1月 22nd, 2022 Posted 7:30 PM
私が間違っていたのは、
君を「毎日デザイン賞」で頑張ったことでした。
故インテリアデザイナーの内田繁と
私が誤って君を選んだことでした。
発表日は東京プリンスホテルで君を応援するために、
病院で10時間効く注射をしてもらって、
入院中の注射を打って東京に行きました。
最終審査会では、故・デザイン評論家柏木博氏と
建築家H.I氏が猛烈に反対をしてきました。
グラフィックKはなんともなくて迷っていました。
その後で、君から「発表会には来ないでほしい」と話がありました。
何のために君を選んだのでしょうか、です。
私の毎日デザイン賞では『満票』でした。
故・柏木博は一ヶ月前に亡くなりました。
彼には「京都賞」に選ばれることも
故・柏木博の批判で第一次審査で落されました。
恩師の計らいで私が選ばれる予定でした。
三宅一生氏、安藤忠雄氏の後は、
今も、経済法務・医療関係・そして思想と芸術すべて調査委員です。
きっと君を選んだことで、残念な話かな、
四分の三の男が「頭が禿げます」。
大手企業では、決して取締役にはなれません。
漫画では「レンダリング、ペーパーモデル」は出来ません。
まさに四分の一は禿げません。私は銀髪になります。今は茶髪です。
君が「聖火リレーでの演説」は全く耐えられませんでした。
これが正解です。
*当時の毎日デザイン賞碑
Tags: 10時間, インテリアデザイナー, グラフィック, デザイン評論家, ペーパーモデル, レンダリング, 三宅一正, 予定, 入院中, 内田繁, 医療関係, 反対, 取締役, 大手企業, 安藤忠雄, 建築家, 応援, 思想と芸術, 恩師, 最終審査会, 来ない, 東京プリンスホテル, 柏木博, 正解, 毎日デザイン賞, 注射, 満票, 演説, 漫画, 猛烈, 男, 病院, 発表日, 禿げません, 第一次審査, 経済法務, 耐え, 聖火リレー, 茶髪, 計らい, 誤って, 調査委員, 選ばれる, 銀髪, 間違って, 頭が禿げ
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 未分類, 祈望から企望へ
目次を見る
6月 10th, 2020 Posted 5:04 PM
私には「私の大きな財産」があります。
Kazuo Kawasaki ®とOUZAK ®のロゴタイプです。
C.I.はやはり徹底的に東芝時代に
「Aurex」で私のデザインでやらされたので、
私のデザインとそのロゴタイプ、そしてマークもやり終えたのです。
C.Iにはもちろん時代背景を投影することも大事かと思いますが、
私はそれを超越した変わらない存在を感覚ではなく論理で導いています。
カズオの逆文字、OUZAKとつけた私の会社OUZAK Designは25年目です。
前身として福井で「eX-Design」、
その前は東京で「Super Edison 」として活動していました。
そして、名古屋市立大学 教授就任時に、その立場を割愛し、
その他数社の副社長や取締役も降りました。
「Kazuo Kawasaki」はブランドとして、
変わらず大学人になっても原稿用紙やメモや封筒に使ってきました。
OUZAK Designは、名古屋で国際デザインセンターを構える時に
OUZAKにわかりやすくDesignをつけることを求められて
マークで今の形になりました。
本来はOUZAKは音響機器システムのデザインだけを
取り扱いたいと考えていました。
というか、そもそも学生時代から「光と音」を目指し、
東芝での部署希望も最高級の音響「Aurex」だけでした。
大学を退官したら、今度こそ「音響機器」まずは、
プリアンプとシンセザイラーをやりたいと思っていましたが、
東芝時代ともに開発した仲間から会わせたい人が居たけれど、
みんな死んじゃった、と言われました。人生に予定調和はあり得ません。
デザインしてきた音響機器、レコード針も長く存在価値を失わず、
商品として取り扱われていますが、「不易流行」、
そして先を見据えた「音響のデザインを目指したい」と思っています。
Tags: Aurex, C.I., eX-DESIGN, Kazuo KAWASAKI, OUZAK, OUZAK Design, Super Edison, カズオ, シンセザイラー, デザイナー財産, ブランド, プリアンプ, マーク, メモ, ロゴタイプ, 不易流行, 予定調和, 人生, 仲間, 光と音, 前身, 副社長, 割愛, 原稿用紙, 取締役, 名古屋, 商品, 国際デザインセンター, 大事, 大学人, 存在, 学生時代, 封筒, 感覚, 投影, 教授就任, 時代背景, 最高級, 東芝, 東芝時代, 死, 活動, 目指, 見据えた, 論理, 財産, 超越, 退官, 逆文字, 部署希望, 音響機器システム
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 17th, 2017 Posted 12:00 AM
35年ぶりに高島郁夫氏が来宅してくれました。
今、「DESIGN TOKYO」の審査委員をお願いしているのです。
カリスマバイヤーだった藤巻幸大氏が急逝してとても困り、
そうなると彼にお願いしようとすぐに提案。
彼も快く引き受けてもらったのです。
というのは、彼も福井県人であり、若いときにはマルイチセーリングの、
「際だって存在感があった」東京支店長でした。
当時ようやく全国区への参入をめざしていた、
このインテリアメーカーが「東京家具見本市」出展を私が提案したら、
小林社長(現在は会長)は最大ブースを予約して、
「川崎さん、全て任すから思い切りブース設計から製品デザインを」
(エッ最大ブース?どうする・・・)
そのブース統括は当然ながら東京支店長であった彼でした。
ソファーもいくつか相当にやり、それなら思い切って、
ということで、エレクトレットコンデンサースピーカーシステムを、と。
設計は丁度フリーになった東芝時代の
エレクトレットコンデンサーの専門家Y氏に製造までをまかせました。
今でも多分、25mm厚のバッフルに、
このスピーカーユニットと電源駆動実装は実現されていないでしょう。
すぐにフィラデルフィア美術館に永久展示になりました。
高島氏の存在を以後知ったのは、私の最初のマネージャーからでした。
「フランフラン:Francfranc知ってます?」
「んー、ごめん、知らない・・・」
「エッ、知らないんですか?」
当時ちょうど私は札幌市の市立大設立での初代学長候補でした。
(これは以後色々あって辞退問題にまでなりました・・・)
そうしたら、福岡にも札幌にも、
なるほど彼らしいとてもセンスあるインテリアショップ。
そうしたら大変な実業家になっていました。
来宅してもらうと、すぐに私は、
「ねっ、自家用ジェット買ってくれない?」と実業家には要望するのです。
ビジネスジェットが現代、最高の「手造り」なのです。
スピーカーは商品化できませんでしたが、35年前には実現していたのです。
結局は二人ですっかり未来の話になったのです。
しかも彼の企業グループに次世代デザイナーの森田恭通氏も取締役でした。
なんだか人生が回転して再会を果たしたのです。
* 「キャナルシティ博多での二つのショップ、二人の経営トップ」
* 「『国際文具・紙製品展』と『DESIGN TOKYO』展」
* 『JBL4343のメインテナンスは5.5回目、まだ10年はOKとか』
* 「SZ-1000・私のオーディオ最終作だから」
* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
Tags: :Francfranc, 25mm厚, 35年, design tokyo, インテリアショップ, インテリアメーカー, エレクトレットコンデンサー, スピーカーシステム, スピーカーユニット, センスある, バッフル, ビジネスジェット, ブース統括, ブース設計, フィラデルフィア美術館, フランフラン, マネージャー, マルイチセーリング, 予約, 企業グループ, 全国区, 再会, 出展, 初代学長, 取締役, 商品化, 回転, 存在感, 学長候補, 実業家, 実現, 実装, 審査委員, 専門家, 市立大, 彼らしい, 思い切り, 手造り, 提案, 最大ブース, 未来, 未来の話, 札幌市, 来宅, 東京家具見本市, 東京支店長, 東芝時代, 森田恭通, 次世代デザイナー, 永久展示, 福井県人, 自家用ジェット, 製品デザイン, 製造, 要望, 電源駆動, 電源駆動実装, 高島郁夫
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る