kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘克己’


『silience=無意識だけれども重要な知的核心という解釈』


   


     4月 20th, 2016  Posted 12:00 AM

おそらく、「コンシリエンス」という新造語を作成した
ウイリアム・ヒューエルは「silience」という言葉を原型に、
con+silience=consilienceとしたのではと辿りつきました。
「silience」というすでに英語でも死語化している意味を探りました。
しかし、これは単なるデザイナーの戯言的な解釈と考えてください。
「silience」には、日常何も考えない、つまり無意識ながら、
あるとき、ハッとするほど重大な、
それこそ隠れていた宝石のようなキー単語に辿り着くことがあるという、
そんな発想の言葉が「silience」だということです。
たとえば、自分の進路がゴミだらけだとしても、
そのゴミの中に、突然キラリと光るダイヤモンドがある、かもしれない
そんな柔軟性をゴミだらけの道筋でも発見できる能力=言葉です。
だから私はデザイナーとして、
18世紀のウイリアム・ヒューエルからエドワード・オズボーンによって、
「知の統合」=コンシリエンスに至ったのなら、
paraとmetaを加えることで、さらにコンシリエンスとレジリエンスを
思考拡大していきたいと考えています。
これはかつて、アルキメデスが「メタ理論」をまとめたことを応用可能?
と考えているからです。
少なからず、レジリエンス=re+silienceとは、
redesignのごとく、silienceの否定ですが、
それこそ、積極的な否定という意味での、ストレスやプレッシャーを
「無意識の知性」で克己するという重大な意味になるからです。
パラシリエンスは、知的前提でのプライミング性があり、
メタシリエンスは、知的拡大を図ってエフェクト性があるということです。

*『芸術で学術は語り切ることができる』
*『「Consilience」に融合の基本概念があるだろうか』
*『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
*『コンシリエンスデザインの基盤は危機解決学である』
*『思考無き概念解放無きデザイン手法ありえず』


目次を見る

6月27日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

6月27日 仏滅(甲戌)

「喧嘩」と「喧嘩道」には
大きな違いがある。

それは、
克己たりうる精神の有無である。

川崎和男「喧嘩道」


目次を見る

「ロンドンオリンピックでのハードとストロング」


   


     8月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

東京オリンピック時は、わが家にもTVがあり、
その頃TVが日本にも定着していたという思い出と重なります。
オリンピックはデザインが裏方であることもあり注目してきました。
特にロサンゼルスなどはデザイン進化がありました。
このことは誰かが語り継ぐべきデザイン界の大事件でした。
アトランタでは、
富士通依頼でプラズマTV開発デザインをした経験がなつかしいです。
あと、何度オリンピックを観れるのだろうと今回はしみじみと感じました。
本当に寝不足になるほど、心ときめくアスリートの活躍ぶりは、
まさに「ゆず」の「栄光の架け橋」が似合ってました。
メダリストの華の存在と、敗者の人たちの悔しさを見つめながら、
アスリート、スポーツという身体表現の勝敗成果に、
その根幹である精神的な克己の姿は涙いっぱいでした。
それは、「競争・相手を倒すと競走・自分だけの能力」が克己を決定づけ、
そこには、「ハードさ」と「ストロングさ」を
自己鍛錬にてどこまで自己管理できたのだろうかと思いました。
よく、身体的には「腹直筋」を鍛えればハードな身体にはなれるけれど、
「大腰筋」はストロングな身体になれますが、この均衡が大問題。
このハードさとストロングさのバランスがどれほど困難かという話です。
おそらくこの4年間、最も子どもの時からずーっと、
選手達はハードさに耐え抜いてきたのでしょう。
スゴイと思います。
ところが、敗者となった種目や、怪我に至った不運さは、
ストロングさを一瞬失ってしまったのかもしれません。
あるいは、ハードさに対して、その真逆となる硬軟均衡、
すなわち、柔=ストロングさをもって剛=ハードさを制す、
ということが欠落したのかもしれません。
ハードに徹していてもダメであり、
ストロングさの追求であってもダメということを、
オリンピック選手達は、その世界的な運動能力・身体的なハードな訓練と、
克己的精神のストロングな柔らかさで証明してくれたと思っています。
リオデジャネイロオリンピックは、また観ることができると思っています。
改めて、自分がプロとしてのデザインの
ハードさとストロングさを象徴的に顧みることができました。
選手のみなさんに感謝です。


目次を見る