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Posts Tagged ‘伝統工芸’


『伝統の革新は新素材開発と情報エンジニアリングを図る』


   


     5月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

一般には陶磁器で一括りにされてしまいますが、
これは明確に素材から陶器と磁器に区別して理解しておく必要があります。
簡単には「陶器」は土器からの古代歴史性があります。
六大古窯は陶器の歴史として、縄文の時代が深く関与しています。
なぜなら「陶器」は土を粘土にして焼き上げた歴史が歴然とあります。
「磁器」の歴史は石の粉をさらには骨の粉を粘土状にして焼いたモノ。
しかし、陶磁器なるモノはありえません。
なぜなら、陶器と磁器になるように土と石それぞれの粉を焼き上げるには、
現代的なセラミックとしての工業技術が不可欠です。
したがって、今、最も注目出来るのは、
手前味噌ながら磁器にプラチナ釉薬での鏡面仕上げですが、
完全にこの製造方法はオープンゆえ、
あたかも自分たちのオリジナルという盗用がはびこり出しています。
しかし、六大古窯であった越前焼に、素材である青粘土と新技法での
革新的な陶器が若い作家から生まれました。
この越前焼が最高品になる可能性があります。そうするつもりです。
この技法によって、ようやく、デザイン的な解決を
自分の鍛え上げてきたタケフナイフビレッジとの協同をねらっています。
陶磁器にしてもすでに焼成温度の管理は不可欠ですが、
これだけではありません。
新しい素材の応用、技法としての加工エンジニアリングが決め手でしょう。
この革新的な素材開発と情報エンジニアリング、そのデジタル手法を
伝統工芸の伝統技の継承とその革新性に再配置していきます。
それは新デザイナーの登用とともに解決制作をデザインします。

*『有田プラチナ釉薬仕上げ工程デザイン』
*『六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした』
*『最高級品・アストバリーの技法を超えるには』
*『陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断』
*『陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない』


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『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』


   


     5月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

東京から福井に帰ったときに、東京には在るが福井には無いものだらけだ、
どうして生きて行こうと思っていましたが、逆発想をしました。
福井にあって東京には無いもの。
それが越前市(旧武生市)の伝統工芸の打刃物であり、
あることで若手の刃物工業研究会との出会いがありました。
3ヶ月黙っている彼らに自分は難し言葉使いをやめて福井弁で話ました。
新素材開発でメーカー交渉を産地の代表として徹底的行いました。
国内外で展覧会をやり「タケフナイフビレッジ」を絶対に実現約束。
行政の力を借りずに「借金をして取り組んでもらう」ということ、
そのデザイン戦略をともかく盲信してもらうことでした。
ステンレスで鋼をサンドイッチにした高品位ステンレス鋼で
「ハマグリ刃:蛤のように断面で見ると中央が膨らんでいる刃」を
火づくり鍛造してもらいました。
世界で初めてすべて金属製ゆえの一体の刃物ゆえに、
熱湯で一変に大腸菌が防菌可能な一体金属の刃物を開発しました。
徹底的に図面に精確な研磨によりビッカー値硬度も60~62を実現。
その製品開発の中でも、高品位ステンレス鋼をグリップ部分に、
私の造形言語である「ウェーブレット(さざ波のよう波型)」を実現。
それを成しえてくれた今では親方・第一世代の加茂勝康氏が
瑞宝単光章を受勲できました。
昨年は安立勝重氏が受勲しました。
加茂氏はスキー、安立氏は登山家、それぞれの世界でも重鎮です。
第一世代では癌に冒されても「技を伝えて」と半ば命令していた浅井氏は、
工房でもう限界と言って2週間寝込んで逝ってしまった仲間です。
今、第一世代9名、第二世代20名を率いていますが、
新メンバー・新デザイナーを私は選別して、
「ナイフスクール」を本格的に開校します。
二人目の受勲お祝いの会は、さらに盛大に全員で祝いたいと思っています。

*11月5日Staff Blog
*『刃物の地肌、その偽物氾濫が流行している』
*『 ひとりの親方が逝った・・・ 』
*『タケフナイフビレッジ、恩人を見送った。』
*「鎌倉時代名刀と江戸時代名刀を語り合う」


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『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』


   


     8月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

元来、デザインは応用美術とか図案や装飾美術からという源流があり、
意匠になり、設計になり、そして策略や資源と時代変遷してきました。
しかし、私は美大時代、工業デザイン専攻では、
すでに、発明の設計実務学、問題解決学として
学習と訓練を受けてきました。
美大卒業し、家電入社したときには意匠部でした。
したがって、デザインの真意論・本質論・技術論・文化論では、
ようやく、産業から健康、文化として
文理融合と学術芸術の統合として、
「コンシリエンスデザイン」にたどり着きました。
ところが、楽しみにしていた東京オリンピックでは、
建築とグラフィックに、統合的なディレクター不在と経済効果での
アスリート興業商業主義の悪用としか思えないデザインの大勘違いが
横行し始めています。
建築コンペも狂い、エンブレム選別も知識不足の商業デザイナーでは
コピーだ、ジェネリックだ、せめてアプロプリエーションぐらいの
ハイレベルにも到達せずに、
情報社会で低レベルマスコミに混乱させられています。
そこで、かって35年前に私が伝統工芸産地で包丁、
キッチンナイフの「一体化」と新素材開発、刃先アール寸法など、
問題解決の解答デザインをしました。
ところが、たとえば、ほとんど最初に素材でダマスカス鋼風が、
あたかも刃物という恥ずかしいほどの
能なし刃物産業が世界的に流行しています。
オリジナルデザイナーの没後に、
デザイナー名を騙って自分デザインとは、
ジェネリック家具で氾濫を始めています。
そこに、TPPでの著作権問題を米国主導にするとは、
多くの官僚と議員たちの権力志向の能無しレベルを加速しています。
やがて、私、没後には
私のオリジナル=問題解決=デザインは消滅するのでしょう。
せめても生きているときには、恩師の作品やオリジナル性には
脳外喧嘩師でありたいと決心しています。
ともかく、官僚と議員からデザインの離脱を宣言しておきます。
つまり、オリンピック・パラリンピックを支えるべきデザインが
根本で間違ったがゆえに、夢は消えたのです。


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『東京老化と地方消滅にデザイン戦略を』


   


     7月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

ふるさと福井は人口がとうとう78.5万人という弱小地方になりました。
比して、隣の石川県金沢市は北陸新幹線によって、
観光都市は京都の公家文化と対抗して武家文化の街になっています。
地方が消滅し、東京は老化するとかいう本を読んで、
私はこのような議論で如何にも地方創生とか、
地方復活とか言われると、正直、まず東京での議論そのものが変です。
18歳から都会生活に入り、30から46までを福井で暮らしました。
福井では伝統工芸や地場産業にデザイン導入を様々にトライし、
デザイン効果も上げましたが、この地方産業はやがて駄目になる。
東京の大企業も、ベンチャー企業も必ず駄目になる、
この想像は正直すべて当たってきました。
しかし、私が関与してきた企業や産地は決してデザイン効果をあげる!
これは全て成功してきたと自負しています。
大阪を生活の軸にして、京都・福井・東京が副軸的な活動範囲です。
最近、京都の四条大通りが車線幅改正の工事が開始されていますが、
電動車いすで、この舗装は一時的であってほしいと思いますが、
最も安価なアスファルト舗装では醜さは格別なほど醜態です。
所詮、行政の工事ですからほとんど期待ができません。
私の住居のある谷町4丁目の地下鉄駅のエレベーター駅工事は、
毎月毎月工期完成が延びにのびています。
これが企業活動であるなら許せない事だと思います。
せめて、京都の主要大通りの歩道拡張工事です。
せめて、都市計画に
もっとデザイン戦略が入ってほしいものだと私は願ってしまいます。


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『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』


   


     7月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

「伝統って何ですか?」とこれまで何度も聞かれてきました。
私が伝統工芸にデザイン導入をして、
ふるさと福井では特に「タケフナイフビレッジ」を創ってきたからです。
伝統=トラッドは、世界的に一つの意味に集約されています。
「統」という漢字には明確にその意味がありました。
それは糸口となることを単に伝えていく伝承とは、
全く意味が違っていて、「裏切る」という意味があります。
端的には、父親の仕事を裏切って=破壊して、
新たな技法を発明して繋いでいくことを伝統というわけです。
ところが、最近の焼き物や日本的な文様を見ていて、
とても気になるのは、日本に限らず欧州の伝統工芸と思える意匠に、
デッサン間違いを多く発見します。
特に、意匠とすべき写生体験の欠落です。
鳥の嘴や足の形、魚の口、植物に葉脈、花弁などはデッサンが狂い、
それをあたかもディフォルメされたかのような意匠にしていること。
こうしたお店で、私は」ついつい大声でワイフに言います。
「コレ、またデッサン間違っているぞ〜」と、
ワイフはそんなに大声で言わないことと窘められます。
が、時には、お店のご主人が出て見えて、
「そうなんです、間違っていますが、日本画の大家の先生なので・・・」。
そんなとき、私のような者でも発見していたと伝えて下さいと。
美大生時代はスケッチの基礎である写生で植物や鳥などを随分描きました。
元来、美大ではすでに高校時代に絵が上手かった級友だらけでしたから、
彼らについていくには、私自身、相当に写生で静物画が描き、
特に、葉脈や花弁、嘴、魚などを描きましたから、
デッサン無しの伝承的なまやかしディフォルメは認めることが出来ません。


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『狛犬をまた金沢から連れ帰る』


   


     6月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

わが自宅の玄関には九谷焼の狛犬がいます。
したがって、狛犬をもう一組連れて帰ったら喧嘩になるやも知れません。
4年ぶりに金沢で
恩師「柳宗理生誕100年記念」講演をやることを先輩同輩の命でやりました。
帰阪するにあたって、いつもの九谷焼Shopに立ち寄ったら、
顔なじみの方がいらして、しかもこの狛犬が私を見つめていました。
(問題あるな〜)とか考えながらも、
そうだ!あの狛犬は、格を上げて、守備範囲を変えることを決めて、
この二匹を連れ帰りました。
今、
玄関を新たなデジタルサイネージ=自分のデザインで変えています。
それに見合ったペルシア絨毯も手に入れてありました。
ところで、ペルシア絨毯までが
跡継ぎがいない伝統工芸になっているとのことです。
確かに、絨毯というのはとても根気のいる手仕事であり、
この存続がやはり地元では大問題になっているとのことです。
21世紀に入って地球規模での大変化が起こってきているようです。
簡単にイノベーションをという安易は許されなくなってきています。
それこそ、オリンピックに向かって、国立競技場の設計に関しても、
安易な批判をする人がいますが、
確実は批判論理があったとしても、すでに決定されたことに対して、
逃げ出してしまっている肝要な人物非難はあってしかるべきです。
しかし、今、連日、あの建築に向かっているプロ、専門家を
安易に批判することは許しがたい!
政界、スポーツ界は外野であり、
準備つまり資金を準備するのが役割である。
けれども、
非難されていること以上に重大なことは東京オリンピックの実現であり、
そのことに懸命になっているプロ達は
同業のプロとして護り抜きたいと思っています。
プロ中のプロに向かって、
素人的な発言には私が狛犬のごとく守護するつもりでいます。
まして、レベルも無いところからの批判は非難にすぎず、
その批判をした人格が明前です。
明前であるなら、私は狛犬のごとく守護します。
私は九谷焼は、
実際にこうした人形系を専門としている窯元も知っているだけに、
再度、
日本に出現した狛犬のコンテクストを再学習してほしいと思っています。
これから私には二組の狛犬が私の守護をしてくれるものと思っています。
狛犬がなぜ、ペアであるかは知り置くべきことだと私は思っています。

「三匹の狛犬は活断層から護ってくれるはず・・・」


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『書かれた柳宗理デザイン=現在出版の書籍で継承可能か』


   


     4月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

柳宗理先生の生誕100年記念は、アジア主国で展示会が開催。
そして、柳先生が高齢になられてから、
現代デザインの批判とデザイン理念の基本論として出版されました。
どの書籍を読んでも、一致していることは、
これは先生の生涯を通しての「商業主義批判」と、
「デザインは生まれてくること」と「ゴミになるデザイン批判」です。
生涯貫徹されてきた「手の思想」が書かれています。
実際に、大学4年間、更に社会人新人時代、金沢美大に戻ってからと
私はちょうど3期間に、それぞれの思い出があります。
大学時代も新人時代ともにまずは反発反抗していた気がします。
金沢美大で非常勤にもどったときには、車イスの私が、
ふるさとの伝統工芸、その産地で、特にゲマインシャフト性を
もう一度教わりなおしていました。
また、車イスの身体になったことでは心配をかけました。
先生の作品群については、
いづれ金沢美大に収蔵されると思っていましたが、その後、
様々な経緯を平野元学長や同窓会のメインの先輩、中でも同級生M氏は
「柳宗理記念館」設立にまでと苦労を重ねていたことでした。
私はその傍観者でしかなかったとを正直に告白しておきます。
そしてデザイナーの仕事はまさにアノニマスであるからなのでしょうか、
芸術作品的な扱いにはなりませんから、
デザイン記念館設立ができるのは金沢の伝統性に他なりません。
私はむしろ、ロラン・バルトの「モードの体系」そっくりな事象が
こうした先生評論の書籍には強く顕在化していると思っています。
そして、何よりも大事なことは、アート作品同等以上に、
生活を真に取り巻いていたモノと人間の歴史は強く社会が
護り抜くべき義務だと位置づけていますから、
最も、柳宗理の全作品とその資料は、金沢美術工芸大学が、
なんといっても一番に語り継いでいくべきであると考えます。
しかし、現在の大学は組織としての脆弱性を露わにしていることを
私は書き残さなければなりません。胆識的美学性の欠如があります。
したがって、これからのデザインを私は教え子代表として、
柳先生からの理念系譜でこそ語り継ぎたいと思っている次第です。
「モードの体系」にしても、書かれただけのデザインの貧弱性を
なんとしても抹消しなければなりません。
抹消させる最大の武器は未来創出のまさにデザインに他なりません。

柳宗理生誕100年記念講演


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『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


   


     4月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

日本の建築で最も造形力を技術と技能で最高のモノは、
わが故郷にあります。そして知られていないことこそ素晴らしい。
正直、私が故郷に帰ってから、確かに越前和紙産地に通っていた頃、
この神社が凄いとは感じていなかったことも告白しておきます。
少なからず私は美大出のデザイナーです。
さらに祖父は最後の宮大工の大棟梁でしたから、残された巻物から
多少残されていた図面を教わるべきであり、
蔵の中の物品も私は幼い頃には、
ほとんどいたずらで壊してばかりいたようです。
また、越前和紙は日本に紙技の開祖の里ですが、ユネスコ認定も
受けていないのです。文科省の役所仕事の美的歴史性をもう一度、
私は喧嘩を売っておきます。
伝統工芸の産地の残し方は根本的に間違っています。
私は自分の知識学識経験とその論理で改革を望みます。
地方の時代というなら、その地方の伝統と革新こそ、
行政が最も的確にねらうべきことであり、それは美学的胆識です。
話がはずれましたが、大瀧神社と岡太神社は日本建築ではこれ以上の
木造建築は無く、何層にも重なる屋根には苔で覆われています。
この建築は、永平寺の勅使門も手掛けた大久保勘左衛門であり、
彼のことも徹底的に私は調べ上げて、今後、福井の建築は、
絶対にこれを超えるべきだと主張もしています。
結局私はこの建築に対抗するモノは自分が建てようと考えています。
後世に「生きた証」というのは、作品です。
そうなればデザイナーとして、当然それは義務だと考えています。
この神社がある地は観光地にはなっていません。それが大切です。
私の持論は「観光産業は乞食(こつじき)産業であり、
真のサービス、つまりリゾート産業とは異なると主張しています。
なぜなら、リゾート産業とは、
「何度も通える保養地」産業でなければならないのです。
そういう意味では、紙漉きの源流のこの神社造形と自然にこそ、
リゾート性が美学的に整っています。


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『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


   


     10月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

私がふるさとで越前打刃物に関わり再びデザイナーに戻れました。
オーディオに関わり、刃物で復活できた私には、
アナログ・デジタルという技術と伝統工芸が私を鍛えたと思います。
その最大の核心は、ダンディズムを鍛え上げ、
どこまで、一心不乱に修練と精進を身体化させる全うさを学習。
すでに歩けなくなった体であっても生と美を真っ直ぐに見抜ける、
美でもって判断と評価できる力が備わってきた感覚があります。
その実例に、「日本刀」というモノのシンボル性を上げます。
世界中、どの民族も歴史を鍛える武器を持っていたことは事実です。
その武器の中で、なぜ「日本刀」が最高の技能表現であり、
わが日本では三種の神器でもあり、武器を超えて象徴、すなわち、
思想の頂点であり、なおかつ生と死を繋いでいるモノです。
それは一方で、偽物をいやというほど氾濫させてもいます。
特に、武田信玄は文字に最大に拘っただけに、彼の書状ほど、
偽物は多く、彼の刀も武者人形では鮮やかさで語られています。
武者人形は私は外孫一番だったこともあり祖父が買ってくれました。
しかも、当時の武者人形の刀は本物でした。
つまり模造品では無くその刀を引く抜くことが恐かった思い出です。
私は、日本刀は平安末期から鎌倉時代は実用品、武器そのモノであり
江戸時代には文化的な刀装が美しさを創りあげますが、
その模造品であったとしても、根幹の偽物やコピーは禁止でした。
つまりもはや作者不明であっても倫理性あって美学を語ったのです。
昨今では、作者が逝けば、モノ真似、コピー、いや盗作をして
平然としている者を見かけます。まず、倫理観を喪失しているのに、
あたかも自分の創作とは、大嘘つきです。
あたかも、武田信玄刀と言って武者人形飾りと同レベルですが、
時代は真の歴史性を無視する傾向が風潮化されていることを憂います。
結局、本物への真贋洞察には多大な知性を基盤にした感性が必需です。
これは創作者や表現者だけでなく経営者にも取り憑いています。
それが、現代の日本を台無しにしている元凶だと断定します。

「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」
「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


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『手づくり=手造り・手作り・手創りの大誤解』


   


     6月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

今なお、 (さらに…)


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