kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘帝国主義’


『銀河系の帝国主義、そのアーキタイプは未だ戦争か』


   


     1月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

「STAR WARS」という映画を観るたびに、僕はこの映画、
そのシリーズは興味深いですが、
この世界共通の神話的なアーキタイプと
汎神論的な、世界が共通的に抱えてきたフィクションが
やはり、善と悪、民主主義と帝国主義なのか、
結局は銀河世界での未来戦争を知ります。
はっきり言えば、人類学的、神話的であっても
「戦争」でのワクワク感に落とし込まれる映画表現の罠、
そうした大変な仕掛けを見直してしまいます。
結局、この考え方に行き着いてしまう怖さになるのです。
「こんな考え方でフィクション化できる国とは」と考え直します。
どこかで人間いや米国人は「民主主義の崩壊」はそのまま「帝国主義」を
それほどまでに望んでしまうのだろうか、
と僕は今回も改めて確認しました。
たまたまフランスで「BB-8」を見つけて購入していました。
「STAR WARS フォースの覚醒」が封切られると、
日本でも大きな話題になりました。
僕も正月早々に京都でこの映画を観たのです。
早速、フランスで購入した「BB-8」をiPhoneでコントロールしてみると、
映画のロボット表現は、これまでを一新していたのは確かですが、
僕には、銀河系フィクションだったとしても、
民主主義の破壊=戦争=帝国主義というアーキタイプが再提出されていて、
決して僕の好みの映画ではありませんが、
工業デザイナーとしての想像力は、
未来と銀河系の正義感を護るロボット存在を確認します。
キャラクターとしてのロボット存在を見逃すことはできませんが、
かつて、あの金色ロボットC-3POと、如何にもロボットR2-D2も、
ボストンのコンピュータミュージアムにあり、
ライトセーバーなる剣を米国土産に買って帰ったものでした。
そして、玩具のライトセーバーも大きな変化を見ましたが、
フィクションの戦争も「斬り合い」になるというのが
未だに僕には奇妙です。
人類の想像力は、未来映画でも「戦争イメージ」と「戦争アーキタイプ」も
まるで変わらないという不気味さを見直すだけでした。
米国映画は、あくまでもアクション映画も宇宙映画も「戦争」です。
米国はいつもどこかで「破壊」のイメージ強化を
確認しているのでしょうか。
そろそろ、STAR WARSのアーキタイプでの汎神論的な方向性を
全く革新することを望むのは僕だけでしょうか。


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「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」


   


     12月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

大阪大学大学院での大学人として、デザイナーとして、
最終的な結論に至ったことは、
「商品デザイン」・「コミュニケーションデザイン」、
あるいは、モノのデザイン・コトのデザインはすでに、
「記号論・意味論としてのデザイン」に決着しました。
来春3月に阪大を退官するにあたって、
一つの焦点を決定づけておきたいと考えています。
学生たちには、
「デザイン」と聞けば、
手法・実務・問題解決・美学的存在性の具現・問題提起と方向決定が
身体化してくれればと願って講義をしてきました。
それは、現在の日本の経営者やリーダーには、
特に日本の美学・能狂言から伝統工芸、
さらには宗教哲学や思想への統合的な見方など、
そうしたことが欠落しているから、
日本人のリーダーたちが考える
グローバリズムすらゆがんでいると判断しているからです。
特に、アジア近辺からの留学生には、
第二次世界大戦後の自分の国と日本の関係を
自学してほしいと訴求してきました。
そこには、あの世界大戦時に日本は必ずしも、
帝国主義に徹していたわけではなく、
日本の武士道やその美学性を発露していたことも講義では語ってきました。
最も、その講義は最近では
日本人学生は居眠りしがちだったことも告白しておきます。
今年は、特に、
「記号論」を先端的統合的な学際化としてのデザイン解説にしてきました。
その論理化には、二つの方法がありました。

 ・最大公約数的思考 The greatest common divisor theory
 ・最小公倍数的思考 The least common multiple theory

この思考方法を積み重ねて、結果と効果、
すなわち、それが意図ある造形のかたちと
意味される造形としてのかたちに「成っている」という論理でした。
私は、この考え方が、
現代どこにたどり着いたのかということを見直してみると、
それは、論理演算として
コンピューターに繋がってきたものと断言することができます。
ある概念集合の様々な要素や要因から、
その素数的な共通項を積み重ねると、
この画像の α・β・γ・ζ が最大公約数的な構造になります。
そして、その集合体の残存して集合が ζ という
最小公倍数的な構造になっているということです。
したがって、その ζ にこそ、
「記号論・意味論としてのデザイン」結果・効果が、
デザイン造形の「かたち」であり、
「かたち」に結実しているデザインだったということです。


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