5月 15th, 2012 Posted 12:00 AM
私は夏には、時計ベルトは革製は避けます。
最も軽い時計からいわゆるブランド時計を前にすると、
3000円から100数十万円という商品価値のある時計たちですが、
最も、性能・機能が優れているのは、
G-SHOCKとルイ・ヴィトンになります。
G-SHOCK(赤)は、ソーラーで電波時計ですが、
ルイ・ヴィトンの丁度10分の1の価格です。
G-SHOCKはすでにブランドは確立していますが何かが欠落、
いわば、昨夜の「消えるボールペン」と同位の価値商品。
時計とは「目に見えない時刻」を測定と告知してくれる機器です。
企業の経営戦略論では決まって、
「ブランド構築論」が最も重大な経営論として流行しています。
しかし、わが国の企業全体に「ブランド」=商品存在価値=市価、
この図式はまったく未完成と言わなければならないでしょう。
ソーラーで電波時計の正確さは、「時計の最大重要事」です。
にもかかわらず、機械式であることが存在価値としていることは、
「物語り性」と「出自系譜の信頼性」に他なりません。
G-SHOCKはもっと高価にする戦略があるべきです。
私なりには、それぞれの時計を手に入れてきた自分史がありますし、
それぞれの時計の「物語りと自己証明」の演出道具にしています。
だから、夏は金属ベルトやシリコンベルト、プラスチックが
効能性を持っているのです。
人間が身体に装着するのは、時計・眼鏡・指輪などであり、
こうした小道具に自分の自己存在を投影することになります。
その演出性は、海外ブランド力が支援してくれるということです。
ファッションであり、モードであり、
フォーマルなのか、カジュアルなのかも時計一つが、
私を代弁してくれるのです。
私は、時計に限らず、日常生活を支えてくれているモノ、
そのモノの体系には、必ず「効能」としての、
「物語り性」と「存在の証明性」を、
作り手側に、それは「焼き印・刻印」としてのブランドが、
商品価値と価値商品を相補的に「語っている」のです。
そのしたたかな智恵・戦略が、
わが国に今最大に欠落していると言っておきます。
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3月 6th, 2012 Posted 12:00 AM
ルーブル美術館は年間来場者数400万人と言われています。
比して、21世紀現代金沢美術館は
日本では最高200万人近くの来場者数です。
美術館としての社会的存在性を
金沢という街と相補的な関係性を保持しています。
母校の卒業制作展とともに、
「若手芸術家の発掘」企画展においても私はまた学ぶことができました。
日本生まれの英国人アーティスト
ピーター・マクドナルド「訪問者」の企画展で、
私は欲しくてたまらない彼の作品(↓)を見つけました。
彼の自由な平面構成絵画に表現された彼の「感性」です。
あらためて私は「範・感性」と言っておきます。
デザインにおいても「感性」表現、
「感性工学」が基本的学識になって久しいのですが、
私なりには一家言を持ってきました。
その一つは、デザイン教育者として、
徹底的に「感性」を哲学的知識として講義し、
デザイナーとして、自分の「感性」と対峙してきました。
特に、私の「感性」は、まず音響があり視覚的刺激があり、
生きがいの感受性の確認でした。
理性・悟性・感性を歴史的定本から学ぶとするなら、
ギリシア時代、感性を低次な認識知としていたことは、
カントの理論的集約によって理性以上に重要な大きな世界観になりました。
さらにそれはニーチェから構造主義やポストモダンまでが
その再定義や認識性を与えてくれました。
私にとって、
「感性工学」という範疇に自分のデザインは配置していません。
むしろ、直観と感性をDIVINATIONとして
デザイン対象に込めてきたと想っています。
そして、彼の作品を日常生活に置いてみたいと思うほど、
彼の感性から「範・感性」を感じ取ることができました。
少なからず、現在進行中のデザインプロジェクトには、
絶対に取り入れたと考えています。
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4月 19th, 2010 Posted 12:01 AM
連鎖系・構造系へ
ファッションは「モード」の話に収束しています。
ところが、モードは即、流行として軽んじられる傾向があります。
しかし、モードと景気は相補的なパラメータで連鎖しています。
モードは確実に、「イノベーション=景気循環」だと思います。
そして、確実なパラメータの設定なら、それはコードです。
そしてコードは体系が限定されたシステム内でしか機能しません。
モードの自由度に比べてコードの限定性の間で、
大欠落があることは指摘されてきませんでした。
私は、モードもコードも、
もし「体系=システム」論ならば、
次の指摘による、「連鎖系」と「構造系」が思考軸となって、
「ダイナミックス」論への展開が必要だと野生的に感じています。
Dynamics
結局、行政政策での「モード仕掛け」が常に失敗するのは、
「モード」だと思って取りかかる毎に、
政策という「コード」に変質してしまうことに気づいてこなかったことです。
実例とした「コンテンツ産業」も、
モードとなる要素と要因が、コード化しています。
結局、モードはあくまでも、
時勢や流行、さらには風評という「自然な社会生理現象化」、
それはダイナミックス化です。
端的に極論すれば、システム時代は終わりつつあるのでしょう。
いや終焉したのかもしれません。
これは資本主義の終焉とのパラメータになっているのかも知れない、
これが私の推測であり、予知、予測でもあるわけです。
システムはあきらかにコードとして「限定された体系」にまとめられます。
ただし、集約や収束ではありません。
単なる蓄積体系でしかありません。
ただし、この「コードの体系」は、運用と維持のパラメータとしては、
大変、便利で活用は創造的に使いこなすことが可能です。
だから、教育は、ある意味では「コードの体系」、
その蓄積を読み解いていく手続きを指導すればいいだけのことかもしれません。
けれども、デザインは、無論「コードの体系」を入れ替えたり、
あるいは引用することが出来ます。
当然、コードなのかモードなのかを選定したり、
その入れ替えや策動も可能です。
私は、ファッション思想 思想ファッションが、
コードへのプロセスを作動させる装置だと思っています。
それだけに、ファッションを現代思想としていくには、
明解に、コードの体系、コードの蓄積を破壊する発想が必要です。
そして、それが出来るのは唯一、デザインでしかないと私は思っています。
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