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Posts Tagged ‘太陰暦’


『月への願いは「新月」に願うことらしい』


   


     11月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

11月18日から19日3時までは「新月」というらしいのです。
人には願い事があるものです。
「新月」にはその願い事を書き貫けば叶うということがあるらしいのです。
68歳になって、講演会を終えて自宅にもどって、
ワイフと二人でそんな話をしました。
この歳になっても願い事は考え出すと相当にあります。
が、結局、集約すると「デザインのこと」と「ワイフのこと」につきます。
全てはここでは書き留めることはありませんが、
自分が今、大事にしているノートには書きとどめようと思っている次第です。
ともかく、毎日毎晩、このブログには正直にテーマを
ま身近なところで考え抜いてともかくかなり大慌てで写真を撮り、
ブログにしますが、読み直すと日本語になっていないことしばしばです。
漢字の間違いや文法としておかしいことは指摘されます。
さらに、無体財産権として著作権が確定していますから、
これを無断使用は罪悪でもあり、罰せられます。
ともかく、この「新月」は12月4日はスーパームーン、
12時47分には最大に「満月」になるらしいのです。
私は、太陰暦が日本人には向いていると思っています。
時折、月を見上げますし、ムーンフェイズの機械式時計は、
まだ人類には出来上がっていないとも聞いています。
「月」に語りかけることが人には多いのだろうと思っています。

* 『間も無くだろうか、中秋の名月を看るだろう』
* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」
* 「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも
* 『皆既日食と太陽フレアが風景の予測シグナルかも』
* 『機械式腕時計とスマートウォッチの出現から』


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『皆既日食と太陽フレアが風景の予測シグナルかも』


   


     9月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

「風景」を成立させる自然現象には人類に幸不幸がもたらされます。
なぜなら、風景は、彗星が地球にまで落下するかもしれない。
月食と日食、そしてとんでもない暴風雨、
この四つが風景と中国古典、易経を筆頭に書かれていたのです。
しかし現在、風景は「見晴らしの景観」という認識になっています。
特に太陰暦は月の満ち欠けと満月が日本江戸時代の古代暦でした。
それはムーンフェイズの時計が太陽暦であることを補足しています。
つい先日、元私の秘書だった女性がともかく米国へ日食だけを見に行って、
そのことをFBにて書いていました。
皆既日食は、本当に太陽が月の後となって、
一時、暗闇に包まれたという感激を伝えていました。
私は直感で、不吉感が走りました。
それはこれまでの歴史においても、月食と日食には、
とんでもない自然現象、たとえば大地震や大津波があったことは確かです。
そうしたら皆既日食で「太陽フレア」が起こったという報道がありました。
まさに、風景が人類に知らしめる自然現象での悪しき風景異変が発生です。
まず、地磁気嵐が起こる、大地震が起こる、という具合です。
どうか、大地震が日本に起こってほしくないという願いは祈りに至りました。
今、太陽フレアや太陽黒点の変動が、成層圏に大きな影響を与えること、
これがかなり詳細に検証され始めています。
案の上、北朝鮮は地磁気嵐ゆえにGPS使用は不可能ゆえ、
ミサイル発射をこれは幸運なことに見送った(未定?一部推測)というのは、
真逆の思考では、GPS不安ではミサイル誘導は出来ない程度の技術力、
これは安堵しますが、皆既日食が人類への信号だとすれば、
大地震、大津波、大暴風雨が絶対に起こらないことを祈るだけです。
人類はようやく太陽フレアがあると、
それこそ地磁気嵐が成層圏にまでの影響が甚大な不幸を呼び込むことまで、
やっとそこまで人類の予知では無く予定まで到達したようです。
地震は確実に成層圏の異常状態を連動させるのかも知れません。
光景は、生と死、光と闇の関係の象徴論であり、
情景は、人間同士の幸不幸を決定しているという、太陰暦的な予知?
この古代予知は正しかったのかも知れません。
景観と景気はすべて太陽と月との何らかの関係があるのでしょう。
光景は自然と自然、風景は自然と人類、情景は人類と人類、
これを占いでは無く予知では無く、幸不幸の予測的確かと思います。

* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」
* 「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも」
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』
* 『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』
* 「幸不幸の連鎖の中で」


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『来年は干支は羊なり』


   


     12月 31st, 2014  Posted 12:00 AM

ここ数年、私は太陰暦そして陰陽五行説をかなり真剣に読んでいて、
たとえば腕時計もムーンファエイズに限るとかに決めてきました。
そして、まだまともな時計が生まれていないことも知りました。
五行説が西洋も東洋もそれぞれの組み合わせでコンセプトの
下敷きにすることができます。
正直、干支についても毎年、年明けのシンボル程度の認識ですが、
そろそろ、来年は未年とかといえば、12年後を考えてしまいます。
そして、日本人には干支への認識はすでに遺伝子記憶だと思います。
その大きな理由を私なりには三つほどあるのではと想像しています。
まず、干支の動物は日本人のマスコットシンボルです。
それこそ「ゆるキャラ」の発想には、
この命名者である人物の仏像好きが背景にあり、
干支以外のゆるキャラが人気を集めています。
そして、猫は干支に含まれていないだけに「キティちゃん」が
もはや世界的なキャラクターモデルになっています。
理由は簡単でしょう。干支には厳密な精神面的なシンボル信仰があり
この信仰から解放されているから、
現代的なシンボル解放が成功しているのでしょう。
それこそ、血液型や干支での性格分析は全く科学性がありません。
それは、占い的な荒唐無稽さがあたかも乗っかっているだけです。
だからといって、私は総否定することはまったくありません。
ともかく、来年は「ひつじ」をキャラクターにすることを
楽しみたいと思っています。
羊のディフォルメされた形態や漫画性、あるいは形態模写性や
スタッフとこのシンボルなら、
羊が一匹、羊が二匹・・・・Z・Z・Z・Zって、
キャラクター性のおとぎ話的な要素の表現に決めました。
私の性格には、とても似合わしくない年=未年がやってきます。


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『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』


   


     11月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

時刻という人類が勝手に決めたいわば概念ですが、
この視覚的な測定器は、デザイナーにとって格好のテーマです。
しかし、デザインの力量を試されることは間違いありません。
私自身、このデザインに取り組み、その商品化は1989年頃でした。
思い起こせば、やはり30代でしたから、まだ無名だったメーカーと
懸命に取り組んでいました。今やこのメーカーは、
壁掛け時計では大きな存在になっていて、デザイナークロックも
相当に商品化されています。
時計は、あくまでも時刻の概念、その視覚的な測定器にすぎません。
視覚的な測定器ゆえに時空間をきっちりと12時間設定したモノです。
少なからず、私の時計は今も商品化=HOLAされていますし、
使っていただいているユーザーは沢山います。
そして、なんといっても20世紀を代表する時計=The Clockとして、
スミソニアンのデザインミュージアムであるクーパーヒューイットに
パーマネントコレクションされていることです。
そこで、この時計をiPhoneアプリにもすることができました。
このシリーズも商品化しましたが、まったく売れない時期もあり、
メーカーの負担も相当にあったと思いますが、
そのメーカーから、私のこの「HOLA」を超えるデザインには
まだ私は出会っていません。だから、結局自分の代表作です。
しかし、問題はすでに日本の技術は進化してきていますが、
いわゆる壁掛け時計を進化させるユニット化技術は皆無です。
私がそれなりの発言をすればいいのですが、私はこの作品でOKです。
よく、来訪者にいわれるのは、この時計が部屋の壁にはありません。
正直、自分の作品を室内には置きたくはないのです。
作品集のために、もっといい情報化の写真は必要だと思っています。
今、私が時刻の概念化と視覚化においては、
太陽暦と太陰暦二つがなんとしても欲しいと考え続けています。
そして、私は次世代にせめて壁掛け時計、その商品化チャンスを
あたえてくれるメーカーがあってほしいと願っています。

「iPhoneアプリ・もう一度知らせます」


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「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも」


   


     1月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

名古屋にいる時、
ドロボーに入られて、時計をすべて盗まれました。
名古屋ではワンフロワーに一世帯一家族だったので、
ドアがバールで壊されても
誰にも気づいてもらえませんでした。
全ての時計といっても12個ほどでしたが、
50万以上の時計投資はしておらず、
それぞれの時計には、一つの仕事をやり終えた記念でした。
そしていわゆるデザインされたモダンデザインの時計も
随分持っていましたが、
ドロボーは見事にいわゆるブランドモノを持ち去りました。
如何にモダンデザインの時計は見捨てられているか知りました。
だから一年以上暗ーい気持ちでワイフとペアで持っていた時計だけでした。
それから1949年(私の生年)に製造された当時ゆえステンレス筐体の
パティック・フィリップス(毎年値上がり)を手に入れてから、
またともかく美しくて気に入った時計を持つようになりました。
このところは、「ムーンフェイズ」をともかく徹底して見ています。
それは太陽暦だけではなく、
太陰暦・グレゴリオ暦が絶対に時間・人間・自然には関与している
そんな直感があるからです。
時計に月齢表示機能があるのは、
本来は20世紀以前の船員向け潮の満ち引きの手がかり表示機能でした。
月の満ち欠けは単純です。
朔=新月という月の見えない時、
望=満月、
そして上弦と下弦の半月の四種類だけです。
この四種類の計時変化は、人間と自然には大きく影響していると考えます。
よって、ある種のバイオリズムを制御しているのは、
月と関係があるかもしれません。
私の体調もなんとなく最近は月の満ち欠けと関係しているかも知れません。
なぜ、日本は太陰暦に重きをおいていたのでしょうか。
グレゴリオ暦の歴史を追いかけていくとき、その神秘主義とともに
明らかに景気から地震に至るまでのある影響が確実にあるようです。
もう少し私なりの知識と直観がまとまれば、
太陽暦と太陰暦をムーンフェイズとは異なる形式を見いだして、
新たな「腕時計」性能をデザインします。
日本でも「トゥールヴィヨン」を自作しているデザイナーがおられます。
彼から聞かされたのは、まだムーンフェイズの精確性は未完成とか。
すでに日本では、クリスタルガラスすら製造出来なくなっています。
バーゼルの時計見本市と対抗できる『腕時計見本市」が必要です。
今、私はあるブランドに特別発注したムーンフェイズが楽しみです。
「腕時計」は時刻という見えない事を視覚化したツール、
そして、自己証明のメディアでもあるのです。

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