9月 8th, 2017 Posted 9:00 PM
9月8日
本日は、福井から、
マルイチセーリング株式会社
代表取締役会長 小林様が、
川崎の高校時代からのご友人、
福井キヤノン事務機株式会社
代表取締役会長 玉木様と共に、
大阪までお越しくださいました。
懐かしいお話に花が咲きつつ、
当時からこれまで、
色々なところで意外な繋がりが
発見されました。
商品化されて来たモノをみつつ、
次世代への想いを語り合いました。
新たなモノづくりへ向かい、
再び進むことになりそうです。
力強い握手で、再スタートです。
Tags: キヤノン, スタート, マルイチセーリング, モノ, 会長, 商品, 大阪, 小林, 握手, 次世代, 玉木, 福井
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1月 27th, 2014 Posted 12:00 AM
私は車椅子生活になってふるさと福井に帰ることになりました。
ふるさとには高校時代の友人達がすでにそれぞれ分野のリーダーでした。
中でも、親友・玉木(現福井キヤノン事務機会長)は、
すぐにデザイン活動で苦心している私を物心両面で支援してくれました。
彼の会社のショールームにMacintosh128kがありました。
私は「とても高額なおもちゃのコンピュータ」を借りました。
彼に、「このコンピュータがきっと世界を変える」と話しました。
彼は私の予言を素直に聞き入れてくれてセールス戦略にとりあげ、
Mac512kは自らが講習会を受け、16台即持ち帰ってきました。
私はApple?もLisaもじっくりと知り尽くそうとしていただけに、
Macintosh128kの商品発表は鮮烈でした。
その頃、VENUS-P(通信衛星)で米国のDIALOGにアクセスするという話が、
もっともらしく当時の雑誌紹介はすべてが嘘でした。
なぜなら、Mac512kとMacTerminal、電話カプラー300bpsで、
私はDIALOGに福井は40円/分、東京は80円/分、名古屋は60円/分でした。
このようなことを書き始めていたこともあって、その後からすっかり、
Macの世界に入っていきました。
1991年から2年半は、とうとう福井で7つのコードネームで新製品開発、
Apple社からは弁護士や開発チームがやってくるほどでした。
私はジョンスカーリーの直属のデザインコンサルタントを務めました。
クパチーノApple本社でのプレゼンテーションでは、
黄色人種としての立場までいっぱい体験しました。
日本・東京はバブル経済であり、私は「何かが変だ」と思っていました。
さらに大電産業グループが私にeX-DESIGN(株)を全面支援してくれました。
福井で車椅子の私に1億4000万円のEMSを与えたのは、
その頃の福井県青年会議所の主要メンバーや地元の金融機関でした。
MS-DOSはじめSmallTalk、いくつかのプログラム言語を独学しました。
心臓障害になり、デザインも諦めていた私は、
気づけば、名古屋市立大学に光造形システムとその環境が与えられました。
先般、日本のグラフィック界の二人の代表人物に、
ジョッブスが最後に置き土産にしたと思える書体の話もしたところです。
私の30代からこの35年をMac文明とMac文化があったことは確かです。
Tags: Apple?, LISA, Mac文化, Mac文明, MS-DOS, VENUS-P, グラフィック, コードネーム, コンピュータ, ショールーム, ジョンスカーリー, セールス戦略, デザイン, デザインコンサルタント, デザイン活動, バブル経済, ふるさと福井, プレゼンテーション, プログラム言語, 予言, 光造形システム, 名古屋市立大学, 商品発表, 地元, 弁護士, 心臓障害, 新製品開発, 日本, 東京, 玉木, 福井キヤノン事務機会長, 親友, 車椅子, 金融機関, 開発チーム, 高校時代
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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