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『資本主義からの逃走』
  「『情報スーパーハイウェイ構想』の失敗因の再学習」


   


     12月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

「情報スーパーハイウェイ構想」
1991年がスタートだったでしょう。
インターネットは光ケーブルで具現化されました。
この当時ですら、国内通信企業はADSL対ISDN競合優先でした。
そして1993年クリントン政権になります。
私にとって、この政権の登場では、三つの思い出があります。
この政権は、デザイナーを国策アドバイザーにしました。
なぜなら、その代表に親友が選ばれていました。
また、Apple社の当時会長だったJ.スカリーは、彼の支援者の一人であり、
Apple社株主たちが共和党だったことで、クリントン派であることも会長解任につながりました。
それは私のコンサルタント契約が反故にされることになる一つの理由にもなったからです。
そして最も大きなことは、
副大統領アル・ゴアの「情報スーパーハイウェイ構想」が政策化されました。
1992年、箱根でのマルチメディア国際会議(Apple社主催)では、
この構想に対して、MITのメディア研究所長のニコラス・メグロポンティの反撃非難と、
ゴードン・ムーア氏が予測したインターネット構想の基調講演を思い出します。
結局、政府主導での「情報スーパーハイウェイ構想」は不可能でした。
ずばり、メグロポンティ氏の予知はあたっていました。
私は、「光の道」提案を聞いた時、時代は20年も前に引き戻ってしまったのです。
「光の道」構想に欠落しているモノ・コト
「光の道」ゆえ、光は光ケーブルを具象抽象的に情報をシンボルとして、
「道」は、スーパーハイウェイ風であり、道筋や方法を意味しているのだろうと直感した次第です。
結局、「情報スーパーハイウェイ構想」ほどの内容にも至っていません。
具体的に言えば、「道」それは手法であり、鉄道網のようなネットワークであっても、
二つの大きな問題を見落としています。
線路があって駅があるなら、なぜそこへ出かけるかという動機づけ、
それは結局、「商売」に結びついているだけです。その商業主義は経済としてとっても大事です。
もうひとつは、そのネットワーク道程・道筋を通すための
基盤的な整備物がまったく語られていないことです。
とりあえず、私のヒントを言っておきます。切符的なメディアでありツールが必要です。
そのモノこそ、Smart-Phoneを超越したモノ=製品であるべきでしょう。
そして、その切符を印刷し販売するのはどこにするべき制度が必要だと判断しておきます。
「光の道」という名辞はなんとなく新興宗教的なタイトルを感じます。


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