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Posts Tagged ‘社会保障’


『資本主義からの逃走』
「Business Modelの経営仮説と収益構造の破綻」


   


     4月 5th, 2010  Posted 12:01 AM


企業は、「企」という漢字が表現している意味があります。
「企」は、つま先を立て佇んでいるということです。
これは、遠方=将来に向かっている意味があります。

経営仮説・収益構造
その目標と目的には、「経営仮説」という、
商売による「儲ける」という「経営仮説」があります。
その経営仮説は、「収益構造」を意図しています。
収益構造は、まず商売によって利益を獲得します。
その利益だけではなくて、
企業は社会に存在している意味として、
利益を還元していく義務があってこそ、
利益獲得の権利があるわけです。
ところが、「収益構造」は、
その企業が経営仮説は独自の発想や表現を流通させる、
という独自性をもっていますから、
利益獲得を独占することの権利だけ、
その主張企業が派生しているわけです。
特に、不況となれば、健全な経営は歪んできます。
健全な経営というのは、
まず、「企業の存在」=社会的な役割の認識が基軸です。
その基軸には、「義務」としての社会還元があります。
当然の税金、さらには奉仕的な社会文化を
形成していく支援、そうした事業があります。
スポーツや芸術、さらには社会保障から教育支援を、
経営仮説による収益構造の利益配分が「義務」なのです。

Business Modelの破綻
現代、これだけの不況感・デフレスパイラルの中では、
経営仮説を独占しているのだから、
当然ながら、利益獲得は、企業が独占し、
社会還元・文化の形成支援は不可能、
すなわち、権利だけを主張し存在義務の放棄が拡大しています。
結局、この義務をつくして権利である利益獲得では、
企業の経営仮説でなければならない社会文化の形成が不可能となり、
経営仮説そのものが破綻していくことになります。
私は、明らかに「経営仮説」+「収益構造」=義務+権利
このBusiness Modelの破綻が、
相当に蔓延していると指摘せざるをえません。


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『資本主義からの逃走』
 「社会保障としての医療制度は、資本主義では不可能」


   


     2月 11th, 2010  Posted 10:00 AM

医療というFormation
DynamicsとFormationを先行させてしまいました。
医療こそ、人間の「生老病死」への科学的対応です。
したがって、「生老病死」を経済論理では語れません。
生老病死
「生老病死」はまさに、Dynamics論理が不可欠です。
さらに、医療はFormationによって、
その解決を計れれば、「幸運」であり「幸福」です。
経済活動の格差が、
そのまま医療制度に反映されることになれば、
「生きる」という連続性は経済とはLogarithm的です。
無論、「死」は万人に平等です。
平等は、「生きる時間」が限定されていることであり、
その平等性は、Dynamicsであって、
いわゆる寿命には格差があることは明確です。
医療制度を社会保障する、というのは、経済論理が
まったく適合していません。
むしろ社会主義としての平等性を、
担保する必要があります。
それは、資本主義的な医療は「生死」すら経済性で、
決定づけてしまうということになります。
せめて、「生死」と医療を結合させる論理は、
Formationを社会構造に組み込んでいくことですが、
その論理あるいは制度設計の方法は発見不可能です。
したがって、
医療Formationを社会保障制度にするには、
それを医師・看護師・医療従事者だけに委ねることから、
決別する時になっているのです。
ましてまだ治癒不可能と言われている難病・癌などに、
「社会保障としての医療制度」は、
デザインが入り込んで、制度設計と環境設計に
「向き合う」必要性が見えています。
私は、デザインは、「命を護る・守る」ことまでは、
決して出来ないけれど、
いのちと向き合うデザイン
「いのちと向き合う」ことは出来るということを、
実践第一から制度設計へと、
向かわせることをめざしています。
Formationというのは、
本来自然の中での生物の「生死」競合性の制度です。


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