人を特定すらできない大学人だらけです。

日本は、イノベーションを「技術革新」と訳したときに、
もう取り残されていたのかも知れません。
これが私なりの検証です。
イノベーションは「景気循環の起因論」でした。
だからインフレーションはその「景気循環の疾病」だと、
日本のいわゆる経済評論家は誰も指摘もしていません。
理由は簡単です。
日本で「経済」は文科系学問であり、
計量経済学もそれほど理系要素を教えられる大学の存在を
私は知りません。
「マルクス」に乗っ取られてきた大学もひょっとすれば、
敗戦とともに情報操作されていたのでしょう。
「インフレーション」はどれだけ日本の「経済学」で、
教えられ、学ばされてきたことでしょう。
けれども「デフレーション」の核心、
ましてその対策を戦略化できる経営者は、
彼らの経験的「野性」に頼るしかありえないでしょう。
「イノベーション」と「インフレーション」の構造は、
「デフレーション」へのトリガーを内在していました。
だから「デフレスパイラル」なる「不景気=鬱病」を
臨床的に治療できるのはデザインという理想主義です。

理想主義実践者=一部のデザイナー

けれどもデザインといってもデザイナーではありません。
デザイナーという職能家すべてが、
その治療ができるはずはありません。
私はそれをやるつもりです。


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『資本主義からの逃走』
 「吉凶吝悔を記憶から・・・」


   


     10月 6th, 2009  Posted 9:29 AM

「吝」と「悔」という古代中国の要素概念=易経がありました。
この概念は、半分のみ、わが国では利用されてきました。
「吉凶吝悔」という四句が分断されて、
日常化してしまったのです。

いわゆる使い慣れてきた「占い」です。
「大吉・中吉・小吉とか大凶・中凶・小凶」です。
つまり乾坤陰陽に「吝」と「悔」があります。

私は、資本主義と民主主義をこの乾坤陰陽、
この易経的な東洋思想で見つめ直す必要を
今、もっとも感じています。
民主主義の「吝かさ」(やぶさかさ)と
資本主義への「悔い」(くい)を
再検討するのが日本の役割だと考えるからです。


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『資本主義からの逃走』
 「修の行学から、イデオロギーデザインへ」


   


     10月 4th, 2009  Posted 11:29 AM

 ● 私は、民主主義の欺瞞性は、
  「多数決」にもっと疑いを持っています。

 ● 私は、資本主義の正当性は、
  「差別化」経済論理に不信を持ってきました。

 たとえば、
資本主義での社会福祉行政などは
絶対に不可能であったのです。
競争原理では福祉は慈善事業でのみ可能です。
それは、A.スミス「見えざる手」に従えば、
資本主義を推し進めるほど、
「最大多数の最大幸福」とベンサムに言わせましたが、
これは嘘です。
「最小公倍数的」な少数派は、「自助独立」だけが、
資本主義社会で生き延びることが可能です。

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M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も
キリスト教条の強行を穏やかにさとされたものでした。
max_weber

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日本の慈愛も慈悲もなかったのです。
それを私たち、日本人はなぜ信用してしまったのでしょうか。

「戦後民主主義」に、
私は本当になじめなったかとことを告白しておきます。
私は歴史となっている「東京裁判」を
あらためて、見直すべきだと考えています。

「明号作戦」(wikipeadia)が、
どれほど東アジアを開放したかを私はここで書き残します。
それが、「修・行学としてのデザイン」です。
私が日本人デザイナーとしての、基礎的なイデオロギーなのです。


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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみ、松柏後凋の心を語り継ぐ」


   


     9月 29th, 2009  Posted 9:36 AM

私は、米国内でも「資本主義の失敗論」が
最近は語られ始めていることに、多少、期待感があります。
しかし、それらは大きな間違いの論評が多いと感じています。
彼らは結局2008年に資本主義が失敗し失速状況に入っている.
と考えているのが余りにも多いことです。

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米国は、二大政党の入れ替わりによって、
自国の利得主義を第一義にし、
世界の先導国家意識に浸りきっています。
けれども私は、
日本人ゆえの、三つの争点を上げておかなければならないでしょう。

●「情報化時代の到来によるポスト工業下意識主義の終焉」は、
まず、西ドイツで予測(=意識社会化)されていたという事実を、
米国が主導したという勘違いがありました。
そのことは東西ドイツによって
「ベルリンの壁の崩壊」(*Wikipedia)=「社会主義の終了」になっていったのです。
実際的にもこの時点で、資本主義も終焉していたのです。
そのことに気づくことない金融工学という幻想学識の拡大と実践に、
資本主義のさらなる進歩というこれは妄想に米国は取り憑かれていきました。

●次に、共和党の「保守性」は、これも米国主導での中近東対策でした。
それは、天然ガスの剥奪戦=テロとの戦いとしていく9.11事件で、
さらに彼らは、その「保守性」の強固な保全、口実の明白さづくりに入っていきました。
その反省があったにもかかわらず、
今度は民主党の「保守の保全」がいかにも「革新」と言わんばかりに
アフガンのベトナム化再来に向かっています。

●そして、疑似資本主義である「市場経済主義」という社会主義を
中国全国民に隠避している中国の台頭は、
米国の予想以上であったのではないかと私は推測しています。

はてさて、この三つの誤認識を真正面から米国に指摘できなかった日本は、
アジアでの存在感を失って取り残されているという次第です。
「誰か知らん、松柏後凋の心を」と私はもう一度、
書き改める役割を感じています。
この役割は、橋本左内の辞世の句を持ち出すことです。
しかも、この重圧を生涯持ち続けなければならなかった福沢諭吉の存在です。
その代表的著作「文明論之概略」に集約し、
そこで語り残せなかったことにまで遡及しなければなりません。

bunmei


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_01


   


     2月 13th, 2009  Posted 1:03 PM

1
華甲になるから、私発言を始めます。
「金融工学はマルクスが言い出したのです」

090217shihonron

もう「資本主義はすでに終わっている・・・のに」!
何を血迷って、不況だ不景気だ!と騒ぐのかと思います。
すでに、こうした事態を予想しておくべきだったのです
そう思うと、三度目ですが、『資本論』を読み直すことにしました。

高校時代に読んだことがあります、全巻です。
大学時代には、結構懸命に読みました、大学生の基本的な知識だと思っていましたから
結果、よく『空想と科学』で共産主義に染まるものだと言わます。
しかし、私は、なんとも、こんな考え方は「全く間違っている」と思ってしまったのです。
だから当時もっとも盛んだった学園闘争など、本当に馬鹿げて見えていました。
それより、美大の実習課題をやりとげることが、苦しくもあり楽しいし懸命になれました。
マルクスの『資本論』は、高校と大学時代には、岩波の文庫本でしたが、
今度は思い切って、「全3巻5冊」というハードカバーを買い込みました。
1949年(私の生年)に、『マルクスの数学遺稿』というのが発刊されています。
すなわち、金融工学の始祖は、マルクスです。
これすら明言している学者は皆無です。
この「遺稿」は、エンゲルスに「導関数」を教えるノートだったのです。


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