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Posts Tagged ‘元気’


『手の消毒、そんな時代になっている?』


   


     4月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

私は幸いにも花粉症ではありませんが、まさかという人までが
最近はこの病ブームにやられています。
そして、このところみかけるのが、企業、レストラン、ホテル、
もちろん医院や病院の入り口には消毒薬が置かれています。
手を洗うことは、小学生の頃から、かなりしつこく教えられました。
外から帰ってきたらうがいと手洗いは強要されてきたと思います。
しかし、今や強要ではなくもはや義務です。
しかも消毒薬次第で、防ぎきれないノロウィルスなどどころか、
さらに手洗いでも防御不可能なウィルスも登場し始めています。
またさらにこの消毒薬で、手荒れになってしまったりとか、
人間の体質も変わってきています。
私自身、除細動器を体内に埋め込んでから、アレルギー体質です。
しかもやっかいなことに、「甲殻類アレルギー」です。
これは北陸生まれの私にはなんとしてもカニはとなれば、
抗アレルギー薬を飲んででもカニは食べています。
花粉症に対策どころか、地球全体の温暖化、気候変動は、
感染症の増大は人智を超えだしているようですが、
人智を最大限にするためには、私は四つの対策を決めるべきと
それをデザインの問題解決の対象にしています。
● 環境の異変原因へに対策デザイン
● 人間・人類の抵抗力、その対策デザイン
● こうしたことを危機とする基本デザイン
● 危機解決デザインの具体的な解答デザインの制度化
これが、私がめざしている「危機解決デザイン」であり、
こうしたデザイン=問題解決を図ることがコンシリエンスデザイン。
このところ、この四つに具体例を、講演や企業提案をしています。
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の準備に
走り回っていますが、いたるところで、この消毒セットを見ると
ともかく、自分の役割が明確になってきています。
出張中はどうしてもこのブログ休筆になりますが、元気です!


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「『あさっての美術館』・兵庫県立美術館イベントと同窓会」


   


     12月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

兵庫県立美術館が開館して10周年。
そのイベントにて、講演とフォーラムで対談をしました。
蓑豊館長の就任によって、年間動員数は83万人と聞きました。
これは、館長の著作
「『超<集客力>革命』・人気美術館が知っているお客の呼び方」
でその詳細を知ることができます。
日本科学館との共催ゆえに、毛利館長・宇宙飛行士と、
阪大ロボット学者・石黒教授と私は、
阪大医学部とこの美術館で二日続けて講演をしました。
正直、このテーマはつかみ所が難しくて、
私の個展体験、
それも蓑館長によって
金沢21世紀美術館から掘り起こすことにしました。
30分でまとめることでは、朝方までKeynoteづくりになってしまいました。
私の手がかりは、
「美術館の作品」対「作品の美術館」
「美術館という制度とその担保である作品の美と存在」
結局は、
「デザインとしての私」対「私としてのデザイン」にまとめました。
そして、何よりもより深く石黒教授とは
議論をこれからもしていける二日間であり、
阪大同僚として、これから協働しようという話を深めることができました。
毛利館長は、宇宙飛行士時代にはヒューストンで
従弟があのプロジェクトのディレクターだったこともあり、
今後のエネルギーの話を立ち話ですが、
これも協働できそうな話題になりました。
当然、蓑館長には、35年デザイナーとしての記念個展を金沢で開催し、
「プラトンのオルゴール」は作品すべてはもとより、
スケッチもインスタレーションまでが
金沢の美術館に永久収蔵していただいた仲です。
折しも、
恩師・平野拓夫元金沢美術工芸大学学長は蓑館長とは親友であり、
すべてのイベントを見まもっていただきました。
そして、このイベント終了後には、
「平野先生を囲む会」金沢美大関西支部同窓会には、
先輩から、平成生まれの後輩までが集まりました。
金沢美術工芸大学の同窓会は、
Facebookにおいてもすでに900名でやがて1000名にもなる、
伝統的な先輩後輩の「元気・勇気・覇気」ある関係です。
恩師に来阪していただき、
私の研究室・自宅、そして美術館のイベント、同窓会という
濃密な日々でした。
先輩はもとより、特に、後輩たちに感謝です。
もちろん、兵庫県立美術館のスタッフの皆さんにも御礼を申し上げます。
そして、このイベントは開場満席でした。
聴衆の皆様、ありがとうございました。


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「元気になろう、元気になれるスゴイ写真だ」


   


     8月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

8月20日、銀座に50万人だったとか。
ロンドンオリンピックはワクワク感を与えてもらいました。
素直に喜びたいと思います。
アスリートの選手達には敬意と敬服を捧げます。
そうしたら、こんなスゴイ写真が
女子サッカー選手・丸山桂里奈さんが与えてくれました。
本当に、徹底的に悲嘆し哀しむ事態にわが日本は落とし込められています。
領土問題での対決は勿論ですが、未だに拉致問題も、
さらには女性ジャーナリストの殉死です。
1000年に1度とはこれほどまでに
私たちから希望や夢を奪い取っていくのでしょうか。
銀座の光景は、マスコミが与えてくれたものではありません。
スゴイ、良かった、元気をみんなで共有できると私は思っています。
無念ながら私なりに懸命なのですが、
デザイナーとしては何もまだ進めることができません。
デザインも夢を叶える職能です。
しかし、デザイン界も元気になれない状況に追い込まれたままです。
サッカーの香川選手が、「君が夢だ」というCMを観ると、
そうだろうなー、子ども達が憧れていることが良くわかります。
子どもたちに憧れない職能は、
どこかに欠陥があると考え直すべきでしょう。
それにつけても、マスコミ、特にTV番組が、
アスリート選手への無礼な態度を見かけます。
TV界の勘違いは笑止千万です。
彼らはどれだけ夢を与えてくれているのでしょう。
その敬意ない番組は、TV時代の末期症状だと断言せざるをえません。
2020年、オリンピックを誘致することを実現するべきでしょう。
元気になって、未来の幸運を創り出さなければいけません。
領土問題と同時に拉致問題も緊急課題です。
急ぐためにも元気になりましょう。
スゴイこの写真はアスリートが与えてくれているのです。


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「一本の松の木が示唆する未来」


   


     12月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

3.11が破壊し尽くしたこと。
陸前高田市には高田松原という海岸線に防風林、
それは7万本あったと聞いています。
10mの津波と言われていますが、
実際は28mから52mに及んだ場所が数多くあります。
その高田松原は全滅でしたが、
たった一本の松の木が残りました。
被災した現地の人には、その痛たましい姿ながら、
「希望」のシンボルになりました。
あれだけの大津波の中で、気高く生き延びてくれた姿に
現地の皆さんは「復興」への勇気と元気を回復しました。
しかし残念ながら「塩害」はこの松の木を日毎弱らせてしまいました。
それでもなんとかこの一本の松の木の再生を試みておられます。
松ぽっくりから発芽の試みと、接ぎ木の方法を
滝沢村にて現在、その再生を試行されていると聞きます。
3.11の記憶をシンボルとして残す一つの代表例だと私は考えます。
そして、あらためてこの海に囲まれた日本列島の海岸線、
そして防風林や防潮林の新たな新技術を早急に準備しなければなりません。
私のふるさと北陸の日本海岸の防風林も、
中国からの黄砂だけではなくて酸性雨で絶滅に瀕している現実があります。
3.11で「自然の威力」を同胞の死で思い知らされた訳です。
高田松原の素晴らしい景観を失いましたが、
たった一本の松の木が、
未来を示唆してくれていることは忘れてはならないでしょう。

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「プロとして元気の素は鉛筆への作法」


   


     12月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

プロのデザイナーになってから、
最も使ってきたのが鉛筆です。
だからきっとこれからも鉛筆については、
何度も何度も書いていくことになると思います。
プロとしての日常は、「スケッチを描くこと」です。
その道具である鉛筆は消耗品ですから、
削って使えば短くなります。
あるとき、どこまで鉛筆を使うかを決めようと思いました。
そこで、名刺ケースを筆箱にして、
最後は、ケースの短辺に収まるとなったとき、
「ごくろうさん」ということでこの長さで休ませようと決めました。
その時はナイフではなくて鉛筆削り器で削り直すことにしています。
ケースの長辺はまだ現役ゆえに使います。
このような使い方をしていくうちに、
使いきった鉛筆がケースに収まっているのを時々見ると、
これが自分の思考・スケッチワークの形見になっています。
だから、このケースを収集することが自分の足跡だと思うのです。
したがって、アイディアに詰まったり、
正直、自分を支える事が出来ないほどスランプが襲ってきます。
でも、この使い切った鉛筆、まだ現役の鉛筆を見ると、
とても元気が出てきます。
先般、筆記具のことを講演会で聞かれました。
以前にも、この鉛筆への私の作法を書いたことがありますが、
あらためてもう一度書いておきたいと今日はそんな気分でした。
2011年これほど人生において日本中が哀しい年はありませんでした。
来年には考え抜いた復興デザイン計画をプレゼンします。
今年最後の打ち合わせをしました。
そして元気の素である「鉛筆への作法」をもう一度見つめています。
やはり、筆記具として鉛筆と生きていくと思います。
使い果たしていく鉛筆を見つめれば、「元気」になります。
この鉛筆への作法こそ、プロとしての鉛筆への感謝でもあるのです。

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