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Posts Tagged ‘全体像’


『「フロベール委員会」で高級ブランドは統合と統一』


   


     5月 8th, 2019  Posted 12:00 AM

1954年にジャン=ジャック・ゲラン(J.Gran)が
「コルベール委員会」を創設しました。
彼はゲラン社第3代目で、有名な香水「アプレ ロンデ にわか雨の後」
を作った天才的な調香師でした。
1661年にルイ14世紀の建設物や美術品や製造品の財産管理をしていた、
ジャン=バティスト・コルベールの名が
この委員会の名称となっています。
設立の理念のもとフランスの芸術や技能、
「フランスの美しい暮らし方」を全世界に広めようとしていました。
最初は13社でしたが、今やラグジュアリーブランド83社で、
エルメス社長が中心です。
私はよく言っているのですが、
ブランド価値はフランス・イタリア・英国では
コルベール委員会が掌握していることを
日本も知らなければいけません。
それこそ「伝統技術」の継承や発展は、
こうした委員会創立がとても必要です。
この委員会の存在と活動や、
それぞれのラグジュアリブランドが展開する商品も含め、
デザイナーはその全体像を知り置くべきです。


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「20年追い求め、やっとその時代到来か・・・」


   


     6月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

「スカウター」と名付けました。
エスノグラフィーという民族の個人的な、
視覚性と情報性を考えて見れば、そこに必要な情報を。
この思考を20年熟考してきたのかもしれません。
大学人になる前に、ある大企業とある省庁とへの提案は、
すぐにベンチャー企業ができました。
しかし、この発想はとても早すぎたのでしょう。
「売れること」より、技術進化の方向を示していました。
1996年、大学人になって、
この提案は「ディレクター」で制作し中国の学会で発表しました。
それ以来、私にとりついた技術展開概念とデザイン対象でした。
私は「映像」を全体像で追いかけてきた実感があります。
当時思いついていたアプリケーション、
自転車競技、カーレース、学術用途、医学・手術、音楽など、
この領域にこれは最適な、言わばヘッドマウントディスプレイ。
私が、気づいたのは、
目の前が真っ暗な映像が見えるモノは船酔いすることでした。
これは人間の生理がまったく受け付けない代物ということです。
にもかかわらず、未だにこの商品化をしている企業は実験不足。
話題になっているGoogle Glassは、
元のアイディアは日本産だと断言できます。
現在、評価版があるらしいのですが、
私は根本で4つの疑問を持っています。
今それを明らかにすることはできませんが、
この4つを日本が進化させたなら、
彼らのあの商品価値は劣ることは間違いありません。
20年前の発想は、何も変える必要はありません。
私は、「技術がデザインを実現できなかった」と思っています。
ということは、
デザインは常に技術への提言を持っているべきだと考えます。
たとえば、Apple社は、かつて「Knowledge Navigator」という、
パソコンが秘書になることを提言していました。
現在すでに、iPadであれ、Cloudであれ、
私たちの日常には、当時のデザイン思考以上の志向性があります。
デザインは100年先を考えていいわけです。


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「資本主義からの逃走」
     「多様な『多様性』のかたち造形=デザイン」


   


     1月 7th, 2011  Posted 12:00 AM

多様な思考からの造形
デザイン造形、造形された「かたち」。
デザインは多様さを検討。
造形結果は「かたち」です。
かたち・形態というのは「多様体」です。
多様体造形
立体、球体などは、決定的な形態ですが、
数学的術語の中にもう一度引き戻して考えれば、
これは「多様体」の中での特徴と特質ある形態=かたちということが出来ます。
そこで、デザイン造形された「かたち」=形態は、
実は「多様体」造形だったと言い直すことが可能でしょう。
つまり、ユークリッド空間そのもの自身も多様体と考えることができます。
最小多様度の法則
したがって、デザイン造形された形態=多様体は、
思考に思考(=多様さ)された中から、最小要件・多様度で導き出された「かたち」です。
多様体という言葉を数学的な術語に残しておくより、
もう一度、多様さを多様度と言い直せば、
思考決定での最小限界まで、その法則性を見いだすことが可能です。
社会学的には、確かにこの法則があります。「最小多様度の法則」と呼ばれていることです。
いづれこの説明を数学用語「多様体」と結びつける必要があるでしょう。
結局、多様さ・多様度ということが、何と関わっているかを見直していくことになります。
私は、人々の価値観が多様というなら、その多様さ=多様度を深く洞察し直さなければ、
「多様」であることの全体像という「かたち」が見えてこないと考えているからです。
数学的な「多様体」という言葉の定義も、
実際的には「形態」すべての自由性での多様度の中から引き出された「かたち」です。
つまり、デザイン造形とは「多様度の最小原則性」で解釈が可能だということになります。
かなり複雑怪奇で難しい話ですが、まとめておくべきと考えています。


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