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Posts Tagged ‘自我同一性’


「資本主義からの逃走」
  「企業ブランド戦略の誤りは自己表現障害に陥没」


   


     2月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

ブランド化は「自己表現障害」の起因
ブランド戦略に私は信頼感を持っていません。
それは、企業の「同一性」構築から離脱する軽薄さがあるからです。
確かに、私はデザイナーとして企業デザインには、
企業デザイン戦略の骨子の重要課題にブランド戦略も製品デザインとともに提案してきました。
デザインという手法は、「ブランド」を構築する大きな手法であることは否めません。
しかし、私はむしろ企業C.I.によって、そこからブランド戦略デザインを追い求めてきました。
ここで記していることは、デザイン手法の論理よりも私の経験値です。
そしてこの経験値の背景には、E.H.エリクソンの「自我同一性」を参照しています。
なぜなら、エリクソンの「自我の形成論・8段階」には、
見事に、人間が生まれて死を迎えるまで、
人格=自我形成、すなわち人格=品性のあり方を正確に解釈していると思います。
よって、企業の自己性と自我性、それぞれその同一性が企業戦略の核心だと考えています。
企業存在が社会環境のなかでどのように進歩していく「べき」なのかを、
企業戦略プラン=企業戦略デザインにすることが最も重大でその可能性の設計がデザインです。
私の経験値では、企業自身の同一性とその表現には、
なんといってもまず、「自己表現障害」を回避させることです。
企業の「自己表現障害」とは、「美しさを失っている企業の全体性と同一性」です。
ところが、ブーム化している「企業ブランド戦略」は表現障害を来している企業を増加しています。
このブランド化が必要と思っていること、それは実は表現障害は、同一性どころか、
特に、商品「差別化」の焼き印=ブランド化に陥っています。
私はあらためてエリクソンの8段階説に照合して、
企業ブランド戦略の誤りを是正すべきだと考えます。
日本株式会社自体、日本ブランドの表現障害に落ち込んでしまっているようです。
私は「同一性」の確認とデザイン戦略を企業品格にまで求めることを目的と目標にしてきました。


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「資本主義からの逃走」
  「企業の同一性は商品の差別化ではないということ」


   


     2月 20th, 2011  Posted 12:55 AM

自己同一性と自我同一性
「同一性」というのは哲学や心理学的術語でした。
このことばは源流までたどれば、
アリストテレス時代にまで遡及できます。
ひとまず、心理学的な解釈と類似=アナロジーが可能だと考えます。
すなわち、人間の存在性、その「同一性」はパーソナリティの形成因です。
だから、自我の関係との対照性を企業の同一性に当てはめることができそうです。
パーソナリティは自我が二つで構成されて、
その個人が帰属する社会や文化との関係性因として見ておくことです。
特にこの二つに注目をします。
 ● 自己同一性=self identity
 ● 自我同一性=ego identity
企業にも同様に、
 ■ 企業の自己同一性
 ■ 企業の自我同一性
があると考えることができます。
しかし、企業の自我はほとんど経営者の自我に決定づけられているというのが私の体験です。
これは別稿で語り直す必要があるでしょう。
さて特に、企業という組織体の主体性・確定できる存在性の確認や、
社会や文化への帰属性は、企業の存在を表象させられる企業環境のすべてに関与しています。
この企業の表象性は、「見て分かる」、「見て分かってもらえる」ということで、
ビジュアルC.I.は不可欠になっていると考えていいでしょう。
「商品の差別化」という自我同一性は間違い
そこで、同一性、その反極には差異性があります。
この差異性の解釈には、差異性と差違性があり、
その表象的なとらえ方の一つに「商品の差別化」があります。
商品そのものの同一性を確認する手段として、
商品の判断性や商品の訴求性のテーマになっています。
しかし、差異性、差違性と差別性は全く異なっているという認識が必要ですが、
ほとんど常識的に「商品の差別化」が語られています。
これは、企業の自己確認を離れた、企業の自我同一性の一方的な押しつけであり大きな誤りです。
商品を分別してもらう企業・商品の同一性を見直すひとつのテーマになるものと私は考えています。


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