kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘時代’


9月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 4th, 2011  Posted 10:00 AM

9月4日 友引(壬戌)

デザインもアートも、
時代とともにその表現の内容を
添わせていくものだ、
と思っている。

『デザインという先手』掌


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8月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 24th, 2011  Posted 10:00 AM

8月24日 先勝(辛亥)

政策はデザイン手法、
つまりデザイン戦略で
構成と
構造化されなければならない時代である。

『デザインという先手』手段


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5月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 27th, 2011  Posted 10:32 AM

5月27日 仏滅(壬午)

デザインこそ、
時代を読み取り、次の時代を引き込んだり、
誘発する創造的な行為であると
確信している。

これを逆読みすれば、
「先手を討っていない」ような創造行為を
デザインと呼ぶわけにはいかない。

『デザインという先手』十分なる「先手」


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3月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 3rd, 2011  Posted 10:00 AM

3月3日 大安(丁巳)

「何」が感動できるものかを
熟考する時代に
私たちは生きている。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


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2月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 22nd, 2011  Posted 10:00 AM

2月22日 友引(戊申)

「大切さ」を守るためには、
デザインで時代と社会を
「切る」つもりだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


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11月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2010  Posted 1:33 PM

11月26日 赤口(庚辰)

床・柱・壁・天井で空間はできる。

その空間と
社会・時代・自然、
そして人間の生活や活動が
どう関係してるのかが
問われる職能である。

『デザイナーは喧嘩師であれ』自我拡大


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9月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 11th, 2010  Posted 9:30 AM

9月11日 大安(甲子)

落花
時代の流れのままに美しく

『デザインの極道論』落花


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7月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 9th, 2010  Posted 10:52 AM

7月9日 友引(庚申)

「物品」であるはずの
CD-ROMやDVDが、
「物品」とは呼べないモノと化し、
それをメディアと呼ぶ時代が訪れている。

「物」と「文」が
一対を成す時代は終わってしまった。

『デザインは言語道断』物品


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5月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 24th, 2010  Posted 9:53 PM

5月24日 友引(甲戌 )

「品」について、
もう一度根底から考え直す
時代に入っている。

『デザインは言語道断』物品


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『資本主義からの逃走』
「 iPadを見つめて、かたち・きもち、そしていのちへ」


   


     5月 20th, 2010  Posted 1:11 AM

いのち
このところ私は、自分のデザインでも無いモノについて、
論理展開など無関係なスケッチ的エッセイを書いています。
というより、「吐露」していると受け取ってください。
20世紀、ほぼ50年を共時しました。
おそらく、自分の生涯は、20世紀後半から、
2049年(この時100歳)までの「いのち」を考えます。
この歳まで生きられるのか!なんてことも、
「憎まれれば」ですから、確実かもです。
ともかく、私はデザイナーという職能で生きてきましたから、
「かたち」を創ることを最も目指してきたことは自負できます。
そして、「かたち」・「きもち」・「いのち」という言葉に
自分の観念も概念も入れ込みながら、「形態」にしていくことでした。
様々な「形態」をデザインしてきました。
当然、自分のデザインしたモノが、何ゴトかに連続していったり、連鎖すること、
こうしたことは自分で語るコトは充分に可能です。
しかし、「時代を革新する」という明確な認識のモノについても、
語る義務があると考えてきました。

ささやかな義務とささやかな権利
それは、「創る」、「デザインする」という姿勢を保持しているからこそ、
それを義務と考えることにしているのです。
なぜなら、職能義務を尽くしきることに徹する姿勢や態度に懸命であれば、
必ず「何らかの権利」が「与えられる」ことを経験してきたからです。
今夜は、iPadをデザインしてきた人物自身から、
デザイナーとして、iPadでのスケッチ、その最良の方法を聞くチャンスがありました。
それは、私が危惧、つまり自分はその手法をマスターできないかもしれない、
そんな想いをいっぺんにかき消してもらえたのです。
つまり、そんなことを聞ける権利が手に入ったということです。
明らかに、「現代」は、まさに「今日」は必ず「明日」に繋がってほしいのです。
そして、明日は今日よりも素敵な1日であってほしいのです。
iPadの「かたち」で「きもち」がどう動くのかということでしょう。
サクサクと動くのか、
ザワザワと動くのか、
・・・・と動くのか、ということが「大切」なコトです。
たかだか、その程度の義務で、
スケッチの描き方の権利を大仰にと思われるでしょう。
しかし、デザイナーとしての「きもち」は、
そんなささやかなコトが私の「いのち」に直結しているのです。
確実に、新たな体験として、iPadでスケッチを描ける自分になること。
その「きもち」が、これからの「いのち」を日常支えてくれるでしょう。


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