11月 13th, 2019 Posted 12:00 AM
YouTubeをほとんど毎日視ています。
中でも、「有害駆除」はチェックします。
これをあげる人には、ローピングも出来ない、生命へのお祈りも出来ない、
こういう人には免許を絶対に渡さないことを法で定めるべきだと思います。
有害駆除の名のもとに、鉄砲、罠などでも、小さな鹿や小さな猪を殺し、
駆除動物の冥福を祈らない連中は、
解体などでもちゃんした切れ味のナイフを使っていないなど、
すべて間違っています。また、この用途での鉄砲は卑怯です。
罠にしても一番なのは失神させて心臓を止めるのが、私はいいと思います。
がそこからが問題です、小さすぎる生命の殺生はいけません。
特に猪などは80Kg~100Kgならまだ仕方がないと思います。
そして、ロープワークも出来ない輩は絶対にあれは暴力です、
残酷・無駄な殺生を問いかけるべきです。
Tags: youtube, お祈り, チェック, ナイフ, ローピング, ロープワーク, 仕方がない, 免許, 冥福, 出来ない, 切れ味, 卑怯, 問いかける, 失神, 小さな, 心臓, 暴力, 有害駆除, 残酷, 殺生, 毎日, 法, 渡さない, 猪, 生命, 用途, 罠, 解体, 鉄砲, 鹿
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
5月 17th, 2019 Posted 12:00 AM
今や日本では「空飛ぶ自動車」に夢が無いのです。
いつまでも、ハイブリッドでも無ければ、水素でもありません。
「空を飛ぶカーデザイン」への進化が見えていません。
これはMITでの開発ですが、3000万という価格も明確になっています。
全く、滑走路が無い垂直であり、もはや次世代のカーデザインです。
それこそ、電気自動車ではなく、「空を飛ぶ」という夢が、
オリンピックに間に合うかという話です。
電気自動車を超えてしまう、それこそイノベーションであり、
法の整備なども日本だからこそもうすべきことです。
二つの理由があります。
ドローンタイプとオスプレイタイプでの開発が遅れていることです。
2014年にはトヨタは「空飛ぶ自動車」の特許済みですし、
政府としてもようやく動き出して経産省が
「空の移動革命に向けた官民協議会」を開き
ロードマップだけをを掲げています。
また自動車業界の若手有志プロジェクト
「Cartivator(カーティベーター)」が
「モビリティを通じて次代に夢を繋ぐ」ことを使命にしています。
そうでは無いのです。経産省でもありません。
ともかく、2023年の販売を目指し、2018年12月に無人での
野外試験飛行を成功させています。
「空飛ぶ自動車」のある未来は日本から、
「Design a Dream」夢の実現を待っています。
*空飛ぶ自動車
Tags: 3000万, Cartivator, Design a Dream, MIT, イノベーション, オスプレイタイプ, オリンピック, カーデザイン, トヨタ, ドローンタイプ, ハイブリッド, ロードマップ, 価格, 垂直, 夢, 官民協議会, 整備, 明確, 次世代, 次代, 水素, 法, 滑走路, 特許済み, 移動革命, 空を飛ぶ, 空飛ぶ自動車, 経産省, 自動車業界, 若手有志, 進化, 野外試験飛行, 電気自動車
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
10月 30th, 2009 Posted 12:36 PM
「ム」は、音読みでは「シ」となります。
「ム」の形象は腕を曲げて胸元にまで回しています。
この動作は、「自分のもの」という所作です。
「私」と「公」には「ム」が仕込まれている形態です。
見事にこの「ム」は、欲望を示しているのです。
「私」は、禾=のぎへんにムです。
禾は稲穂の象形です。
禾=いねを自分の物にする、という欲望ですから、
「私」は、まさしく欲望を体現しています。
対して「公」は、八=はちがしらにムです。
八は、屋根のある空間です。
空間の中に、ム=欲望を配置しています。
「公」=おおやけを象形した中に欲望を集めています。
つまり、欲望の私的=私利私欲と、
公的な管理に欲望を集めてしまうという公益性です。
私とは、私的であることの欲望の個人性のことであり、
個人の欲望を社会的に公することを公益性と言います。
● 資本主義は、
倫理性で「公」の理論と論理で、
私利私欲、その正当性の基本を
ある種謀議化したものです。
● 社会主義は、
私欲を離れても「公」の制度で私欲に囚われない人間、
そうした人格性が社会によって形成と保護を受けます。
● 共産主義は、
私利私欲はあってはならず、「公」の制約制度で、
人格の育成を成就できるというものでした。
しかし、
私利私欲・制度での保護・制約制度など、
全てのイデオロギーの長所を持ってしても、
「私的」・「公的」の構図内や図式上で、
個人としての人間と、集団としての人間は、
まさしく剥離していることに
私たちは気づいてしまったのです。
「私」と「公」を民主主義で、「制度」や「慣習」、
そして、「法」すなわち「公」で、
自由・平等・愛は、
個人の私利私欲に倫理性で、生涯の人格性をもって、
「公」なる社会で「幸福」なのだろうかと、
みんながやや疑い出しているのが現代、
生きている現実の感覚だと思います。
Tags: 「資本主義からの逃走」, シ, ム, 個人としての人間, 倫理性, 公, 共産主義, 制度, 屋根のある空間, 幸福, 形象, 慣習, 民主主義, 法, 生涯の人格性, 社会主義, 私, 私利私欲, 稲穂, 自由・平等・愛, 資本主義, 集団としての人間
Posted in 004「イデオロギー」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る