3月 30th, 2012 Posted 12:00 AM

一昨夜最終便で仙台に入りました。
それからも最終プレゼンの準備をし、
昨日、石巻市副市長に「までいProject」のプレゼンをしました。
ポイントはいづれ具体的に進行していけば、
明らかにすることが出来ると思います。
プレゼン後に、石巻の現在を日和山山頂から眺めて、
海岸線にはまだまだ残存している瓦礫を見て回りました。
一年経っていますが、やはり、唖然とせざるをえませんでした。
プレゼンにはこれまでの私のデザイナー体験をすべて込めて、
三つの提案を聞いていただきました。
「ブレークスルーのアイディアと具体策と原資計画」を
話した直後でしたがあらためて途方にくれています。
この日本がこんなことになって、
もう一年になろうというのに、
復興どころか、復旧さえまだかなってはいません。
確かに、相当の努力成果で、
瓦礫も巨大なままに捨て置かれたままですが、
復興にはいつとりかかれるのだろうという思いでいっぱいになりました。
副市長はじめ、復興室のみなさんからは、
デザインとしての発想は受け入れていただけましたが、
この具現化に向かう私自身のエネルギーを
維持していかなければなりません。
企画書づくりの間にも、
「本当に可能だろうか」と何度も躊躇しましたが、
私の信念として、
「楽園国家だった日本」をなんとしても取り戻したい、
この思いを保持し続けてきました。
もう一つは、被災地の子供たちの憧れの職業は、
アスリートや芸能人、自衛隊員、消防団員でした。
決して、デザイナーや建築家ではありませんでした。
私はデザイナーとして生きてきましたから、
なんとしても、デザインの力で「復興」ができることを知らしめたい、
それが職能家としてデザイナーの義務だと考えてきました。
これから具体策に突き進んでいく気持ちを
維持していきたいと思いますが、
石巻から女川まで見て回り、
女川はさらにひどくて、今夜は立ち直れないほど疲れています。
しかし、「なんとしてもやってやろう」と、
今、自分に言い聞かせています。
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12月 24th, 2011 Posted 12:00 AM

震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。
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4月 14th, 2011 Posted 12:00 AM
天災は「文明」を破壊します。
このことを忘れさせる事態ほど、
さらに悲惨なことは無いのです。
「文明」の根本は、「生きていられるか」でしょう。
「食べること」と「寒くないこと」、
これが最低、生きていられる必要条件です。
食料と衣服が充分であることは、見事な文明だったのです。
日本という楽園国家は半分破壊されてしまったのです。
私は現地の被災状況をTV報道でしか知り得ず、
それ以上分からないことばかりです。
ただし、判断は出来ます。
その一つがここで「ことば」を選んで思考と想像の整理です。
破壊された文明は、地道に積み上げられたきた
アノニマスな人々の日常でした。
だから、ささやかで個々人の集積には代え難い価値がありました。
天災、自然が一瞬にしてその文明を破壊したのなら、
「もっと素晴らしい文明づくり」に向かうことしかありえません。
想像する東日本の荒漠とした被災地と首都東京には、
文明の大断絶が起こってしまいました。
だから、心して、この大断絶を認識しておかなければなりません。
その認識無き政府や研究機関や大学、まして学界や職能団体に、
文明破壊を修復する力なぞ、ありえないと考えるべきです。
私の住む大阪はもっと文明破壊に想像力は大欠落しています。
いわんや私自身、これだけの文明破壊を実感できません。
ただ私にその手がかりがあるとするなら、
「食べられなくなった肉体」と「耐えきれない寒さ」の体験です。
これが生を否定し死を間近に感じ取っていくという体験だけです。
この体験からの想像力です。この想像力に従えば、
地球上では様々な文明破壊・天災・戦災・人災が頻発しています。
そして最も重大なことは、
文明破壊にはその破壊程度ではなくて、
格差が生まれることではありません。
文明破壊の断絶なのです。
この「断絶」をつなぐ手立て、手当の実務行動力です。
現場状況をデータで知り得て、
命令系統で「断絶」は接続不可能です。
象徴的にいえば、今回この断絶をNetwork化出来たのは、
Twitterという手法、この具体的伝達系統だけが、
断絶し遮断されていることを「接続」させたのです。
もっと明快に断言すれば・できるはずがない・やめておきます。
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