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Posts Tagged ‘結び方’


『ピンバッチで語る男の三つの目標と目的』


   


     11月 2nd, 2019  Posted 12:00 AM

「大病、大貧乏、大政治犯」だと
すごい大物になる男の経験として語ってきました。
大病は今も患っています。が、大貧乏も2年半やりました。
さて、そうなってくると大政治犯にはまだなっていません。
いつか、そうなるかも知れません、福井藩藩士・橋本左内のごとく。
今、身につけるピンバッチはこれらがベストのモノたちです。
最近はネクタイをしなくなりましたが、私は機会があればします。
蝶ネクタイも自分で結ぶタイプを選んで絞めています。
就職する学生達にもネクタイの結び方指南をしていました。
これではネクタイ産業がとてもヤバいのです。
今、バッチはこれらから2種類を選んで身につけています。
オリンピックや国際目標、警察関連、秘密結社などのバッチです。
私もまだ成長過程、最終的には大政治犯となることが必要なのですが、
発言から私は右翼とか言われていますが、決して右翼だと思っていません。
ただ、私の父は、7年半も兵隊になり、警察をきっちりと努めて、
70歳には自動車会議所を建て変えて、その専務理事を自分から退任し、
残りの人生を北陸新幹線開通のため毎月、政府に陳情をし、
戦地で散った仲間を思い巡礼に、中国も靖国神社をも訪れていました。
日本のために青春のすべてをかけた彼は、北陸新幹線の駅のために毎月、
3.11も知らず、北陸新幹線も知らずに逝きました。
その父の背中を見ているので、生半可な生涯を送れないと誓っています。
バッチ選びも真剣です。


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『「ひも理論」はデザインで語れるが、その前に!』


   


     6月 23rd, 2014  Posted 12:12 AM

デザイナーが、数学「的」な見解を述べようものなら、
知ったかぶりした数学「屋」に限って能なしの輩をみかけます。
したがって、本来の数学的な仮説である「ひも理論」以前に、
これも私の趣味であり、私が使い慣れている紐やロープについて
書いておこう思った次第です。
おそらくヨットに長けた人ならばロープの使い方は熟知しています。
私は、父から逮捕術での紐やロープ使いを幼児の頃から教わり、
高校の山岳部時代にはロープ使いを訓練させられました。
私の得意技に紐使い、ロープ使いがあります。
そして、それこそ数学の仮説である「超ヒモ理論」を教養として、
私なりにそれをデザインへの応用を考えてきました。
最も、数学屋が紐やロープ使いはできるはずがないでしょう。
たった一本の紐、とりわけ、その結び方やその展開方法は、
何か、趣味がなければ学校では教えていません。
夜の星・星座名や道端の草花名を教えないことに等しいのです。
本来、小学校時代に恐竜を教えたり、草花、高山植物、天気図など
絶対に教えるべきだと私は思っています。
結局日教組の先生が日本の教育を壊してしまったと確信しています。
その最大の理由は、
今、紐やロープを手法として教えられるでしょうか?
たとえロープ使いは難しいかもしれませんが、紐程度の扱いは、
トレーニングとして教え込むべきだと思っています。
大学人になって紐・ロープを扱える人間に会ったことがありません。
それこそ、数学屋で「ひも理論」を語ることができても、
金槌の使い方も知らないのに、建築を語ろうとするようなものです。
以前、高名な建築家をある有名な評論家が「彼は釘も打てない」と。
「君はそんな人物になってはいけない」と諭されました。
時折、手元にある「紐」と戯れるとき、
私はいつもこの一流の批評家の話を思いだします。

『最も嫌いだった著作からこれを始めた』


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「組紐に出逢い、やはり『絆』があった」


   


     3月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

有田への出張は佐賀県嬉野市から始まり、
嬉野温泉に泊まりました。
そこで「組紐」に出逢ってしまったのです。
ここにも「組紐」があったんだと「嬉しく」なり、
しかもその売り場には「絆」を表す組紐とカードがありました。
3.11以後のわが国は、現政権への不信感や、
反原発・脱原発で国の世論は分断されています。
だからこそ国難の最中になっています。
私は「範原発」という新たなカテゴライズをまとめています。
組紐は、
母の帯留めや祖母が日本刺繍を教えていたこともあり大好きな物です。
しかもこの組紐はまさにトポロジーの一例になるモノでもあります。
どうやってこの結び方があるのでしょうか、
「結い」という日本の伝統的作法を表現した伝統工芸であり、
なおかつ江戸時代に完成された「美しい日本の表現物」と思っています。
私はカメラのストラップにするために
帯留めの組紐を材料にしてストラップを自作することがあります。
今回、有田焼に関わって、有田が1640年代頃には一つの革新がありました。
一次焼成後に青色・コバルトブルー、酸化第二鉄が酸化第一鉄に変化し、
独特の青色を生み出して、
この地方の鍋島焼は献上品としての名作が今も残っています。
従って、ある意味では無鉛の釉薬をなぜか強制させれる現代、
このコバルト・ブルー(有鉛)は失われました。
私はそれが問題だと思っています。
有鉛であっても、
釉薬処理での産地の伝統技には害毒などありえないのです。
焼成後のブルーは結晶構造が唇に優しいモノに変化しているのです。
1640年代といえば、三代将軍「家光とお江与の方」の時代でした。
組紐は刀剣から着物にいたる
「美しいモノ」が完成され始めた頃のことです。
カードには現代では「トポロジーのかたち」、
そう呼ぶことが可能の一つがあしらわれて
「絆」の確認を訴求していました。
この「結い」はまさにトポロジー配置空間だと言っていいでしょう。
私の有田での講演会と発表会は、
今、わが国にとって最大に重要な「絆」から始まりました。
翌日は、佐賀県知事・古川康氏と初対面で夕食をしながら、
「有田」産地のことから復興計画=被災地空間環境までの「絆」を
4時間話合うことができました。

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