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Posts Tagged ‘欠落’


12月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 6th, 2021  Posted 12:00 AM

12月6日 先勝(戊子)

『知行としてのデザイン』

その最大の原因は、
確実な
時代認識の欠落である。

artificial heart:川崎和男展


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10月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 9th, 2020  Posted 12:00 AM

10月9日 赤口(乙酉)

『寓話としてのデザイン』

雑木林のざわめきに
小鳥のさえずりを
聴き分けた官能は
欠落しようとしている。

artificial heart:川崎和男展


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9月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 10th, 2020  Posted 12:00 AM

9月10日 大安(丙辰)

『提訴としてのデザイン』

運命ゲームの
狂喜と絶望に翻弄される万人の生涯、
それゆえに!」と、
いうことから人間の生死を
直視する思想は欠落したままである。

artificial heart:川崎和男展


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5月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 2nd, 2020  Posted 12:00 AM

5月2日 先勝(乙巳)

現代の家具に最も欠落しているのは、
存在性のモチーフの造形、
その消化である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


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『チームより「一人っ子」気質がとっても大事』


   


     11月 18th, 2019  Posted 12:00 AM

球技を観るのは大好きです。
が、球技は大抵、スポーツの中では「チームで戦う」のです。
最も、最近はラグビーがブームになりました。
もちろん私もにわかブームに乗りました、
「ワンチーム」も心に響きました。
でもチーム球技のスポーツは、私には、絶対に向きません。
私は勝負事だったら、
自分の能力での勝ち負け以外好きにはなれないのです。
どうでもいいのですが、例えば、「汗が混じり合う」こと、
さらには「赤提灯で一杯」とかも、苦手です。
求められる協調性や、
コミュニケーションが一人っ子気質の私には欠落しているのでしょう。
よく、デザインも「チームでやる」とか言うチームワーク志向も、
私にとっては「自分の能力であり、強いリーダーシップ、リーダー志向」なのです。
それ故、戦術も戦略も私次第です。
ともかく、自分の力ならば、負けてもOK、納得なのです。
チームなりの良さも感じられるのですが、
私は、美大では空手部でしたが、
みんなの胴衣洗濯といった下働きはしましたが、
自分はあくまでも
「一人っきり」のスポーツ大好きだと認識しました。


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『デジタル・カーニングが無いというアナログの「知」』


   


     1月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

東芝で多分、総研で「Aurex」が決まった時に、
当時、デザイナーは、東京芝浦電機の「意匠部」でした。
1年間、研修していた私にも提案が伝わり、私の案を出しました。
そこで、ディレクターが、私の案を採用しました。
他の大手広告代理店には絶対に負けないようにと、
このマークやロゴタイプをデザインしました。
丁度その頃には、ビデオテープでこれが入る看板までやりました。
美大で学んでいたとおりに天地60mm直線表示で曲線はプラスαなのです。
特に、レタースペースは、髪の毛一本分=ヘアーラインに注意。
以後、私はこのレタリング方式をデジタルでも「知として」使っています。
だから、アナログ方式にはカーニングではまだまだ経験値が必要です。
それこそ、オリンピック・パラリンピックは直線と曲線には、
ヘアーラインが全く考慮されていません。
現代のデザイナーには、レタリング知識の「知」が欠落しているのです。
ところで、大手広告代理店では数億のデザイン料でした。
そして、私はシェーファーの多分2〜3万の万年筆で終わりました。


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『一番小さな「書道具」にも商は越前和紙風が売られてる』


   


     11月 28th, 2018  Posted 12:00 AM

「書道」とは絶対に言わないこと、を
吉峰寺管長が私に高校時代の頃言われてきました。
「書」と呼べ、ということを学んできました。「道」は命をかける。
だから、書とは「欠落していること」を書くこと。
ところが今になって考えて見ると、書くという行為は、
「描く」こと、さらには「画」にも、
デザイナーゆえに「欠くこと」に私は繋がっています。
そしてそういえばこの写真は、
私には一番小さな書道具だということになります。
だから、北京の書道具産地に行って、墨を見たいと思っています。
それこそ、これが一番という水彩具と同じ大きさです。
書と水彩具は、直に手に入るという所に置いています。
そろそろ、毎日のように書と画を、私独自にやりたいと思っているのです。
ともかく、越前和紙で一番の親方が名を残そうと思っていませんので、
私は電話で「なぜ、名を残そうと思わないんだ?」って言っているのです。
本当に紙パルプが混在している和風「風」紙が高額でびっくりしています。
これなら、「半草」=紙パルプ入りが、伝統工芸を潰しています。
商売はそんなモノではありません。
本当のモノを「商」=あきないで、やってほしいと望んでいます。


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『1992年に私は「ライフスタイル」を書いている』


   


     8月 18th, 2018  Posted 12:00 AM

未来について、という意味でのコンセプトという書籍は減っている。
もちろん20??はありますが、デザインコンセプトではありません。
これが、この書籍の基本であり、それこそ未来だと思っています。
現在はなかなかこうした書籍が減っていることが、
建築界、デザイン界でも減少しています。
これが1992年出版でした。私は多分「ライフスタイル」でした。
ちょうどその頃には、「生活様式」が市場でも専門的なモノではなく、
そのモノを取り囲んでいるモノ全般で、そのモノを生活様式で語っていました。
私がその頃には、ある哲学書で「ライフスタイル」が中心でした。
したがって、ライフスタイルがどこまであることで、日本と海外が異なり、
日本では敗戦後に米国の進駐軍からもたらされていました。
私は1972年に社会人デザイナーになりましたし、
1991年には毎日デザイン賞を受けていました。
そしてその頃には「バブル」経済。
私はほとんどApple本社と仕事をしていました。
ともかく東京は狂っていると思っていたのが
福井いる私のバブル経済への感想です。
そしてこの書籍は2018年になって建築家・デザイン批評家・デザイナー達の
現在のことがほとんど当たっています。
この書籍では、二つのことが欠落していました。
まず、地震国家であることと少子高齢化のことでした。
私のレベルでは、当時は図表・図解化を起こしていました。
この図解は、スタッフ募集の時に彼のポートフォリオにありました。
その彼は今では大学人になっています。
なお、この書籍は今も売られています。


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04月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 14th, 2018  Posted 12:00 AM

04月14日 赤口(丙子)

「発想」の段階に
奔放な「わがまま」がないと、
いくら技巧的に
素晴らしいプレゼンテーションであっても、
心を引きつけられる
何かが欠落してしまうと思うのだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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03月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 23rd, 2018  Posted 12:00 AM

03月23日 友引(甲寅)

「発想・表現・伝達」の
並行思考ができる人は非常に少ない。
なぜなら、
教育という手法で
最も欠落しているからだ。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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