5月 24th, 2017 Posted 12:00 AM
政治の根本は「国民の生命と財産を護る」こと。
そのために私たちは支持政党を決め、
彼らに選挙での信用をしてきました。
この嘘っぽさを日々確認しながらですが。
私は父が30の時に生まれました。
父は20で招集されて日華事変で満州で闘い、
青島で帰国貸船で大東亜戦争勃発で再上陸し、
蒙古から中国大陸を南下してインドネシア解放戦線「明号作戦」に従事。
結局、師団長判断で祖国敗北ゆえにフィリピンに抑留されました。
しかし、従軍7年半でやっと解放されたと聞きました。
父は私に戦争の話はほとんどしませんでしたが彼には青春が皆無。
そして私は決して戦争は自分の人生では無いと思っていました。
そして安保協定が米国とあっても、
米国が護ってくれるとは決して思ってきませんでした。
ところが、戦争=弾道ミサイルにて、
原爆?、生物兵器?が迫っていると思います。
これは天災ではなくて完全な他国による脅し以上に真実味をもっています。
確かに南海トラフを意識して、その準備はしてきました。
けれども、原爆、生物兵器が落下したなら何の手立てもありません。
日本にとって重大な「拉致問題」は今では全無視され、
日本にミサイル攻撃は明らかですが、
私たちはどうも使い物にはならない「Jアラート」を待つだけでしょうか。
全ての建屋には頑丈な窓にもシャッターや、地下室・シェルター準備など、
全く何もしていません。
米国が北朝鮮の脅し外交への軍事があれば、日本は攻撃されるでしょう。
防衛の前に、攻撃される共謀は凶暴なのです。
ほとんど納得出来ない共謀罪をわが国独自で共謀(凶暴)国家への、
策略=デザインが不可欠になってきています。
安保などで自衛などは不可能だと全国民は知るべきです。
二重国籍の野党代表は明らかに反日だと断定します。
彼女によって確かな国家プロジェクトは「仕分け」されたことなども、
これも共謀罪だと思っています。
スイスの全国民の義務意識が絶対に必要です。
* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 『「不安」が最大なことは被災することである』
* 「仕分けされたプロジェクトの重要性から現政権を否定」
* 「ハプティックス・アクチュエーターの実現まで」
* 「民主党政権はやっぱり、そして当然ながら断罪された」
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8月 17th, 2014 Posted 12:00 AM
昨日は69年目の敗戦記念日でした。終戦と言ってはならないのです。
私は父が7年半も戦争に騎兵隊として従事しました。
日華事変で招集されそのまま太平洋戦争に巻き込まれました。
戦争時代の話は全く私に語ろうとはしませんでしたが、
高校時代にはかなり食い下がって聞いたことがあります。
大学人になったとき、父からは、南京大虐殺などは無かったことと
「明号作戦」でインドシナ解放・アジア解放に加わっていたこと。
この話だけは伝えろと言われて育っています。
今、日本は「集団的自衛権」での賛否が国を二分していますが、
日本が決定していることは「平和」の本質を熟知していると信じます。
ゆえに、私はこの日を敗戦記念日にすべきだと考えています。
かつて、日本のデザイン界でふざけた連中の会議で、
「こんなやり方では靖国に眠る人々に顔向けができないだろう」と、
これは業を煮やして怒ったことがあります。
その夜に、同時に出席してきた恩師から、
「川崎、あの発言をするからお前は怖がられる」と言われました。
が、現状は顔向け出来ない輩が主導するから、悲惨なことは確かです。
私がこの「右傾」と呼ばれるのは、米国で1990年代に仕事をして、
「イエロー・モンキー」扱いの悔しさがあるからです。
恩讐を乗り越えることなど無理ですし、まして、中国の一党独裁、
拉致問題は許しがたいことは、私の政治思想の根幹です。
左傾化している日本人は、この国に住むべきではありません。
中韓系の論客で反日を声高に語りながら日本帰化パスポート所持は
絶対に認めてはならないはずです。
この甘さがあるからこそ私は右傾という左傾の偏重さを討つのです。
私の父は、70でリタイア後は、従軍事のことを靖国神社にむけて
彼なりの整理と決着をつけていました。
私は「明号作戦」があったからこそ、今日のアジアには、
独立国家が残っていることを明白にすべきだと私もまとめています。
「終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本」
「神の国は、アジアを開放したということ。」
「敗戦で学びながらも、またそうなるのだろうか。」
Tags: イエロー・モンキー, インドシナ解放・アジア解放, 一党独裁, 中韓系の論客, 南京大虐殺, 反日, 太平洋戦争, 左傾の偏重さ, 拉致問題, 敗戦記念日, 日本帰化パスポート所持, 日華事変, 明号作戦, 独立国家, 終戦, 集団的自衛権, 靖国に眠る人々, 靖国神社
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10月 4th, 2012 Posted 12:00 AM
「Asia is one.」
これは岡倉天心著「東洋の理想」の書き出し文です。
そして、この言葉が
「大東亜戦争」のテーマ文そのままになりました。
本来、岡倉天心がこの書籍で書き残したこととは
全く異なる東洋の美学論でした。
それは軍部の専制的な当時の論理にすり替えられていました。
しかし、日本軍が成しえた事では、「インドネシア開放」がありました。
列強欧州各国の植民地であったアジア諸国を開放したことです。
しかし、この歴史的事実よりも
「南京問題」や「慰安婦問題」がクローズアップされています。
この「インドネシア開放」を成し遂げた日本軍の活動は
歴史から抹消されています。
現在のシンガポールからベトナムに至る全ての国々が、
植民地から開放されたことは、
あの東京裁判でもほとんど評価どころか無視されたことです。
この開放戦線は「明号作戦」と呼ばれました。
現在、この作戦の資料で残り、
出版された書籍はたった2冊しかありません。
私は、大学人になってからこの17年間にわたって、
こつこつと研究を蓄積してきました。
しかし、まだとても纏められるほどではありません。
来春からの余生においては、この歴史を明らかにしていくつもりです。
二つの理由があります。
まず、徴兵された父の7年間、最後の戦線だったことであり、
「明号作戦」そのものの戦略戦術に直接関与していたことでした。
次に、この作戦に参画した師団・部隊は中国を南下してきました。
当然ながら、南京を占拠してきた部隊でしたが、
彼らの行動・作戦に「南京問題」は皆無だったということです。
アジア各国を開放させて、それぞれの民族の解放、
それこそ、「Asia is one.」をそれぞれ各国が独立することでこそ、
亜細亜をひとつにまとめようという
日本軍の意志であり理想でもあったということです。
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11月 25th, 2010 Posted 12:00 AM
米寿ゆえの告白
この歳になるとすでに、
私のほぼ叔父・伯父・叔母・伯母は逝きました。
ところが、まだ矍鑠とした八十八歳の伯父から手紙を受け取りました。
打ち明けられたのです。
伯父は終戦間近に徴兵された事務兵だったとか。
広島に赴任してある日、瀬戸内海に漕ぎ出した時に、閃光と爆音で海に投げ出されたとのことです。
ともかく泳いで泳いでフラフラになりながらようやく陸地に上がると、
そこは地獄だったこと、その描写が書かれていました。
伯父は被爆者手帳を持ちながらも、
そのことはこれまで一切話してこなかった理由も書き添えられていました。
あの伯父の戦争体験を知りました。
被爆者であったことや、連日の死体処理を泣き果てながらやり通したこと。
今日まで、被爆の後遺症に六十数年間、一人で怯えて生きてきたことでした。
そして米寿となり、これで、やっと甥の私はじめ家族みんなに初めてこのことを明かして、
ヒロシマのあの日を語り継ぐ決心がやっとついたとのことでした。
私の父も日華事変で徴兵され大東亜戦争勃発のまま、
満州・蒙古・中国から最終はインドシナ解放戦線で「明号作戦」に関わり、フィリピンに抑留。
帰国したのはすでに28歳だったことだけは、私が大学人になるときに語ってくれました。
晴耕雨読の毎日は「明号作戦」の詳細を書き残す日々でした。
あってはならないこと
終戦から65年という月日は、経済的な景気はどうであれ、秩序ある日常に、
私は生きてこられたと思っています。
それでも私にも、敗戦のトラウマは残存しているようです。
「戦争には勝ち負けがあり、負けたらすべての責務を背負うこと」。
これが最大の問題ではありません。
秩序ある平和な日常の大切さは、
かっての敗戦経験者から聞き取り学びとるべきことがとても重大だということです。
原子力を戦争抑止力にまだしようとする国家の存在があります。
それどころか、国境をめぐって、またとうとう爆撃をやり合う時代に入るのだろうか。
こうしたまったく暗闇に私たちは誘い込まれるのでしょうか。
人間の根源的な悲劇性と壮絶極まりない「哀しみ」に直面しているのでしょうか。
得体無き、恐怖感を覚えます。
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11月 24th, 2009 Posted 8:00 AM
「明号作戦」というのが終戦間際に決行されました。
第二次世界大戦で戦後わが国は誹謗中傷を受けています。
それこそ、敗戦となった報復は
日本国内の左翼系、マスコミの一部ですら、
平然と「戦死者」への鎮魂も無く罵詈雑言です。
「靖国問題」・「教科書問題」・「慰安婦問題」、そして、
でっちあげられた「南京大虐殺」にまで及びます。
私は、こうした問題に、より知的・冷徹・平衡感覚的に、
実情を遡及すべきことが、
基本的な「愛国心」の基礎ではないかと考えてきました。
しかし、
「愛国心」・「部落差別」・「新興宗教」・「国歌」などを
戦後はすっかり、「タブー」としてきた教育には、
本来の教育思想への大きな裏切りを私は認めざるをえません。
「日華事変」と「大東亜戦争」との差異性を語った講義すら、
私は一部から「忠告」まで受けたのです。
「思想教育など行うべきではない」と。
この歴史観が私的に語られることを「思想教育」という大学人、
私はそうした連中を日本人とは思わないことにしています。
そういう大学人をいづれ論理的にも、制度的にも、
日本人学者であることの資格は剥奪すべきだと思います。
「明号」作戦は、
インドシナを欧州各国からの独立を支援しました。
そこにあった「基盤思想」は、
アジア小国それぞれの解放と独立でした。
あの敗戦間際での日本軍が果たした功績は、
決して公認もされず無視であり歴史史実は皆無です。
それどころか、明号作戦を指揮した人々は、
戦犯として絞首刑された日本軍の幹部将校たちでした。
彼らは靖国に帰国しているのです。
彼らの「アジア小国の開放」功績は、
日本の歴史には明晰に書き残し、
語り継ぐべきだと私は主張しておきます。
なぜなら、欧米宗教で押しつけられた「資本主義」、
日本人自らも「資本主義」を選んだ賢明さを、
私は、間違いでは決してなかったと確信しています。
しかし、そろそろ、
あの「明号作戦」の根底の理想主義を読み返すべき、
そんな時代に入っていると思っています。
アジアの小国、その真なる独立はまだ虚構かもしれません。
Tags: 「資本主義からの逃走」, インドシナ, タブー, 冷徹, 南京大虐殺, 国歌, 報復, 大東亜戦争, 平衡感覚的, 愛国心, 慰安婦問題, 戦後, 戦死者, 戦犯, 敗戦, 教科書問題, 日華事変, 明号作戦, 歴史観, 独立, 知的, 第二次世界大戦, 罵詈雑言, 解放と独立, 資本主義, 部落差別, 鎮魂, 靖国問題
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
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