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Posts Tagged ‘編集者’


『もう一度、とっても会いたい菅野沖彦先生』


   


     3月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

昨年、10月13日にダンディズムとしてのオーディオ評論家、
その道を極められた菅野沖彦先生があの世に逝かれてしまったのです。
私は好き嫌いがはっきりとしています。
たくさんの評論家の中でも特に先生に傾倒していました。
東芝時代、若手のデザイナーとして私のデザインを、自社の営業より
評価、理解していただいた先生の期待に応えたいと通っていました。
オーディオ評論家という枠を超えて、
パイプ、西洋人形などの世界観を教えてもらいました。
菅野先生が提唱された「レコード演奏家」は必ず残っていくでしょう。
コンピューター雑誌に私は連載を2つ持っていました。
あるときに、新進のスピーカー企業に行きました。
前日には菅野先生からもアイディアをもらったことを聞き、
「S先生」とエッセイで、菅野先生との東芝時代の想い出を書いたところ、
「S先生」とは菅野先生のことではないかと、オーディオ雑誌の編集者、
M氏が、交通事故と東芝退社で、途切れていたご縁をつないでくれました。
先生の自宅にお邪魔しました。
懐かしい空間と、選び抜かれたオーディオから、
音響を何十年かぶりに体感しました。
ワイフは、息が出来ないという音質を感じ取りました。
そして、先生から、「レコード演奏家」として、
私を取り上げていただくことになりやはり部屋を改装し準備しました。
今では、この程度で?と、
残念なオーディオでありビジュアルの評論家が多いのです。
東芝時代には、まずは先生に試作を持っていき
なかなか通らない私のデザインを
東芝の偉いさんに先生から説得してもらいました。
無神論者である私ですが、
先生とこちらで再度会いたいと思っています。

*先生との対談


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『存分なデザイナー能力が性能・効能・機能を編集表現』


   


     4月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

編集者としてのデザイン、デザイナーとしての編集、
あるいは、デザイナーという編集者には
いわゆる
写真・イラスト・グラフィック・タイポグラフィ・レイアウトという
あらゆる表現手法が、デザイン発想を支援する性能があります。
これは小誌の性能を感性刺激としてくれるもう一つのデザイン能力です。
その代表誌は、いわゆる一般的なデザイン誌ではありません。
つまり、表現者がデザイナーであるという効能性を担保している小誌です。
これは著名であるデザイナーN氏の才能が可能にしている
デザイン戦略です。
したがってN氏と自分との年齢差は丁度10年という大先輩ゆえに、
これからの10年を指示してもらうと同時に
やはりデザイナーになるためのトレーニング時代はほとんど同一でした。
とてつもない厳しさに耐えてこそ、デザイン能力が鍛えられてきました。
この同一な体験があるからこそ
この小誌が訴求している全てを受容できます。
デザイン表現がデザインの性能をしつらえ、
デザイン効果がデザインの効能を仕組んでいることを知ってこそ、
初めてデザインが常に機能性で語られる一般性を拒否出来ます。
これからの自分の10年、その大きなヒントを得ています。
編集者でありデザイナーであるからこそ仕上がっている小誌には
デザインの性能と効能があるからこそ、
デザインと機能の関係が明白です。

*『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
*『ようやく出版されたDEO=デザイナーのあるべき職能観』
*『ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある』
*『誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決』
*『デザインは機能美ではありえない』


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『広報誌がまだジャーナリズムである』


   


     8月 10th, 2015  Posted 12:00 AM

私は福井在住の頃、福井県行政のまさに敵あつかいでした。
それは福井県行政がいまだに時代遅れ、を指摘するからでした。
県行政からは広報誌など名古屋にはまったく送付無しでした。
今は福井市と越前市から「広報誌」が届きます。
つまり、全国にこうした広報誌はどれだけ発行されているでしょうか。
私は今も越前市の広報大使をしているので毎月の日毎の企画を知ります。
決してこうした広報誌が行政の税から作成されていたとしても、
いわゆる「ジャーナリズム」の基本の基本は全うされています。
だから一般マスコミの雑誌出版は消尽すべきだと断言します。
もはや出版業界そのものが低迷どころかもう時代的な即応性を
失ってしまっていますから、ジャーナリズムそのものは、
新たなメディア、それはインターネットでのHP以上があるのに、
すべての出版業界は発明も出来ないのには私は呆れています。
呆れると言うより、ジャーナリズムの基本理念を喪失してる業界の
能力レベルが時代的に露呈してきただけの実話に過ぎません。
私にとって、デザイン系・建築系・技術系・芸術系などは
現代は全てが行政の発行する広報誌以下のレベルに成り果てています。
その理由を決定的に記しておきたいと考えます。
ジャーナリズムというのは、基本は日々の記録であり、
それはナラシオンから離脱した大きな物語から小さな物語が、
出版そのものの革新性が求められているという重大な事に、
いわゆる雑誌というメディアはHP辺りでうろうろしていることです。
まず、過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました。
現代を記事として出版しようがHPアップしようが時代読解力無しです。
そして、得てして出版は未来を語ろうとしても、
それらはすべて取材して編集、
それも編集学に無知な記事だと勘違いしているのが出版業界であり、
マスコミもサブカルチャー雑誌も、行政の単なる「日々の記録」を
決して超えることが出来ません。
かつて私は17年もある雑誌に連載をしていましたが、
それは出版としての経済投資効果を得られずに出版が終焉しました。
私はその変わりがこのHPでの小さな物語というジャーナリズムとして
それは自分自身への編集学そのものだと考えています。


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