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Posts Tagged ‘神の国’


『資本主義からの逃走』
 「神の国・・・その冒涜・2」


   


     11月 18th, 2009  Posted 9:46 AM

美大時代、
私は日本美学に惹かれる訳が無いと思っていました。
これはすぐに消滅しました。
学園紛争は金沢美大にまで及んできました。
全共闘赤軍派などが知ったかぶりで叫んでいました。
私たちはファッションにこだわり、
立て看を片付けて、彼らと対立していました。
しかし、赤ヘルメットで、
ただデモしているだけのお粗末さがセンスの無さを証明。
馬鹿集団としか思えませんでした。
学生運動が歴史的に勝ったのはイタリアでたった1回。
この知識すら知らない連中たちでした。

私は団塊の世代です(嫌いな言葉ですが)。
同世代には「当時はね、左翼系で、よくデモってました」。
こんな教授達に出会います。
あれからあなたは何をめざして生きてきたのでしょうか、
私は質問したくなりますが見下すことに最近決めました。
大学教授なるみなし公職にあり、
青春の志を転向したあなたを、
決して認めることはないでしょう。
あなたは「神の国・日本」を冒涜して生きているのです。

「神=自然神の国」を冒涜したのは、左翼系インテリです。
こうした人間は、
日本が犯した大罪であった世界大戦を指摘します。
私は日本美学を岡倉天心と天皇制と武士道に求めました。

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そして、結論。
冒涜は、三つあったと判断します。
大東亜共栄圏構想には、
「東洋の理想」岡倉天心著の書き出し、
「Asia is One」=「東洋は一つである」が、
当時の軍部に引用されました。
岡倉天心の美学と愛国心を悪用したのです。
● あの戦争は「天皇制」が原因と、
戦後その理論を吹聴。
それらが進歩的文化人と言われた左翼系学者や作家です。彼らは「神の国」の冒涜者です。
●「東京裁判」での国際法の無視です。
具体的には、名古屋大空襲に立ち向かった、
一人の中将=武士道の抵抗と
その正当性を忘却させていること。
無論、東京裁判を今、再考し直してこそ、
あらためて憲法9条論議を乗り越えていくべきです。

これら三つの冒涜が、「愛国心」という言葉すら、
日本語の危険語としてきた戦後の教育だったのでしょう。
「神の国」の均衡心=バランスとハーモニーという
日本の美学を冒涜していることだと私は考えます。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その定義・1」


   


     11月 17th, 2009  Posted 7:00 AM

戦後は、東京裁判の裁決からスタートしたと思います。
しかし、戦中、マルキスト=インテリと錯覚した若者は、
特高との壮絶な弾圧との闘争だったと知らされています。
1949年生まれには、まったくわかりませんが想像できます。

しかし、子供心にも「ニッキョウソなる教師」の戯言は、
私には滑稽きわまりなく、
「日の丸も君が代も、あれが日本を滅ぼした」、と。
そんな教師を、私はほとんど軽蔑・侮蔑していました。
だから、彼らの担当科目は常に成績はトップでなければ、
という敵対心で勉強し、その軽蔑心を押さえ込んでいました。
なぜなら、
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「日の丸」は、世界でもっともシンプルで、
夕焼けの太陽のごく美しく、
「君が代」のあのメロディと詩には、
「・・・さざれ、石の苔むすまで・・・」という
直感的に、
「美」・・・当時はまだまだ不明だったのですが、
体にしみこんでくると思っていたのです。

宮大工の大棟梁だった祖父は、
「神の国の話」をいっぱいしてくれました。
倉には、輪島塗りや久谷焼きや鎧甲や大工道具があふれ、
特に、伝統的な毛針=鮎釣りの美しさに
「神の国だから存在してきた物」が
いっぱいあったのです。

「神の国」とは、「自然神の国」というのが、
私の定義です。


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『資本主義からの逃走』
「資本主義という宗教・宗教としての資本主義・2」


   


     11月 16th, 2009  Posted 5:00 PM

日本には八百万の神=自然の草木から岩に至るまで、
すべてに神がいました。
仏教には、五大思想での木・火・土・金・水があります。
儒教は、
仁・義・礼・智・信という人間としての徳性が基本でした。
歴史的には、
日本では
仏教と儒教が一体化したり分離という理が学問であり、
それがさらに八百万の神=神道とも一体化しました。

日本の神を全否定したハビアンの主張は、簡潔です。
ハビアンが、キリスト教の優位性を主張したのは、
世界の「創造主」の有無であり、神道・仏教・儒教の
「無為自然」や「空」・「無」なる心情が
全ての人にとって確信性が明白では無い、と
いうことを論破したのです。

ところが、儒教精神や仏教さらには神道で、
「自然」、特に樹木・岩・石から物すべてに「神」を
「武士道」に「理」として朱子学などは、
江戸時代から精神性の学問とまで昇華されていきます。

私がこれまで蓄積してきた歴史観の一端しか、
ここでは述べませんが、私は思います。
「賢者は歴史に学び、勝者は歴史をつくる」というなら、
私は「賢者」でありたいと思っています。
あらためて語りつなぎます。

日本は「神の国」であるという政=まつりごとの
根本理念と精神支柱として人格性の基盤となり、
そこに「天皇制」という民族思想は統一されました。
小さな島国、資源も面積も無い日本にとって、
民族自身の保身に、愛国の思想、
その核心が「神の国」であったことが、
悲しくも逆作用をしました。

甚大な戦災と被爆に遭遇した哀しみすら
「神の国」ゆえということを否定した
左翼系思想がマルクス思想だったことが、
ハビアン的な反発だったとみなすことができます。

歴史的考察を短絡して語りきるなら、
「東京裁判」による、
日本評価と判決を私は許容はできません。
日本の資本主義が、
「神の国」を仕舞い込んでまで、
生きながらえてきた戦後を
そろそろ総括するべきでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「資本主義という宗教・宗教としての資本主義・1」


   


     11月 16th, 2009  Posted 12:00 AM

不干齊巴鼻庵という人物を知っておられるでしょうか。
日本の神を全否定した人です。
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破堤宇子・ハビアン 1868

ハビアンというクリスチャン名で、
出自としては禅宗からキリスト教に転向したようですが、
その経歴などは不明です。
キリシタンの文化的知識人としては、
「妙貞問答」による、キリスト教の優位性を
仏教と儒教に対して論破した力量に、
私は確かに敬服します。かの林羅山も、
彼との論議では一目置いたとも言われています。

しかし、この「妙貞問答」は、徳川家康によって、
あらたな仏教・儒教・武士道によって、
対・キリスト教への確実な理論武装を与えたと思います。
なぜなら、織田信長は、仏教による武装勢力を焼き払い、
キリスト教文化には心惹かれながらも、
日本の防護にのみ利用しました。秀吉もこれを見習い、
キリスト教との距離感を、いつでも問題視しました。
茶道によって、信仰はあらためて自然信仰にもどりました。
これは千利休の国家策略だったことも大きな力でした。
私は千利休はグランド・デザイナーだったと判断します。

家康が明らかに、仏教・儒教・武士道・対・キリスト教を
国家治世手法としての宗教力・信仰力の制御に、
実際的には「妙貞問答」はマニュアルだったと思います。

私は、この日本独自の「対・キリスト教」信仰心制御は、
対・資本主義に対しての大きな過去の歴史の知恵です。
あくまでも、資本主義の基盤は、キリスト教信仰です。
キリスト教信仰の「勤勉さ」と、
仏教、あるいは神道での「勤勉さ」の大きな違いを、
今、再検討することが
日本の経済主義志向を決定するでしょう。
日本人の「勤勉さ」は、まさに「お天道さま」なのです。
「お天道さま」への自己の
「働きがい」と「生きがい」です。
ここに、「経世済民」があるのです。
G6・G7=資本主義経済連合において、
わが国だけ、キリスト教を背景にしていないことにこそ、
資本主義から、離脱と逃走が必ず可能だと信じています。

つまり、日本こそ、世界への「経世済民」を示せます。
自然とともにある「神の国」という思想を
再度復活させることです。

「神の国」とは戦時中のプロパガンダ用語ではありません。
ハチマキをして、「神の国」には必ず「神風」が吹く、
というような幼稚さやアジテーション行動ではなくて、
「神の国」という自然と人間が共生=ともいきできる
知識・知恵・思いやりの世界観思想化を意味します。


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