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1月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 20th, 2022  Posted 12:00 AM

1月20日 大安(癸酉)

『賛歌としてのデザイン』

が、
現実主義では
希望や夢を放棄した
生命への冒涜である。

artificial heart:川崎和男展


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「何が制度設計かが大問題という要認識」


   


     4月 18th, 2011  Posted 12:00 AM

制度という言葉は便利です。
あたかも制度設計には理想論が有るようです。
これは大誤解であり、制度設計は現実主義です。
つまり、制度というのは
「切り捨て程度具合の決定」です。
法規的には「切り捨て」ルールづくりが制度設計。
したがって、制度設計はある意味では、
冷徹な「切り捨て主義」が根底だと理解しておくべきでしょう。
しかし、今回の大震災はもとより原発の安全運営に対して、
その制度設計は「住民切り捨て」での原発立地制度でした。
私の原発反対理由はここにありますが、
それでも「原子力技術進化」以外は空想エネルギー論です。
自然エネルギー論は空想であり、
技術エネルギー論優先主義です。これはいづれ展開します。
さてあらためて、わが国の憲法にも、地方の条例にも、
災害に対する「制度設計」はあったのだろうかと思います。
条例という制度もその原点は、大震災でした。
福井震災時の治安非常時に、
GHQによって県行政での緊急な法整備が「条例」という
地方行政独自に法定・法律決定ができるという制度です。
現在、被災地に仮設住宅を建設するにも、
市町村が場所の選定を行い、整地作業が義務になっています。
整地に関して、その人件費は国費になっていますが、
整地作業や建機手配は市町村の責務になっています。
さらに建設予定地所有者地権者の全了解をえなければなりません。
しかも、その市町村行政は県行政の検閲によって、
インフラ=水道と送電が決定され、その費用は市町村税だとか。
被災地その早急な復旧は緊急でなければならないと思います。
ところが、復興ではないことに制度が立ちはだかっているのです。
まさしく、これまで確かにわが国ほど平和憲法での
完成されていたはずの制度には、こうした国難・非常時の、
いわゆる「制度」には制度内で切り捨ててきたことが露呈しました。
それなら、たとえ「制度」が「切り捨てルール」ならば、
これまでの制度そのものを「切り捨てる」べきでしょう。
この国難の体験での新たな制度設計にこそ、
現実即応の制度設計デザインが当然だということです。
仮設住宅の制度などには、建設業界と政党癒着が確実に、
その制度の中でまだ息づいています。
こうしたことを「切り捨てる」制度設計は建築界には無理です。
あえてプロダクトデザイン界が果たすべきだと主張します。

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