8月 10th, 2014 Posted 12:00 AM
絹織物の歴史は奈良時代から養蚕=繭から生糸の智恵が進化します。
明治期には生糸の輸出では、限界がきますが、
由利公正は、橋本左内と横井小楠から学んだ殖産製造制度から、
欧州視察で絹織物の実際を見聞して、織物職人3名を派遣します。
彼らは、富岡製糸場を指導し、西陣織りを再興して、
その技術に、経糸を二本に緯糸一本で「羽二重」という光絹技術が
やがて人絹となって、現代のポリエステル産業につながっていきます。
明治期が始まる大きな要素は、適塾・ペリー来航・安政の大獄、
ここから、咸臨丸の渡航1860から、1870年代にようやく、
わが国の文明開化の中軸は織物産業が輸出経済となったことです。
私は1800年代の歴史は徹底的に暗記するほど、
この頃の産業全体を関係づけてきたと思っています。が、
いつも、幕藩体制の維新が決して無血革命ではなく、
安政年間のあまりにも悲惨なこと、安政の大獄と安政の大地震が
現代への歴史起点だったと何度も確認しています。
小説では坂本龍馬や福澤諭吉に焦点があてられていて、それこそが、
あたかも歴史の体裁になっていますがこの大誤解に対抗しています。
わが最大の敬愛者・橋本左内は26歳で斬首され、龍馬も暗殺、
横井小楠も大誤解のなかで暗殺されてしまうのです。
生きのびたことが歴史に燦然と輝いてしまいます。
由利公正(藩士・三岡三郎)は五箇条のご誓文=船中八策原本と
銀座がレンガづくりの都市計画になりますが、
やはり、私には、日本が明治期を迎えて、文明開化の華やかさには、
一方で、大獄と大飢饉があり、斬首と暗殺の歴史哀情に悲嘆します。
特に橋本左内は16歳で「啓発録」を書き26歳までのたった10年間に、
凝縮された思想と行動に限り無い敬意を抱いています。
新ブランドの最初「O-FUKUSA」は彼へのオマージュです。
「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」
「『SILK』Projectが示唆している重大さ」
「芸術という技法が引用したことから」
「憧憬の人物、その実筆書状を探す」
「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」
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6月 9th, 2011 Posted 12:00 AM
東京のイメージ。
かつてインドからの留学生、
彼女は一言で「メタリック」、
瞬間的な言葉でした。
この言葉に凝縮されています。
日本の象徴都市、敗戦後からの文明成果です。
今回、東日本大震災と原発事故についての論評は、
敗戦以後の経済、政治、原発に集約された、
日本システムへの見直し論はほとんど批判論です。
しかし、ある高名な評論家の言説には、
明治維新で捨て去った伝統的な日本観までの遡及、
文明開化・脱亜入欧・富国強兵・平和憲法に及ぶ論考に、
私は感動しました。
「メタリック」は、
特にプロダクトデザインにとっては揺るぎない表面装飾。
ある意味では決定打的表皮仕上げです。
56豪雪時に私はふるさと福井に帰りました。
翌春、早速出かけたのが敦賀半島のあの原発でした。
直観的に、007映画に登場する敵対相手の住み処でした。
「絶対に、見られてはならないことが行われている」、
この印象から、あらためて原子力に向かっていきました。
福井の自宅はたまり場になりました。
新聞社やTV局の記者さんがよく出入りしていました。
彼らですら、原電事故取材は「じゃんけん」で決める、
というぐらい事故ともなれば近づきたくない存在でした。
原発が「メタリック」な代物とは言い難いですが、
以来、私は、「建設」という手法の曖昧な仕上げのモノは、
信用できないという思考結果になりました。
やはり「生産」するモノの精度感には信頼性があります。
その後、核燃料サイクル機構から持ち込まれた発想を
デザインで支援するには、
「建設」から「生産」を第一義にしました。
超小型発電「機器」のデザインを阪大の原子力技術で、
デザイン意図に技術的背景での理論化が可能でした。
まだまだ課題は残されていますが、
私の中では「安全神話」などは信じていませんでした。
だからこそ、
ソーラーパネルを「安全寓話」と呼び、
風力を「安全童話」と私は断言できます。
地熱発電も「建設」では決して最適解答にあらずです。
要は、自然は人間が消費するのエネルギー量を、
決定しているのかもしれません。
「メタリック」という表皮的な文明が望んできたこと、
徹底的な見直しが必要になったということです。
Tags: 007映画, メタリック, 人間が消費するのエネルギー量, 地熱発電, 安全寓話, 安全神話, 安全童話, 富国強兵, 平和憲法, 敗戦後からの文明成果, 文明開化, 日本システムへの見直し論, 東京のイメージ, 核燃料サイクル機構, 生産」するモノの精度感, 脱亜入欧, 表面装飾, 象徴都市
Posted in 祈望から企望へ
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10月 2nd, 2009 Posted 10:07 AM
「失」とは、電光石火です。
私の「失」の概念は、
雷鳴あるいは稲妻のようなまっすぐに、
直進して迫ってくる光あるいは雷電がイメージです。
雷神のごとき自然界の不可思議な意志です。
それは、自然界から人間に指示された意志と言っていいでしょう。
まさに、「手から抜け落ちて、判断をせまってくる力」の印象です。
「失」は落ちてくるのです。
今、私たちは、
「失」ならば、
「失敗・失念・失礼・過失・損失・滅失・・・・など」を
想い浮かべるでしょう。
しかし、「失」の原意は、
自然界の意志が電光石火で、
私たちにあたえられた試練だったのです。
福沢諭吉は、
「脱亜入欧」をなぜ、明治維新を通して日本人に勧めたのでしょうか。
「文明開化」と「西洋化」に、彼は説き続けました。
「人は人の上に人をつくらず・・・」と。
これは、米国の「独立宣言」、
トマス・ジェファーソンからの引用でしたが、
そのことまでは歴史的に言及されてこなかったのです。
「安政の大獄」で斬首されたり、
獄死した志士を黙して見送った
自己への憤懣と自虐性を
おそらく死すまで抱いていたものと思います。
よって、
彼は、体制には決して与することは出来なかったのでしょう。
これは、徴兵されて戦地から
生還した人々が抱いた信念と同質のものなのです。
「戦後民主主義」の自虐性と憤懣は、
連続して振り落とされてきた、
「失」のごとき、
戦勝者たちがまるで雷神の振る舞いを演じました。
すなわち、その程度の「歴史」感覚だと私は思っています。
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