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Posts Tagged ‘総合審査委員長’


『AXISは私の起点であり、対談をした』


   


     11月 20th, 2018  Posted 12:00 AM

AXISは、デザイナーの私にとって
いつも起点や転換点となった特別の場所です。
故郷福井から再起をかけて、
「タケフナイフビレッジ」の作品展を開催したのもここです。
当初の予定より長期間の開催を提案いただき、
展示途中にエドワード鈴木さんが立ち寄って「皆も連れてきてもいい?」と、
田中一光さんはじめ、初日から大勢が見に来られ
連日の賑わいとなって評価と評判をいただきました。
「川崎は刃物を持って、デザイン界に戻ってきた!」と言われたものです。
倉俣史朗さんと出逢ったのもここでした。
その後、倉俣さんから毎日デザイン賞の推薦を受け、
賞を受賞後、彼は急逝されてしまうのですが、「夢の形見」を出版。
そして、久しぶりにそのAXISで、11/4 深澤君と私が対談をしました。
沢山の申し込みがあったらしいのです。
私は2001年から、深澤くんは2010年からと
グッドデザイン賞総合審査委員長でした。
今年、彼と私はある審査会の審査員として様々な審査ポイント中で
毅然とデザインという同じ方向で最高賞を選出しました。
その時すでに私と彼とで講演会をやろうと冗談で言っていましたが、
こんなに早くAXISのイベントで対談ができるとは思っていませんでした。
たまたまAXIS誌の表紙に二人とも選ばれていたからですが、
対談の相手として希望しました。対談スタートは、
彼の「デザイン的工芸」と「工芸的デザイン」というテーマでの
金沢の展示について、私は「デザイン的デザイン」と「工芸的工藝」、
すなわち「四句分別」であることや、「デザイン思考」を批評し、
あとは彼のリードで対談を任せました。
私が美大卒の時には、著名なデザイナーを夢見たわけではなく
福井の短大の先生をめざしました。
母(47歳死別)の遺言「世界で有名なデザイナーになって」で、上京。
また、気になっていたことは
私の仕事は車倚子になったというような身の上から、
医学の分野をデザイン対象とした、
経験の幅におさまったものではないと自負しています。
これは盟友の松岡正剛氏の私の文章で明らかです。
https://1000ya.isis.ne.jp/0924.html
久しぶりのデザインのパワースポットAXISで賑わいあるイベントとなりました。


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「まだ流行っているユニバーサルデザインは間違っている」


   


     7月 28th, 2018  Posted 12:00 AM

「ユニバーサルデザイン」がまた流行っています。
1995年に「UD・エデュケーション プログラム」が、
「川崎が大学人になるから」と言うことでアメリカから入ってきました。
そして、1996年に名古屋市立大学・芸術工学部に持っていき、
「ナイチンゲールの覚え書き」と「人工臓器」を始めました。
最もこれは1986年には、「世界デザイン博覧会」で発表。
この時、NASAでのデザイナー、マイケル・カリルが、
ユニバーサルデザインを言い残したのです。
しかし、私とマイケル・カリルの対談記事が見つかりません。
ちょうど私がGマークで総合審査委員長なので、
「地球にやさしい賞」・「ユニバーサルデザイン賞」を3人でまとめました。
一般的にはロン・メイスンが出てきますが、
七つの法則を言い残しました。これは米国風です。
ところが、また、「ユニバーサルデザイン」は使われています。
この「ユニバーサルデザインハンドブック」は、
米国の論文を大学人に分け与えたのです。
これは大変厚くて読めるモノではありません。
一応、私は監修者なので読んでいますし、
マイケル・カリルもロン・メイスンも亡くなりました。
そして「SD」(建築雑誌)の最終号「HCD」になりました。
Human Centered Designです。
それは現在では「HUSAT」が基本にしています。
Human Sciences and Advanced Technologyが基本です。


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『エアーバック不始末事故:予想されるチャイルドシート設計』


   


     10月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

エアーバックが硝酸セルロースの火薬爆発、
つまり、火薬工学効用です。
爆発成形というのにはとても興味があるとともに、この工学技術は、
すぐに戦争への工学技術視されてしまうのが現在の日本風潮です。
しかし、明確に、車の安全性はシートベルトやエアーバックで、
万一の衝突や転倒事故への安全工学になっていることは確かです。
ところが、エアーバック不良で4名の死亡者を出したことは、
日本の車両デザイン全てが安全性を失ったことになります。
かつて、来春からチャイルドシートが義務づけられることで、
Gマーク賞獲得を目指して、
国産製の一見して研究不足ある大量の応募があったことがあります。
ちょうど私は総合審査委員長であり、審査委員で詳しい人物もおり、
海外の有名車メーカーが、設計者自身が自分の子ども向けで、
チャイルドシート開発をしていたモノがありました。
そのことは、カーデザイン関係誌でも読んで知っていましたから、
そのメーカーからGマーク賞応募はありませんでしたが、
連絡をして、応募してもらいました。狙いは、これが本当のシート、
その事例を国産メーカーに知らしめることでした。
海外製と国産では明確さがあり、
「これを事例に」して欲しい旨を広報することができました。
さて、あらためてあれから国産のチャイルドシートも、
国産独特の工夫やデザイン進化があったようですから、国産製も、
すでにGマーク賞を受賞選定されていましたが、私は一見して、
このアイディアでの商品は危ういのではと懸念してしまいました。
単なるスタイリングで賞選定すべきではありません。
比して、海外製のシート進化を性能・機能をしらべましたが、
これらは別段Gマーク賞選定ではありませんが、
あらためて、Gマーク賞選定審査委員の知見と見識を疑います。
もし、Gマーク賞選定のチャイルドシートが不始末なモノであれば、
それは審査委員会そのものの判定が駄目出しされるでしょう。
この不始末メーカーのエアーバックにはかねてより疑いがあり、
調査されていたことを私はその専門家から聞くことができました。
デザインは単なるスタイリングではありません。
信頼性ある安全性能が確約された機能的な美学が保全されるべきです。
ただ、私はプロのデザイナーとして、国産も海外製も、
車シートデザインそのモノが
すでに時代に遅れたモノになってしまっていると断言しておきます。

「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」


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「危機管理産業展2012から『危機管理デザイン賞』スタート」


   


     10月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

2005年から、危機管理産業展が開始されました。
これからの日本の輸出産業に、
危機管理に関わる物品やシステム分野を特化する目的でした。
ところが、日本は3.11という大震災・大津波、さらには原発事故、
続いて竜巻・大豪雨の連続で国難状況下にあります。
それだけの経験をした私たち日本の産業分野として、
俄然、世界からも注目される国になってしまったわけです。
そこで、(社)公共ネットワーク機構 (koukyo.net)は、
この産業分野の振興を図るために「賞」を創設。
私は、公共ネットワーク機構の設立時に理事であったことから、
このアワードにデザインの導入を提案したところ、
「危機管理デザイン賞」の企画・計画、運営や産業振興政策の立案。
そうしたところ、総合審査委員長を拝命しました。
そこで、まず、この産業展から出展企業の応募を図り、
展示会出展商品から審査を開始しました。
やはり、3.11を体験しただけに、
「備品・機器・システム・ビジネスモデル」には切実感があります。
想像以上の観客や同時開催の「震災対応セミナー」も、大盛況でした。
3.11で私たちは何を学んだかを、
今後、世界にむけて発信し、その対策や環境づくり、
制度そのものを経済領域に持ち込むことが出来るでしょう。
これから、その審査基準の紹介や、
デザインにとっても新たなデザイン対象が出てきました。
地球環境が悪化するなかで、
日本こそ、
この地球を護っていくための先進国家になっていくべきでしょう。
それは、「尊敬される新たな国家観」、
そうしたことを創出し、提示することになると確信しています。


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「また、新たな展開だ・・・」


   


     8月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

2001年、私は彼と出逢いました。
その年に私はGマーク選定の総合審査委員長でした。
商品内容について、説明を求める審査に加わりました。
その会場に、まるで異様な若者集団が現れました。
サラリーマン的なグレー色の中に、
髪は緑や金髪で、ロックグループのような若者集団でした。
だから、私はようやくGマークにも
このような集団が来てくれることをとても嬉しく思いました。
その集団のリーダーは、当時、25歳だったと思います。
彼も、指輪してブレスレット、長髪の私が
審査委員長だったことにビックリしていたと後で聞きました。
部門別審査委員会では、彼らの商品には、
「インタラクションデザイン賞」と
グランプリ候補にと、すでに決めていてその確認でした。
私は、彼らに聞きました。
「どこで売るの?」、と。
「秋葉原です」
「じゃ、秋葉原ではインタラクションデザイン賞では通じないね」
「でしょうね」
「分かりました。分かりやすく『中小企業庁長官賞』なら?」
「それなら説得しやすいかも」、ということで、
グランプリ候補にもなりました。
授賞式では、私は大企業に向けて、ある演説をしてしまいました。
「商品説明が時代遅れになってきています。
是非とも『デジタルステージ』の商品内容、
特に取説に注目してほしい」と。
結果、「取説だけほしい」と言ってきた大企業があったらしいのです。
もう彼は一児のパパとなり、
まさにSNS時代の寵児になっています。
原発問題でもさかんにオピニオンリーダー的発言をしつつ、
彼のUstは、websiteづくりにはたまらない人気番組になっています。
改めて、新作を出しました。
まだ内容は確かめていませんが、
それ以前に仕上げていた著作もヒットしたようです。
私は、彼を大学で講師に招いたこともあります。
とことん、自分が欲しいモノを実現していくさわやかさは、
今もまったく変わっていません。
大阪で合宿するように彼に求めています。


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