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Posts Tagged ‘最小公倍数’


『布と衣と織りと・・・」


   


     1月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

私の文明論の基本は、歴史的にも明確な決定モノがあります。
それは、まず、器であり、もう一つが織です。
人間が生きる上での最小限のモノを表します。
飢えているから食物を食べる、水を飲む、そのモノとして器があり、
寒さから身を護るために衣を纏う、そのモノが織物です。
ついでに、文化は刃物から始まることも明記しておきましょう。
刃物=ナイフがあれば、次の道具が創れるからです。
となれば、ナイフが無ければ、器も織りも無かったのでしょう。
器が器械となり、器械は機械、そして械の野蛮さを超える時代ゆえに今は、
機器の時代になっていると考えることができます。
織りといえば、私の故郷は福井、織物産業の街です。
この織物も、絹織物が生糸産業から羽二重に続いています。
そこで、織物といえば、たとえば、紙の原型はパピルスですが、
それはパピルス自体が織物であり、和紙とは大きく異なっています。
ともかく、織りの中でも、肌触りということで、
布と衣が人間の文明から文化に纏い付いてくる正しさがあります。
その肌合いで現代最高のブランドから、選び抜けば、
結局は肌と衣では、このブランドの織物が今は最高だと思います。
日本の伝統工芸での織物や、伝統工芸に寄りかかったままで、
何も努力も無く、先人の知恵にしがみついている織物は滅びます。
そこで布となり、衣はファッション性を時代と社会に表明するには、
今の日本には、私は四つ大きく欠落しているコトがあります。
その一つは必ず、故郷で表現ができるようにとデザイン導入を企画中。
他の伝統工芸や地場産業には、このブランドの少なからず、
布と衣の最大公約数的発想も最小公倍数的発想も全くありません。
少なからず、布は人肌とのベストマッチング性を発見すべきです。
私はそのヒントに、このブランド商品の布性と衣性を記述しておきます。

『地方国家からのデザイン戦略・熟考の成果として』
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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「資本主義からの逃走」
      「自分の中の『多数決』」


   


     1月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

決定に論無し
私の決定。意志決定。
それには決定論も決定論理もありません。
自分に問いかけてきたのは、
どうしてこの「造形」=デザインに決めたのだろう。
私の意志決定は、デザインの決定に繋がっています。
しかし、決定論、あるいは決定論理を常に求めてきました。
その決定、造形決定、デザイン決定には、
自分の中には「論」も「論理」も正直ありません。
というより、無もしくは空です。
ちょっと日本人らしく言ってみるだけのことですが、
それでも、「論理」を常に求め続けてきたと考えています。
もし、論理的な思考があったとするなら、
それは、「最大公約数」と「最小公倍数」の素数での計算方法でした。
方法論、もしくは手法論はあったかもしれません。
そして、私のデザイン造形で評価されたモノは、
公約数的な素数ではなくて、公倍数の素数の中の「公約数にはありえなかった素数」です。
それは、少なからず、私の中に潜んでいたデザイン要素ですから、
多分自分の中にしか無かったものだと確信しています。
これが私の決定手法であり、もし論理だとするなら、
多数決には決して至らないものではないかと推測しています。
よって、私の決定には決して「多数決」という意志は皆無だと考えています。
この思考ゆえ、私には「多数決」の論も論理もありえないということになります。


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「資本主義からの逃走」
  「素数をシンボルに『多様さ』を観察すれば」


   


     1月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

素数を要素・要因として
もう一度、24・36・60という数列。
 2×2×2×3=24=(2×2×3)×2
 2×2×3×3=36=(2×2×3)×3
 2×2×3×5=60=(2×2×3)×5
因数分解的には2×2×3=12が最大公約数でした。
そして、2×2×3=12(GCM)×2×3×5=360(LCM) 、360が最小公倍数でした。
しかし、素数だけに注目すれば、2・3・5が、24・36・60の構成要素です。
ともかく、2と3は必ず必要とされている要素です。
この2と3をデザインの必要要素と考えれば、5だけが60に含まれています。
24群・36群・60群をひとまず市場、あるいは製品ということにします。
そうすると、5という要素が際立っていて、2・3は要因と考えてみることができます。
なぜなら、2と3がこの三つの群では入れ替わったり、増減が起こっていることになります。
したがって、24群・36群に「多様さ」は無かったと言い切ってもいいかもしれません。
多様さ
多様さというのは、
5が入っている60群には、24群・36群に対して明確な差異性があるということです。

A群・B群・C群は、
       A=(a・a・a・b)
       B=(a・a・  b・b)
       C=(a・a・  b・ c)ですから、
cという要素だけが、Cを特徴付けている多様性だと考えることができます。
Cをデザイン対象にしたとき、AとBとの違いはcをデザイン要素にすることです。
それはcというアイディアを入れることで、Cを特徴づけられるということです。
ある意味で、デザイナーの才能は、
cというアイディア・造形・実装が出来ることだと観察することができます。


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「資本主義からの逃走」
  「多様さは公約数性と公倍数性・デザイン要素と要因」


   


     1月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

最大公約数
例えば、24・36・60という数列。
これを2で割り、次に3 で割ると、

 2×2×2×3=24=(2×2×3)×2
 2×2×3×3=36=(2×2×3)×3
 2×2×3×5=60=(2×2×3)×5

したがって、因数分解的には2×2×3=12がこの数列で共有。
これが、24・36・60の「最大公約数」greatest common measure=12となります。
この場合の「最大」というのは公約数の素因数が最大を意味しています。
これは素因数から、24群・36群・60群のそれぞれの多様さから、
多数決的にこの群には、12という価値には賛同しているという例示です。
したがって、共有観のある12があれば、この三つの群は賛同するでしょう。
少なからず、24群・36群・60群という多様さに、
12という多数決の基本的な納得価値があることを示しています。

最小公倍数
次に、2×2×3=12という最大公約数に対して、
2と3と5が残りました。
そこで、2×2×3=12(GCM)2×3×5=360(LCM) 、
つまり、360が最小公倍数=Least common multipleになります。
これは、ユークリッドが書き残してくれた 「ストイケア」にこの計算方法がありました。
ユークリッド互除法=Euclideam algorithmと呼ばれていました。
最大公約数と最小公倍数を見比べると、
最大と最小という素因数に実は「多様さ」の度合いがあると考えます。
デザインで応用すると、
最大公約数的なデザインなら、12は、24群・36群・60群には不可欠なデザイン要素であり、
2×3×5をデザインが無視すれば、
それぞれの群がデザインでは実現してもらえなかった要因ということです。
デザインが市場要求性を満足させるには、最大公約数的なデザインをめざします。
デザインが最小公倍数的な要因は、少なからず無視するでしょう。
「多様」と「多数決」を見直す一つの方法だと考えます。


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「資本主義からの逃走」
「『多様』」は民主主義を精査する」     


   


     1月 5th, 2011  Posted 12:00 AM

民主主義の再熟考を
現代、普遍的正当性の言葉。
国際的な正義観のある言葉。
それは民主主義という行動原則性と理念です。
この民主主義には「多数決」という制度が確立しています。
しかし、私はこの言葉・原則・制度・国際的正義性に対して、
果たして「本当なのだろうか」という疑念懸念があります。
最大多数の最大幸福の下意識主義用語として、
私は再熟考すべきだろうと思いつつも、
これを超越する哲学理念が創れるわけでもありませんが、
とりあえず、この言葉に包括されている私自身の存在については
いくつかの懸念性は書きとどめたいと思っている次第です。
多数決と多様性
その一つに「多様」という言葉があります。
多様は、「多様性」と「多様体」という視界が映っています。
単純に言えば、
「多数決」とは、あくまでも「最大公約数的」な結論がベースとなった、決定論です。
しかし、「多様性」も「多様体」も、「最小公倍数」までを包括しています。
明らかに、「多様であること」は「多数決=民主主義」への再考性を投げかけています。
無論、
「多様性」、「多様体」という言葉=術語と主義主張への決定論用語には差違があるのですが、
少なからず、私は、「民主主義」と「多様性」から重ね合わせた思考の時代が、
今世紀の新たな「思考核心」の一つだと考えています。


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