kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘日常感覚’


9月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 26th, 2023  Posted 12:00 AM

9月26日 先勝(丁亥)

観念で、日常感覚をベースに、
目新しいことば、奇抜なことばを
探し求めた方がいい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


目次を見る

10月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 13th, 2019  Posted 12:00 AM

10月13日 大安(癸未)

観念で、日常感覚をベースに、
目新しいことば、奇抜なことばを
探し求めた方がいい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「イノベーションのための虚空回帰」


   


     8月 16th, 2010  Posted 12:00 AM

日本流イノベーション
イノベーションの日本流認識は「技術革新」に凝縮されてきました。
ひとまずこの認識の適合性は、
敗戦後の日本を根底で支えてきたことは間違いありません。
しかし「技術革新」の根底をさらに強化してきたのは資本主義思想と資本主義文明の連関性でした。
私自身、「技術革新」はこれからもさらに強化される必要性があるという立場、
その職能=デザインに携わっています。
けれども、問題意識を未来に解放していくには、イノベーションの原意にもどって、
「景気循環」のための革新が及ぼす、
   ● 社会変革作用
   ● 社会と個人の価値観
   ● 生産物の体系
   ● 社会制度
についての考察と実践が必務です。
そして、この社会というのは「都市」という構造に連鎖しているものと考えます。
まず、変革作用を操作するのは司法・行政・立法、さらにマスコミのベクトルです。
が、これらによる作用性はすでにこの構造そのものの変革が必要です。
つまり、「政治と政治情報」の革新です。
ところが、社会と個人の価値感は、生産物の体系に対する日常感覚に作用され、
「政治と政治情報」にはその反射感覚が働いていると考えていいでしょう。
私は、こうした社会的さらに時代的な価値観を、「都市生理」と呼んでいます。
おそらく、「都市伝説」というのは、
この「都市生理」の情報感覚、その物語りの一端だと思うのです。
私は、敗戦後の一時期に、わが国は「技術革新」での景気循環を見事に成功させましたが、
それは一過性だったことを認めなければならなくなっていると考えます。
二つの理由があります。
一つは、欧米的な資本主義に対して、
それを受け留める感覚性が覚醒し始めてきているということです。
その実例は私もその一人でしょう。
二つ目は、技術革新での「制度」は終焉しているということです。
これはシュンペンターの予知どおりでした。
虚空回帰
そこで、むしろ仏教思想、私はこれを宗教論というよりは、
「神話作用として」道元を参照しています。
「虚空」という概念、そのシンボルである虚空菩薩を語ろうとは思っていません。
私は「虚空」と「空虚」を対比させた言語・記号(道元発案)にヒントを求めています。
私はこの思索を「虚空回帰」と考えることにしています。
ちなみに、「虚空とは、時間性・空間性の無」ゆえ、
そこに残されるのは、慈悲性という美学価値観を示していると思っているわけです。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「資本アイテムの再整理は、新たなイノベーションを誘発・5」


   


     4月 4th, 2010  Posted 12:01 AM

結論
私は三つの実存的な認識論をデザイン手法の背景にします。
循環性
まず、イノベーションは、単なる「技術革新」というのは、
ひとつの局面的な解決行為であり、解決方向でしかありません。
本来の意味には、経済=経世在民を維持するための意欲、
その活性化、それは循環性でした。
簡潔に言い切れば、「景気」という日常感覚の社会生理感であり、
そのままの実存性で語れば、「生きがい」や「働きがい」です。
したがって、再度、なぜ技術革新と直結しているのかといえば、
技術・技・術という行動規範や意欲活性化の方法と思います。

私たちの環境の要因には、
物質・情報・エネルギーが要素、その基軸性があります。
それぞれの軸性が、
活動的な時間性や経年性が加われば、要因化します。
この要因化へ向かう循環性がイノベーションと理解可能です。
アポリア
ところが、この循環性を遮断し、
到底維持も実行も不可能化することを「アポリア」と言います。
もし、循環性=生きがい・働きがいの停止は「死」に至ります。
実存的には、絶望であり、死に至る病と言われました。
現実、技術進化は常に「遮断性」が待ち受けています。
循環性の停止が不可避事態が発生します。
その時の姿勢は二つしかありません。
積極性と消極性
その事態への積極性と消極性です。
この極性から考えれば、
技術を受け入れるか、技術を拒否するか、の二者択一です。
最も顕著であるのは、
エネルギー技術論に反映していることは明らかです。
積極性の分離対決こそ誘発因
その実例が、「原子力運用」に関する賛否両論議の熾烈さです。
原子力技術は、問題解決をアポリアとする消極論と、
問題解決の技術推進への積極論は、
問題解決の技術停止への積極的な反対論が、積極論を分離しています。
私の判断は、この原子力技術の推進・対・反対という積極性、
この対立が、イノベーションの反発誘発だと考えることこそ、
最も知的なデザイン手法が主導するイノベーションの、
レトリック、あるいはメタファーとなるものと判断しています。
デザイン態度
したがって、デザイン態度、すなわちイノベーション支援は、
技術革新への姿勢としてのデザイン手法を明確化する、
その分離積極性の有無こそ、結論だと思っているわけです。
エネルギーによっての、物質と情報へのデザイン手法が、
現在最も論議を決着し、緊急的な具現化の創出が求められているということです。
デザインによってのみ、イノベーションの誘発は、
いわゆる文理融合であり、分離融合とさえ断言できます。


目次を見る