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「素材革新での造形言語が与えた影響は形態言語すら変更」


   


     10月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

プラスチックを拳銃素材とすることで、
拳銃業界は世界的にも大革新されました。
オーストリアのグロック社から「Glock 17」が生まれました。
この造形言語=designing languageは、大ヒットとなります。
映画でも、
「お前はグロックを使っていないからだ」
というセリフまであったほどです。
米国の警官は自分の拳銃は自由に選択が出来ますから、
60%の警官が選んでいるとまで言われました。
ほとんどの拳銃メーカーは、
この造形言語で生まれた「Glock 17」、
その形態言語=designed langageを追いかけることになります。
なぜ17かということにはいくつかの説があるほど、
この拳銃デザインは革命的な拳銃の進化を表現しています。
なんとしても、新しい造形言語を追いかけたイタリア・ベレッタ社は、
自社の形態言語を捨てることになります。
「M9000s」という拳銃は「醜いベレッタ」とまで非難されるわけです。
しかも、このデザインはあの著名なジウジアーロに依頼したものでした。
しかし、この評判のために、彼はデザインを変更します。
それが「Px4」となります。
先般話題に取り上げたワルサー社も、その「Walther P99」は
明らかにグロックの造形言語を引用しています。
そして、「Px4」と「Walther P99」はとても近似しています。
それにはグロックの形態言語を打ち破る
それぞれのメーカーの造形言語の見つけ方、
そのものがどうしても近接した思考結果だったのではないかと思います。
当然、S&W社もこの影響を受けて、企業の形態言語を変更します。
しかし、この引用は盗用とまで言われて訴訟になります。
私は、死の商人の商品である拳銃デザインには時代流行性が顕著です。
デザインにおける造形言語と形態言語が
最も市場競争性を表していると観察してきました。
日本の警察は、S&W社を選びます。
理由は性能であり、初速が0.2秒速いということでした。
しかし、日本の警察官、特にSPに配備されているのは、
ワルサーPPKの形態言語を引用したSIG社の「SIG SAUER P230JP」です。
この拳銃の性能性は
グロック社の性能を超えているとさえいわれていますが、
まったく不要の長物です。
したがって、私は、日本の警官が発砲出来る拳銃が必要だと思っています。
それは、これまでの火薬で発射し、
殺人兵器となる銃器機能を廃棄することです。
その造形言語はまったくまだ世界には存在していません。
デザインは問題解決の手法です。
だからこそ、威嚇、防御はすでに拳銃というモノを廃絶する必要こそ、
デザインの役割だと考えるわけです。


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『資本主義からの逃走』
 「デザインは『付加』するものではないということ・5」


   


     7月 23rd, 2010  Posted 12:45 AM

付加価値論への議論意志
私はデザイナーとして、
「デザイン価値」は「付加価値」ではないことを、
経験上から様々な角度から述べています。
そして、デザイン価値は「全体価値」という結論を今後も変えることはないでしょう。
しかし、デザインはやはり「付加価値」と断言する人を、
批判も非難もしようとは思っていません。
まして揶揄したり排撃する志はまったくありません。
ただし、議論をする意志は明快に持っています。
その理由は、
人間は様々な「価値観」・「価値感」を持ち合っていることまでを否定するようでは、
自分本来の志としての美学性を失うことになるでしょう。
そして、あらためて私の役割は、
「デザインは付加価値ではありえず、全体価値」ということを
実作・製品・商品・デザイン運動で証明していくことです。
「ことば」と「かたち」の相対性を発言していきます。
前回は、人間とモノの関係=近さという距離性と距離感について記しました。
それをさらに、深めておきたいと考えます。
近さ・隔たりは、次の言葉が距離構造の術語として上げられます。

● 近接=nearby
● 近似=approximation
● 近傍=neighborhood

こうした言葉が術語化される領域は、文学から数学までに及びます。
したがって、それぞれの学問領域で術語意味を確認しなければならないでしょう。
たとえば、「近似」=approxiationは数学術語ですが、
これが文学としては、島村抱月の戯曲術語として残っています。
演劇用語であることは意外と知られていません。
むしろ、数学での近似値・近似式・近似計算の方がなじみがあるでしょう。
私はこうした術語定義は、
レトリックやアナロジー、あるいはメタファーとして、
デザインによる造形論理への展開ができると思っています。
それが、私が「ことば」と「かたち」・対・「かたち」と「ことば」、
この相補的でかつ相対的な論理性であり、
この論理無き造形感覚には、
「全体価値」、すなわち、「問題解決」と「難問解決」、
これらの応答・回答・解答成果=デザイン価値は創出されないと確信しています。


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