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Posts Tagged ‘川崎和男’


3月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 31st, 2013  Posted 10:28 AM

3 月31日 甲午(先負)

光景は光と闇との対比が際立った景観を示す。

artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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3月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 30th, 2013  Posted 10:26 AM

3 月30日 癸巳(友引)

位相としてのデザインは、形式のデザインとして
時代転換にその内容変革を促し、形式化された位相に
仕組むデザインとしての内容を充実させると考える。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 29th, 2013  Posted 10:25 AM

3 月29日 壬辰(先勝)

位相となりうるものそのものへの視線が
デザイナーのまなざしでありたい。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 28th, 2013  Posted 10:24 AM

3 月28日 辛卯(赤口)

わが国のデザイン発展史は、
産業による国家強化の
大きな支援制度史にも
なりうるわけであり、
産業、経済の位相に寄りかかる以外の
手法を見い出すことには
思いもいたって来なかった。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 27th, 2013  Posted 10:22 AM

3 月27日 庚寅(大安)

時代のこの転機は、位相の質の確認が
デザインの意欲になりがちである。が、
これは何の効果も生み出さない。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 26th, 2013  Posted 10:00 AM

3 月26日 己丑(仏滅)

永続性を持っているがゆえに、
その「かたち」は内容を吟味することなく、
その形式だけをグッドデザインとして
評価する事態が慣例となってしまっている。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 25th, 2013  Posted 9:50 AM

3 月25日 戊子(先負)

流行的という文脈で
解釈されてしまう「かたち」にも、
形式の認知が容易になされたほどには
内容は理解されずに、
時代が廃棄するデザインは
あとをたたない。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 21st, 2013  Posted 11:29 AM

3 月21日 丙戌(大安)

デザインが時代を変革する形式を発見する時、
社会にとってのデザインが
その内容で評価されることは
瞬間でしかないかもしれない。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 20th, 2013  Posted 11:23 AM

3 月20日 乙酉(仏滅)

未だデザインが対象化しなかった事態に、
位相となるべき時代が訪れようとしている。

artificial heart:川崎和男展「位相としてのデザイン」


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3月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 19th, 2013  Posted 11:20 AM

3 月19日 甲申(先負)

文化とは無知と差別への見識闘争であり、
それだけに「分別としてのデザイン」は、
我らが東洋の理想に対象化出来る
ジレンマからの開放の論理となるだろう。

artificial heart:川崎和男展「分別としてのデザイン」


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