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『鏡・・・私の造形要素となっている』


   


     1月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

「鏡」は、造形要素として使う最初のきっかけでした。
インダストリアルグラフィックでのアイディアと、
さらに、チューナーグリル、
そしてメーターに誰も思わなかった鏡を造形要素とし
Aurex チューナーST210が完成しました。
ギャラリー間での「プラトンのオルゴール」展では、凹鏡球面内の球を
虚像として浮かび上がらせるプラトンのオルゴールや
立体を鏡を介して絵画を出現させる
モンドリアンのオルゴールでもそのアプローチを実践しました。
さらに金沢21世紀美術館では、各展示空間で鏡との
対話、拡張、対立、調和と造形要素としての
鏡への実践的デザインを続けました。
鏡については、美術評論家・宮川淳で賢明に学びました。
「鏡の裏には冥府への道が・・・」があることや、
左右対称ではない「対称性の破れ」、そのデザイン的解釈を
このチューナーで表現しました。
ともかく、営業からは「これが売れるのか?」と詰め寄られ、
すぐに、殴りたくなる私を止めたのはKチーフでした。
私をいつもかばってくれたKチーフには今も頭が上がりません。
若い頃は、デザインを通すためには
力ずくでと目上の人達にも食ってかかっては
「高校時代なら殴ってる」と腕まくりをしていました。
結果、腕力ではなく、あくまでもデザイン力で、
パワーアンプ、メインアンプなどには、
インダストリアルグラフィックと鏡・鏡面が使われる状況になりました。

*プラトン

*モンドリアン


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『ふるさと福井の大震災を胎内で経験していたと聞く』


   


     7月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

1948年(昭和23年6月28日16:13pm)福井大地震が起こりました。
地震規模はM7.1、1945年の大空襲は日本での三大空襲の一つでした。
羽二重によるパラシュートの産地だったからです。
地震1ヶ月後には集中豪雨により、3度も市街地は破壊されました。
自分はまだ母の胎内に命がようやく出来た頃で、
翌年の2月にこの世にでてきました。
大地震が発生した時、母は実家の竹藪に入ったそうです。
母の実家裏の竹藪は300坪ほどありました。
そして竹藪は竹の根が強くて地盤がしっかりしていたそうですが、
夕焼けと同時に福井方面の空が真っ赤だったと聞きました。
戦争から復員して、父はノンキャリアの警察官であり、
その若さから、
県境を自転車で乗り越えて石川県警に伝令を努めたそうです。
福井から県境に行くまでに数人の倒壊家屋に閉じ込められた人を救ったと、
戦争の話は従軍7.5年ながら、一切話さなかったことにくらべれば、
小さい頃にそのいくつかのエピソードは聞かせてもらいました。
阪神大震災の時には、父はすでに退官していましたが、
私はまだApple本社とのつながりがあり支援金と、
PowerBook100台が東京から福井に届き、
それを福井県警が最も早く神戸入りをするときに運んでもらいました。
と同時にキヤノン販売には、神戸にあるショールームのプリンターを
避難所にいるボランティアに開放していただきました。
しかし、その直前まで開発していた「ラリア」という
非常事態専用SOSラジオの中断が
とても悔しかったことを今も忘れていません。
以後、行政がらみのデザイン意義はないものと考えています。

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『都市伝説であれ、地震雲あり空をよく見よう』
*『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』
*『想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず』
*『児童を守らねばならない! そんな国ではなかった』


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『エレベーターという発明と社会倫理』


   


     12月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

人類の発明として、人間が高い場所に登るには、
「階段」で、足の裏と視覚で場所の高度感を感じて移動するモノと、
一挙に高さを移動してしまう「エレベーター」があります。
しかし、この中間はまだ無いことに留意する必要があります。
そして、エレベーターの存在は、私のような障害者には大変便利です。
私自身、車椅子必要者にとっては、
「エレベーター」のおかげでどれほど行動が楽になったことでしょうか。
建築は勿論、飛行機から新幹線などの乗降ではいっぱい体験してきました。
特に、新幹線では、まだエレベーターが無かった頃は、
東京駅では終戦映画で観る、「地下道」が利用されていました。
今も「地下道」は、駅の運営では大事な場所になっています。
しかし、海外から車椅子の人があの「地下道」では、
その臭いや雑然とした戦前からの印象は余りに酷いものです。
私の役目と思って、国土交通省に乗り込んで実情を訴えました。
当時の扇大臣が視察をして驚愕をされたと聞きます。
すぐに「エレベーター設置」が決定しましたが、
完成したのはその3年後でした。
最近は、あのエレベーターは、障害者やベビーカー優先です。
ところが、若者達が平然と乗り込んでいます。
しかも、この日本では通常の風景になっています。
大間違いです。
海外では、必ず、障害者や妊婦さん、ベビーカーが優先です。
だから、私は怒って若者に警告をします。
「私は日本人だが、万一、海外の人だったら恥ずかしい」と。
みんなが黙り込みます。
私は、このエレベーターのデザインそのモノを変えないと、
わが国の社会倫理は護られないと思っています。
現代は、決して「他人との軋轢を避ける人間だらけです」。
あたかも性善説の顔をした性悪説に汚れきった若者が増えています。
これを許すべきではない、「おいコラおじさん」が必要です。
性悪な人間があたかも性善な顔立ちの人間は、
制裁をする必要があると私は判断しています。


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