12月 16th, 2019 Posted 12:00 AM
年老いてくると「歯が不潔」は、
外観上、とっても私の美学では受け入れられません。
幸いにして私は歯並びが良く、一応綺麗です。
奥歯を噛みしめ仕事をしてきたので奥歯がやられていますが、
歯科の治療には歯科麻酔のリスクを避けて処置が必要なので
メンテナンスには注意をはらってるのです。
審美的にいまでもホワイトニングでは、ペーストに拘っています。
まだまだ、進化中だと私はいろんなのを試しています。
さらに、いわゆる「歯ブラシ」でのブラッシングは駄目だと思います。
「歯ブラシ」では、自分本位で磨くことになり、
デザイン上も何の工夫もしていません。
U型電動歯ブラシは、1分間に14000回転での清浄で、
最高に私は気にいっています。歯ブラシ、電動歯ブラシは辞めて、
U型高周波振動モーター歯ブラシに変えました。
振動モーターの電動歯ブラシでは、さらに回転も進化しているのです。
歯と歯茎を包囲して洗浄し、光でホワイトニングもでき、
私の美学上さらに審美眼でも納得、
これまでの「歯ブラシ」から絶対に離れてはどうでしょうか。
ただし、廉価品もあるので選んでください、
これには高周波振動モーターの進化が必要です。
「歯ブラシ」や「電動歯ブラシ」から、
白くて清潔な歯で心身の健康が最高です。
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Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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11月 25th, 2009 Posted 3:00 AM
「諦観」とは、resignだと私は経験してきました。
諦めて生きること。
これはリハビリテーションの原理だと知ったのは、
車いすを余儀なくされ、
米国のリハビリ・トレーニング原書の
最初の書き出しで知ったのです。
とても大きなショックでした。体が震えました。
怖かったです。
これからリハビリで、元のような生活になるんだ!って。
この意気込みは、一遍に消失しました。
ところが、「諦めて生きる」というのは、
もう、歩けなくなった自分ではないけれど、
歩けない代わりに、もっと歩けていた以上に自分を修練し、
残された機能を鍛錬するということがresignだと、
米国のリハビリテーションの本に書かれていたのです。
まさしく、これは日本の仏教的思想の「諦観」でした。
以来、私は常に「諦観」の思想と論理を、
自分自身に言い聞かせて、車いすで生きてきました。
「神の国」には「諦観思想」があります。
米国にも同様にあるのです。
「あきらめる」=give up と言うのと、
「諦める」=resignとの大きな差異です。
私たちは自分本位であることに、
何らかの決着=諦観が、絶対に必要なのです。
「諦観」を心底にすれば、
それこそ、「神の国」には、右翼も左翼も、部落差別も、
どんなタブーすら「諦観」で全て融解してしまいます。
そして、
「諦観」が希求しているのは、
実は「希望」です。
今日本の国「神の国」の子供たちがほとんど知っています。
司馬遼太郎氏の上記の一節です。
21世紀を生きる子供たちに、彼の「希望」があります。
果たして、21世紀に生きる大人は、
彼と子供たちの「希望」を
次世代に準備できるのでしょうか。
改めて、「諦観」からの「希望」で、
「神の国」に生を受けて存在している「使命」を、
自分自身に問い直していく日常こそ、
「諦観」と「希望」の狭間での私たちの「義務」であり、
その「義務」を果たさずして、
勝手極まりなく「権利」を求めることは、
人格を犯罪にしていると、私は考えています。
「神の国」の住人は、「諦観」が「希望」を創出するのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 21世紀を生きる子供たち, resign, あきらめる, トレーニング, リハビリ, リハビリテーション, 使命, 修練, 司馬遼太郎, 希望, 権利, 決着, 神の国, 経験, 義務, 自分本位, 融解, 解放と何らかの決着=諦観, 諦めて生きる, 諦める, 諦観, 諦観思想, 車いす, 鍛錬
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
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