11月 13th, 2021 Posted 12:00 AM
11月13日 赤口(乙丑)
『拈華としてのデザイン』
拈華微笑とは、
お釈迦様が
華を拈って
聴衆の前に示した時、
摩訶迦葉だけが
その意を
以心伝心によって
悟って
微笑んだと
いわれている。
artificial heart:川崎和男展
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3月 1st, 2017 Posted 12:00 AM
五つの器が重ねられた食器を「応量器」と言います。
が、これを実際に使ったことが無ければ不明なことが多いようです。
応量器を考え出したこのデザインは、生きることと悟るためのこと、
こうしたことを食事の作法にしてきた曹洞宗のいわゆるコトのデザイン。
正直なところ、応量器の周辺が何であったのかとかは忘却されています。
例えば盤・盆・膳とのつながりや、箸・匙・刷の存在というモノのデザイン、
このモノのデザインによって食事の作法は最も優れたコトのデザインです。
?漆仕上げの応量器は、普段の食器であり朱色は儀式用と言われています。
コトのデザインとして重大なことは、
食事をなぜするのかとか、食べることすべての御礼があるということです。
・食事が賄われるまでのすべてへの感謝があり、
・この食を出来るだけの自分であるかという反省、
・正しい生き方をしているかという自分への問いかけ、
・食することは良薬であり、身体の健康を保つことの確認、
・だからこそ、この食によって、自分の生き方を成し遂げること、
この五つのコトがモノのデザインになっていることです。
道元が「典座(てんぞ)教訓」を残していかれたこのモノとコトこそ、
私はモノとコトのデザイン、その完成形だと考えています。
しかし今や漆芸の産地においてもこのことはすっかり忘れられています。
ただ、中学と高校時代に永平寺の第一道場で、
この応量器で食事をしていた私には、二つの思い出が残っています。
まず、お粥はとてもおいしかったのですが、漬け物は苦手でした。
そして、とても毎日が空腹だったことです。
そして食事後にこれを洗うのですがそれは使い古された日本手ぬぐいであり、
この手ぬぐいだけで、顔も洗いしかも板張りのトイレ掃除もしたことでした。
そして、確かに応量器を見本とした漆仕上げ?、いやウレタン塗装の食器が、
選別されたデザイン商品コーナーにあると、
私はこのデザインには、デザイナーの知見不足ととても強い怒りを覚えます。
* 「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」
* 「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」
* 「水に支えられている命・杓底一残水汲流千億人」
* 『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」
Tags: ?漆, ウレタン塗装, コトのデザイン, トイレ掃除, モノのデザイン, 作法, 健康, 儀式, 典座教訓, 反省, 問いかけ, 器, 完成形, 御礼, 応量器, 怒り, 悟る, 感謝, 成し遂げる, 日本手ぬぐい, 普段, 曹洞宗, 朱色, 正しい, 永平寺, 洗い, 漬け物, 生きる, 盤・盆・膳, 知見不足, 確認, 空腹, 第一道場, 箸・匙・刷, 粥, 良薬, 食事, 食器
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
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