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Posts Tagged ‘織田信長’


『ミルクは物であり、物は原意的には牛である』


   


     3月 29th, 2019  Posted 12:00 AM

牛乳=milkは、人類が5500から6000年前に乳汁として飲んできました。
日本では「日本書紀」に搾乳が書かれています。
牛はともかく、ミルクを飲んだら牛のようになるとかで、
織田信長が「牛になるかどうかを試した」という話もあります。
それこそ「種痘をすれば、牛になる」という
流言飛語にも人々は惑わされました。
ミルクは100gあたり87.4gが水分であり、
いつでも、脂肪やタンパク質、ビタミン、ミネラルが
体に良いと思っています。
しかも、低脂肪であり、ミネラルがいいと私は思っています。
乳製品は貴重で、軍隊から帰ってきた伯父さんは
家族のためにチーズを持って帰ってきました。
祖母はそれを石鹸と間違えて「まったく泡立たない」と
言っていたことを思い出します。
ミルクで私が子どもの頃、最初につくったのはアイスクリームで、
食欲のないときは、これに頼ったり、
またチーズはどんなモノも試しています。
瓶に入ったミルクは、
懐かしさとともに一層美味しそうに感じてしまいます。
「物=モノ・ブツ」が原意で、もとはいろいろな牛を表す漢字でした。
牛とモノ、そして牛年の私は欠かさずミルクを飲んでいます。


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「金平糖なればこその品格に・・・」


   


     9月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

日本のお菓子で私はもっとも品格がある存在、
それは「金平糖」だと思っています。
これは、カステラともどもポルトガルから入ってきたお菓子です。
当時、この「甘さ」を知った日本人は相当にビックリしたと想像します。
私にとっても、飴やキャンディどころではなく、
大きさといい、甘さといい、これほど品ある物はありません。
この金平糖を見る度に思い起こすのは、織田信長と寺田寅彦です。
なんといっても、織田信長系の物語りで金平糖の記述が無かったら
信用しないことにしています。
私が最も尊敬と敬愛する橋本左内も大好きだったと伝えられています。
この物語りが私の嗜好性を決定しているのでしょう。
特に織田信長は、
きっとガラス容器に収めていたに違いないとさえ思っているほどです。
「鳴かぬなら殺してしまえ、時鳥」が、私の性格そのものです。
しかし、秀吉や家康の、鳴かせてみせようとか鳴くまで待とうは、
したたかでねちっこくていやらしいとさえ私は思っています。
このところ、竹島と韓国、尖閣諸島と中国、
この領土問題が大事件の様相になってきました。
いづれ私なりの意見も明確にまとめておきたいと思っています。
だから、最近は、次の中国の代表「習近平」とは、
ちょっと語呂が似ているから金平糖を身近に感じているのですが、
これはほとんど親父ギャグでしかありません・・・。
さて、私自身はほとんど間食をしません。
一人っ子ゆえに、間食は禁じられていましたから
そんなふうに育ってしまったのでしょう。
金平糖は京都へ行けば必ず買い求め、
チュッパチャップスとチョコレートだけは常備お菓子です。
ともかく、ワイフには私の仏前には
必ず金平糖は必需品だと言い残しています。


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「長谷川等伯と狩野派の対決から」


   


     11月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

長谷川等伯には心をひかれています。

だからこれまで美術専門誌で彼への想いを依頼されて、
何度か書いてきたことがあります。
狩野派=安土桃山時代に、
権勢をふるっていた中央画壇とその体制に、
果敢に挑戦して画法革新を具現化していた田舎絵師等伯は
ここ数年ブームになっています。
出光美術館では、ずばり、等伯と狩野派を対比させる
展覧会を開催しています。
なんとしてもこれは絶対にと思いじっくり鑑賞しました。
これほど多くの観客が訪れながらも静かな展覧会でした。
皆さんが解説をじっくりと読み、
400年前の二つの対決、それなのにお互いの影響ぶりを
堪能されているとても素晴らしい雰囲気の展覧会でした。
長谷川等伯は能登(石川県)七尾から京にて、
大権勢と政治力のある画壇に、静謐な画風で、
狩野派に嫉妬と嫌悪され、
次々と様々な策謀に巻き込まれた画家でした。
画法ひとつでそのような政治力や権謀術策に立ち向かったこと。
私にとってはたまらない魅力があります。
無論、等伯の中国ではほとんど見向かれなかった画法、
「骨法用筆」=輪郭線表現をしないで、
光と大気に対象物を描き出す手法を完成させた画家でした。
狩野派は彼の存在を歴史から抹消させようとするほど彼を敵視しました。
織田信長、秀吉、そして家康という時代は、
画家だけで無く、宮大工や刀鍛冶までも、
パトロンである時の権力者に愚弄させられます。
それでも、「作品」は権力を超越した価値観を、
現代にまで伝えています。
あらためて、等伯・長谷川派と狩野派を見比べられました。
やはり等伯の「骨法用筆」には、権力との闘いなど皆無の静謐さ、
交響曲のアダージョが聴こえてくる印象がありました。
ホテルにもどってからも、展覧会のカタログに読みふけりました。
特に「竹林図」を観ると現代日本からすっかり竹林は消滅しています。
地震国日本に竹林は不可欠でした。
なぜなら、竹林は根が複雑に張り巡らされていて、
地盤を強固にしていたといわれています。
あらためて、水墨画から「やまと絵」までを存分に
楽しむことができました。


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『資本主義からの逃走』
「資本主義という宗教・宗教としての資本主義・1」


   


     11月 16th, 2009  Posted 12:00 AM

不干齊巴鼻庵という人物を知っておられるでしょうか。
日本の神を全否定した人です。
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破堤宇子・ハビアン 1868

ハビアンというクリスチャン名で、
出自としては禅宗からキリスト教に転向したようですが、
その経歴などは不明です。
キリシタンの文化的知識人としては、
「妙貞問答」による、キリスト教の優位性を
仏教と儒教に対して論破した力量に、
私は確かに敬服します。かの林羅山も、
彼との論議では一目置いたとも言われています。

しかし、この「妙貞問答」は、徳川家康によって、
あらたな仏教・儒教・武士道によって、
対・キリスト教への確実な理論武装を与えたと思います。
なぜなら、織田信長は、仏教による武装勢力を焼き払い、
キリスト教文化には心惹かれながらも、
日本の防護にのみ利用しました。秀吉もこれを見習い、
キリスト教との距離感を、いつでも問題視しました。
茶道によって、信仰はあらためて自然信仰にもどりました。
これは千利休の国家策略だったことも大きな力でした。
私は千利休はグランド・デザイナーだったと判断します。

家康が明らかに、仏教・儒教・武士道・対・キリスト教を
国家治世手法としての宗教力・信仰力の制御に、
実際的には「妙貞問答」はマニュアルだったと思います。

私は、この日本独自の「対・キリスト教」信仰心制御は、
対・資本主義に対しての大きな過去の歴史の知恵です。
あくまでも、資本主義の基盤は、キリスト教信仰です。
キリスト教信仰の「勤勉さ」と、
仏教、あるいは神道での「勤勉さ」の大きな違いを、
今、再検討することが
日本の経済主義志向を決定するでしょう。
日本人の「勤勉さ」は、まさに「お天道さま」なのです。
「お天道さま」への自己の
「働きがい」と「生きがい」です。
ここに、「経世済民」があるのです。
G6・G7=資本主義経済連合において、
わが国だけ、キリスト教を背景にしていないことにこそ、
資本主義から、離脱と逃走が必ず可能だと信じています。

つまり、日本こそ、世界への「経世済民」を示せます。
自然とともにある「神の国」という思想を
再度復活させることです。

「神の国」とは戦時中のプロパガンダ用語ではありません。
ハチマキをして、「神の国」には必ず「神風」が吹く、
というような幼稚さやアジテーション行動ではなくて、
「神の国」という自然と人間が共生=ともいきできる
知識・知恵・思いやりの世界観思想化を意味します。


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