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Posts Tagged ‘連動’


08月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 24th, 2017  Posted 1:45 AM

08月24日 先負(癸未)

機能主義は機械論、
つまり文明論の主要骨格である。
そしてこの文明論は
人間工学と連動し、
戦争に最も近接している
学問になった。

川崎和男の発想表現手法


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08月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

08月16日 赤口(乙亥)

重量感は市価と連動している。
重さがある価格帯に適合する。
軽い、軽すぎるアイテムと
重い、重すぎるアイテムは、
明確に、区別と分別が
センスに関わっている。

川崎和男の発想表現手法


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07月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

07月20日 先勝(戊申)

発想は、
「点・線・面」にあり、
それは光造形から3Dプリンターと
「三角形・四角形・円」にあり、
これは図解する行為に
発想へと連動する。

川崎和男の発想表現手法


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『デザインのようなデザインという大誤解の現実がある』


   


     5月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン」への大勘違いが格段と増殖しています。
正直、この紹介は「怖いこと」であり、
みんなが「沈黙して決して語らない」という風潮が蔓延しています。
しかし、現状の一般認識が「これがデザイン」ということはプロとして、
見過ごすことが出来ません。
「サイレントユーザー」として生きようという決心がすでに「変」です。
無論、それぞれの出来映えにはいわゆる「努力の足跡」があります。
その否定ではありません。
こうしたデザインされたかのような「デザインのような」性質、性能
それを社会制度が黙秘していることに、機能も効能もガラパゴス化して
「日本の危機」が明確だということです。
社会制度は「たかがデザイン」という扱いが明白ゆえに、
敢えて訴求します。
「これらはデザインのようなモノ」に過ぎず、
「デザインでは無い」という再宣言なのです。
しかも、これらはすべて実現していて規制事実なのです。
デザイナーとして、大学人として、懸命かつ賢明に生きてきた者として、
「悲しくて哀しみ」に突き落とされています。
「それならお前のデザインは」、というブーメラン効果が来るでしょう。
向かい合って、決闘する覚悟もし、決意もしています。
まず、「コンセプト」だ、「イノベーション」だ、「デザイン思考」だ、
という発想から解放されるべきです。

「デザインとは何か」が終焉してきたことを主張してきました。
「コンシリエンスデザイン」で三つの定義をしました。
 ● 「問題解決の『応答・回答・解答』があるだろうか。」
 ● 「価値の創出が実現しているだろうか。」
 ● 「未来の創成に連動していくだろうか。」
2020年のすぐ後には日本は国際的な立場を失うでしょう。
わが国の「正しい美しさ」は、デザイン職能が主体的に、
性能・効能・機能で「これがデザイン」を主張し、
共有・共時の価値=好ましさと望ましさを創出創成することです。

*『コンセプトから「ライン発想」の三つの思考空間』
*『デザインは問題解決!・この本質の再整理』
*『愛着と愛用がデザインの全体価値である』
*『鏡映は冥府に降りていることゆえに「何がデザイン?」
*『陽子加速器での核変換デザインによる復興』


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『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


   


     9月 10th, 2015  Posted 12:00 AM

PCモニターそして液晶TVのデザインを見ていて、
デザイナーとしてなんともしくりとしない事が連続していました。
それで、ペットボトル素材2000層での新素材を発見し、
この素材メーカーと鏡面でのキーボードを商品化しました。
しかし素材が高価なことや、
キーボード自体が中国産になって安物になりました。
そこで、デジタルサイネージ化を大手企業とともに、
医療機器メーカー研究所のショールームに展開して
やっと一つのヒントが生まれ、
さらに、コンテンツ映像を自宅から毎日の景観そのものを、
実像映写を玄関に考えました。
自分の映像は相当に蓄積もあります。
そうしたら、WiFiでのコンテンツ映像とさらにLED照明まで
連動が可能になりました。
デジタルサイネージという言葉があるわりには大した事がありません。
プロジェクションマッピングも、
マッピングそのものの進化をみてきただけに、
たとえば、金沢駅などや、大阪城など、東京駅も、
結局はライトアップ手法変化でした。
そうなると、自宅玄関をどこまでやれるかやりつくすことになりました。
これが出来る企業も今は当初から積み上げてきた一社のみです。
それ以外の売り込みも、私の知識蓄積には来ていませんでした。
ともかく、映像は映像、照明は照明、ロボティックスはロボティックスで、
これらの組み合わせが皆無でした。
何度も自分のMac内で使用画面づくりをして、
それはセンシングし、なおかつ時間軸での構成、
WiFi+IRも、ここまでが限界、それは海外メーカーどまり。
まして、国内メーカーでは、
やはりモニター機器と照明機器の組み合わせはありません。
さらに4K、8Kに映像は進化していますが、
その程度の液晶モニターは欠点が見つかり、
それ以上に照明機器、照明計画と音響+映像が組み合わさることでは
国内の現在企業は無理。これは欧米もそこまでは見えていません。
この判断から、デジタルサイネージ+マッピング+WiFi空間で、
映像+音場+音像+写像+射像までの空間デザインには、
新しい呼称が必要と判断しました。
「デジタルアッサンブラージュ」では、となりましたが、
アッサンブラージュは元来は美術の用語、
もっと深く掘り下げると彫刻用語でした。
それなら、現像でのセンサーでのパッシブ系とアクティブ系を
iPhoneアプリの基本に置いてみて、
ようやく、画面インターラクションに至りました。
ともかくこれからのプロダクトデザイン対象を
インターラクティブピクトグラムあり、
ここまでアプリケーション開発の目処がついてきたところです。
「デジタルアッサンブラージュ」は、
限りないほどのスマホコントロールに辿り着きました。


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『Websiteはそろそろ担当のプロが必要になってきた』


   


     3月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

WebsiteーいわゆるHP・ホームページは、
ホームページを大阪大学に来てから、
独自のkazuokawasaki.jpでなるべくwebsite発信の場にしてきました。
したがって、スタッフ担当に一任してきましたが、
そろそろ、ホームページだけの担当者が必要なほど多岐になりました。
私が自分自身関与しているは、毎夜のブログアップは直接的に
HTMLまでを確認していますが、大慌てでアップすることもあり、
文章や助詞間違いを読者から何度指摘されています。
しかし、このブログではいつも時代傾向が反映していることを知ります。
文章が1200文字を超えると読まれないことや、
写真で視覚性が必要になってきたことがありますが、
毎夜書き続けることは私には修行になっていますから、休筆をすると
すぐに友人知人から体調を崩しているのではという心配を受けます。
体調が優れない場合はやはり書けませんが、
私には日記であり、特にデザイナーとしての記録にしています。
このwebsiteのコンテンツはあるヒエラルキー構造であり、
これの変換にはそろそろプロが必要になってきています。
またwebsiteとfacebookは連動させることにしていますが、
そろそろこの一新をデザイナーとして狙いたいと思っています。
また、日本人は土日にはとりわけブログ読者は低減するようです。
HP上の地球はサーバー時刻で朝昼晩の時刻と連動しています。
かつて、デザイナーなのにセンスが無いと叩かれましたが、
これにも正面切って喧嘩を売りました。
理由は簡単で、センスの問題がグラフィックなのか、
インターラクションなのかは明快ではないことでした。
無論反省面もありますが、実際はHTMLの限界があることは
間違いありませんから、そろそろ一新ですが、
リタイアしたなら、実はこの背後には、特別なクラウド設定の
私なりの実験をやっていることを明かしたいと思います。

*名古屋市立大学のマークは私のデザインです。


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『スピーカーシステムの色光変化が簡単に実現されている』


   


     1月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

私の美大での卒業制作は、400Wのプリアンプとメインアンプ、
そして、スピーカーシステムは無指向性でSPユニットを天井向けでした。
ユニットはアクリルシリンダーにCdS(硫化 カドミウムセル)によって、
入力周波数で、光量変化をさせる照明器具兼用でした。
アンプはじめ回路関係は、応用物理に進学した高校時代の親友であり
後に彼は、大きな進学塾を経営して今は会長になっています。
そんなこともあって、音響空間は音楽と連動した、
照明空間が可能だと以前から思っていました。
どういうわけか、ワイフがこのJBLのiPhoneアクセサリーのSPを
出張用に気に入っており、しかも小さなシリンダー表面は、
iPhoneで色光のパターンまで自由に変化ができます。
私自身のオーディオ感覚では、音響的にはラウドネス的過ぎますが、
まぁまぁそれほど、目くじらをたてて駄目出しはできません。
それよりも、オーディオ分野のデザイナーを目指していた、
その当時に実現したことが、40年経って商品になるまでの進化です。
最近、ワイフがこのスピーカーがえらく好きらしくて、
私の過去のアイディアでは、光導電体=フォトレジスタに出会って、
これなら、音の周波数を変えられると下宿で何度か実験をしました。
無指向性スピーカーについては、最終プレゼで、柳宗理先生から、
「人間の耳は正面性があるのに・・・」とか批判を受けましたが、
当時、フランスのオーディオ雑誌に登場し始めていた、
無指向性スピーカーの写真などを見せて納得してもらいました。
多分納得出来なかったようですが主任教授は過程を熟知されていたので、
私のデザイン意図をさらに細かく説明してもらったことを思い出します。
無指向性スピーカーは、音場をつくり、
指向性スピーカーは、音像をつくりますから、
自宅はこの二つでこそ、日常的な生活音響空間だと思っています。

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『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


   


     10月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

敗戦後、奇跡の復活と言われてきた日本企業は、
世界経済の中核どころか先導的な「企業経営」が認められました。
しかし、経済は景気と連動して、結局は二つの選択を強いました。
その一つが安定した大企業主義が産業界の牽引役です。
しかし、
経済動向、すなわち経営鬱病としての「不景気感」は停滞して、
企業制度は、生涯雇用のはずが派遣社員雇用で大企業病を発生。
それならと、いわゆるベンチャー企業は「情報化」社会で起業。
ところが、そのベンチャー企業自身が経営経験不足。
翻って、中小企業・地場産業・地域産業には「情報」経営力無し。
ベンチャー企業が1000社あっても30年後には2.8社です。
このサイクルの中で日本の産業全体が低迷している有様です。
新たな世界制度破綻は9.11で明確になってきました。
そうして、今度は3.11、日本の天災と人災は方向を喪失です。
不景気は、世界全体を経営基盤から突き落としています。
盟友である松岡正剛氏は、
「日本という方法」、「方法という日本」を提示してくれました。
しかし、水墨画技法に「経営配置」が画法にあるからだけでは、
全ての経営者は佇まざるをえないでしょう。
先般、米国で日本という方法と方法という日本で、
地道に「経営活動」をする人物に会いました。
なんのことはない、松岡正剛氏の薫陶で成長してきた人物は、
米国で活動をする中で、明らかに、「方法」と「日本」を
配置、すなわち「経営配置」を私に告げてくれました。
たった一言です。
「日本は負けるわけにはいかない、大企業は駄目になるけれど、
もっと、不甲斐ないベンチャー企業の整理です」と。
私は、今月23日、松岡正剛氏と対談講演でこの決着をと、
真剣に考えています。
欧米にも、まして、中韓、アジア諸国の先導にこそ、
「日本という方法」と「方法という日本」を伝えるつもりです。


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「手習いまだまだ諦めずに・・・」


   


     5月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

私は美大ゆえに4年間、フランス語受講で単位は取得。
40年ぶりの同窓会でフランス語受講していた同期生に、
「4年やり通したよな」と言ったら、
「エッ、貴男のこと記憶に無いわ」と
一笑にふされてしまいました。
きっと、教室では存在感全く無かったのでしょう。
彼女は卒業と同時にヨーロッパに行ってしまいました。
最近、帰国したとのことでした。
60還暦から考え抜いていたのが、「60の手習い」でした。
ある経営者は60から中国語をすぐにマスター、
最も彼は、英語もドイツ語も堪能でしたので、
とても敬服していたことを思い出し、
62歳、昨年からフランス語やり直しを始めました。
そこで当然、私は「かたち」=モノから入ります。
ラジオを出張用も含めて買い直しました。
そうしたら、ラジオの進化にびっくりしました。
今ではパソコンにも連動するなど、
性能は格段にラジオでは無いのです。
これも精微な出来映えですが、あまり知られていません。
というわけで、
今年に入ってからもまだやり続けてやろうと企んでいます。
英語も未だまともで無いのに自分でも「なぜ?」なんです。
ただ、学生には言ってきました。
私の世代は英語だけでなんとかだったが、
君たちの世代はもう3カ国語ぐらいは絶対に必要だと、
教師として教条主義を発揮しています。
ベトナムからの留学性には、
日本語以上に多言語をやりなさいと伝えています。
おそらく私はリタイアしても
フランス語で読書程度はと思います。
今、イヴ・サンローランの原書は絶対読破と思っています。
4年もフランス語をやっていたのに、
最初にパリに行ってまったく駄目だというトラウマでした。
さてあらためてここで暴露することで、
自分に喧嘩を売っているのです。
それにしても、今は外国語習得の情報環境は整っています。
フランスの友人にも、
エコール・デ・ボザール(フランス芸術大学)での
ワークショップなら必ず・・・なんて
大言壮語してしまっていますシ〜ィ・・・。

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「現代文房具はどうして面白いのか」


   


     6月 3rd, 2011  Posted 12:00 AM

文房具は、私はなぜか好きです。
おそらく嫌いな人はいないでしょう。
そして、文房具の種類は圧倒的に膨大。
これは文化と直結しているモノの大体系です。
「書く」という行為、
人間が表現をする「書く」という所作を取り囲んでいます。
基本は、「紙」と「鉛筆」、消しゴムであり、
やがて、紙周辺、鉛筆の進化、
書いても訂正するというためのモノに広がっています。
そして、さらに電子化と情報処理が加わって、
文房具のアイテムは格段に増殖している世界に私たちは居ます。
「鉛筆」というモノの発明が、
私たちが表現する世界をさらに拡大し、
表現された事を記録し、残していく所作の道具や器具も、
文房具になっていくわけです。
あらゆる鉛筆への興味は、
筆からペン、万年筆、さらには電子ペン、
それらが趣味収集の対象にしているの事が、
私の生涯をすべからく表していると言ってもいいわけです。
ちなみに、私はどんな服装の時でも、
「ペンの類」が無いと不安になります。
だから、ちょっとした外出でも、
それに見合ったペン=ボールペンなり万年筆を携帯します。
出張ともなれば、万年筆は使わずとも6本は選びます。
万年筆の新製品には心を奪われます。
そして実は、万年筆の軸がプラスチックの場合、
このレジンの流行がメガネフレームの流行と連動していることを
知っている人はいないのではないかと思っています。

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