8月 6th, 2014 Posted 12:00 AM
8月に入って、私はデザインの語彙論・根本論に取り組みました。
それは、先般、森政弘先生の東大先端研での限定講義で、
私はまたあらためて自分の能力を洗い出しされました。
華厳経を学び直すこともままならなず、
先生からのメールでは260冊の仏教論解説書の紹介を受けました。
これからこれらを全てを読破する勇気に正直、躊躇していますが、
前回は「臨済録」からの重要な一節を先生自らが読まれました。
「仏に逢えば仏を殺し、
祖師に逢えば祖師を殺し、
羅漢に逢ったら羅漢を殺し、
父母に逢ったら父母を殺し、
親類に逢ったら親類を殺し、・・・・」、
この示衆の説に書き残された一節に囚われたままです。
先生からは、すでにメールでまた新たな教えをいただきながら、
返信に迷い迷ったままですが、
この「臨済録」で述べられている衣と袱紗について、
身震いするほどの衝撃を受けています。
おそらくこの章のこの一節を自分のデザインに持ち込めるでしょう。
如何に、仏教論がデザインの語彙論や解釈論から離脱出来るかが
今、私が認識し直すべきことのように気づいて感じとっています。
私は「かたち」を持って自分の職能・デザイン表現にしてきましたが
これは日本人として離脱出来るかが問われていると思っています。
解釈の解釈、論理の論理、すべからくを投げ捨てること、
ここ、デザインの語源論という解釈だけでは
自分の表現を自分の生涯に配置は不可能でしょう。
だから、敢えて、自分をそこまで追い込んでみる覚悟でいます。
Tags: デザインの語源論, 仏に逢えば仏を殺し, 仏教論解説書, 根本論, 森政弘先生, 生涯に配置, 臨済録, 語彙論, 離脱
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7月 27th, 2014 Posted 12:17 AM
森先生自作の講義演出用の回路模型は二つあり、
その一つは、シャープペンシルの芯に電流が流れて煌めきました。
聴衆からは会場が光輝きを見て、全ての人たちは感動しました。
とても繊細なワーキングモデルだけに、
先生が怪我をされないようにとみんなが思っていた雰囲気でした。
そして、私にとっても強烈な「臨済録」の一節が提示されました。
・・・仏に逢えば仏を殺し
・・・父母に逢えば父母を殺し
・・・祖師に逢えば祖師を殺し
この講義で私はこれまでの大疑問が理会に達するのでは・・・
そのシャープペンシルの芯が光輝くのを見て、
先生に質問をしました。
その芯が燃えて光輝く一瞬が「生きていることですか?」と。
先生は、そのシャープペンシルが燃え尽きて、芯がより細くなり、
そして折れる実物を私に見せていただき、
「違うよ、光輝いて燃え尽いているここも人生なんだよ」。
私は、3度も冥府への道に行ったことを話しました。
最初は、交通被災で、もし放置しておいても体力があれば、
手術をということで、真っ暗闇の道に佇んだことがあります。
2度目は、草月会館で講演をして会場が真っ暗になり、
講演終了ですぐに羽田から小松空港、そしてそのまま入院、
やはり冥府らしき真っ暗闇にいました。
3度目は、「重篤ゆえ」という敗血症・多臓器不全死直前でした。
祖父が私の作品集を持って、「もう来てもいいだろう」、
「まだですよ」と母の声を聞いて現世に戻る苦しみを受けました。
だから、無神論を最近は確信していたのですが、
もし、仏に逢えば仏を殺し・・とは妄想と対峙することでした。
そんな話を先生に質問に交えて先生の講義を聴きました。
二元性一原論が語られて、先生は言われました。
「最近のモノは全く壊れないモノばかりになり、
壊れるモノを技術者はつくってならない風潮です。
モノは頑丈で壊れないから、今度は、
人間が壊れる存在になってしまいましたね」。
この講義の核心が今も鋭く私に突き刺さったままです。
Tags: 「臨済録」, シャープペンシルの芯, ロボット学者第一人者, ワーキングモデル, 二元性一原論, 人生, 人間が壊れる, 仏に逢えば仏を殺し, 光輝く, 冥府, 回路模型, 壊れないモノ, 妄想, 敗血症・多臓器不全死, 森先生自作, 森政弘先生, 無神論, 理会, 真っ暗闇, 講義の核心, 重篤
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