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Posts Tagged ‘人間国宝’


『享保の手帖から私が学び直したこと』


   


     11月 3rd, 2014  Posted 12:20 AM

母方の血筋は宮大工です。祖父は最後の宮大工でした。
伯父から残っている宮大工関連の図面や代々語り継がれた家訓と
現代でのメモ、手帖を譲りもらいました。
写真の手帖は達筆とはいえない仕事関係の命令書的な記載があり、
それは享保19年ですから1734年の記述です。
図面は、発想が広がれば用紙は付け足され、正面図が描かれると、
その用紙の裏面には背面図がそのまま描かれているのです。
私は数十枚の図面を徳川美術館で修復をしてもらいましたが、
最も私が気を引かれたのが、和紙でも泥漉きの紙でした。
私が越前和紙の産地に、最初訪れたとき、いきなり言われたのは、
私がデザイナーだと言った瞬間「帰ってほしい!」と言われました。
それはどれほどデザイナーというのが産地を壊していたことです。
だから、何度か訪れて心を開いてもらった方はもう逝かれましたが、
世界各地で手漉き和紙の実演をされていたのです。
彼の跡継ぎ連中と私は「オータキペーパーランド」を創りました。
今では、その連中の子ども達はFBしてくるまでに成長しました。
彼は、「父親を人間国宝にしたい師匠」だと言ってきます。
だから、今、デザイン活動をまとめてしていませんが、
私は自分用の和紙を発注することができます。それは絶対に、
街中にある和紙の専門店=ほとんどが和風紙=半草紙です。
私は半草紙が駄目だと言っているのではありません。
なぜなら、本物の楮紙や雁皮紙などはとても高額です。
そのようなモノは絶対に今の市場では「商品価格」がつけられません。
余程、工芸紙であるという納得がいるわけです。
いかにも1300年の歴史でユネスコ認定という前に、
1500年の越前和紙産地が選外になることは三つのことを示しています。
まず、「和紙」でなぜ登録しなかったのだろうか?
全国各地の和紙産地を区別して、伝承性の保護など無意味です。
ユネスコ認定で毎年どれほど行政は支払うのでしょうか?
無償だとするなら、和紙業界に大きな差別格差をつけたことです。
なんとも納得できません。
そして、低レベルなデザイナーがハエのように出てくるでしょう。


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「貿易立国最初の輸出品・九谷焼き」


   


     3月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

明治維新後、日本のアイデンティティ明示は、
岡倉天心の国家プロジェクトで、狩野芳崖の「悲母観音像」でした。
西欧諸国が驚愕したこの絵画一点を証明したのは、
1873年ウィーン万国博での「九谷焼き」商品でした。
日本が貿易立国となっていく最初の商品が九谷焼きになりました。
私はこの最初の貿易品が九谷焼きだったのなら、
長い間どのような陶磁器であったのかと思い続けてきました。
改めて逆輸入された当時の輸出品そのものを九谷産地で見つけ出しました。
今では私の大切なコレクションになっています。
これは現在の九谷焼きをはるかにしのいでいるとともに、
日本の現代の陶磁器技術を超えていると評価できます。
まず陶磁器とは思えない、
まるで「ガラスのようなセラミックス」であり軽いことは究極です。
さらに、装飾=これをデザインとは私は呼びませんが、
デコレーション=装飾・加飾技法もずばぬけています。
だから、加賀の伝統は今も健在だとは言い切れないと思っています。
最近、全国の陶磁器から漆器に至るまで、
デコレーション=加飾の描写技法デッサン能力の低下を私は憂いています。
ずばり、
伝統工芸産地での自然写生デッサン力は下手くそになり果てています。
そのようなデッサン力で「人間国宝」の作家が数多くいます。
これは日本だけでなく海外の有名ブランドでも起こっている傾向です。
それこそ、何の花か、鳥らしいが何の鳥、葉っぱなどの描き分けは
完全に間違っているモノが多いのです。
自然観察力とデッサン能力は世界的にも力量低下しています。
世界の自然景観で失っている動植物が多いのかもしれません。
私は、最近は陶磁器を徹底的に収集をしています。
デザイン資料は「使わないと」本当の機能・性能が不明ですから、
いざ購入ともなれば、
自分がコレクションするのだから吟味に吟味します。
陶磁器はCHAINAと呼ばれてきましたが、
漆製品=JAPANでは無くて現在はLUCQER WAREと呼ばれます。
したがって、陶磁器産業はセラミックス産業として、
まず、陶石や陶土を伝統工芸陶磁器現地産から解放されるべきです。
さらに、写実的なデコレーション、
これを私は絶対にデザインとは呼びませんが、
デッサン描写力を強化すべきです。
となれば製陶技術を
さらに高度な技術開発をベースにしたデザイン導入が必要です。
結局、陶磁器はあまりにも伝統工芸への大きな誤解、
産地存続の継承にだけ踏みとどまり、
全く「革新」をしてこなかったと判断しています。
なぜ、明治維新後、日本の国際化・貿易立国としての輸出品が
九谷のセラミックスだったのかその詳細を見直せば一目瞭然です。
この技術はもはや九谷に残ってはいないのではないでしょうか。

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「日本陶磁器の伝統革新」


   


     11月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

六古窯というのがあります。ご存知でしょうか?
日本で陶磁器が始まった六つの産地です。
しかし、この六つの産地で生き延びたのは、
すべからく茶道と結びついた所だけです。
したがって日本各地には陶磁器の産地が散在しています。
というより、陶磁器は陶芸の作家が居ればそれなりの産地になっています。
伝統工芸をデザイン対象にしたのは私自身が故郷にUターンしてからです。
陶磁器のデザインもやりたかったのですが、
なかなか産地に巡り会いませんでした。
福井の産地では私の論理が猛攻撃されました。
陶磁器は子供の頃に九谷焼に取り囲まれていましたからとても好きです。
しかし、より詳しくなったのは西洋や中国の青磁白磁を知ってからです。
とりわけティーカップやコーヒーカップには寸法決定の法則があります。
少なからず美大時代には陶芸を傍観していました。
そして後に知ったのは、岐阜県の美濃焼産地です。
ここには鼠美濃などを復元するまでの
日本全国の焼き物データが集積している製陶学の中心地だと思っています。
それでも、ティーカップやコーヒーカップの
伝統的かつ正確なモジュールは日本ではほとんど遵守されていません。
さらに釉薬や焼成方法などは
ほとんど進歩していないと私は断言しておきます。
有田焼は元来、九谷焼の母産地です。古九谷というのは有田焼風です。
しかし、ARITAという名称は中国に世界的に商標登録までされています。
そこでこの有田産地へのデザイン導入の最初は
ステッキの華飾として商品化しました。
当然、現在のステッキはリハビリ用品から抜け出ていません。
人間工学的な設計も十分にしてあります。
これはいづれ詳細を報告したいと思っています。
そして現在、コーヒーカップ、ティーカップの
デザイン設計、特に、新たな釉薬、絵付けの革新を狙っています。
理由は簡単です。景徳鎮で始まったchinaは、
まったく進化していないというのが私の結論です。
そして、
日本の陶磁器も伝統から抜けだそうとしていないことです。
いわば、伝統にだけ寄りかかってきただけだと判断します。
ふるさと福井は六古窯のひとつですが、
確かに作家モノはありますが、評価出来がたく、
かって福井に居たとき、若さもあって総批判した結果、
産地はもう私を絶対に呼ばないとまで言われました。
若い作家、人間国宝、文化勲章受章者も、
陶芸の世界には華々しさがありますが、
正直、私にはたとえ文化勲章受章者の作品であっても、
全く評価出来ないモノがあります。
それは、陶磁器という伝統と革新を美学として、
私が見つめる価値観が下敷きにあるからです。
だから、私は私が陶磁器をデザインするなら、
自分の美学を明確にすることだけは護ろうと言い聞かせています。

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