4月 20th, 2019 Posted 12:00 AM
ブランドとデザインについては、その起源は「牛のタグ=耳標」ですが、
一斉にブームになってきたのは、「ゆるキャラ」だったと思います。
幸い、東芝では企業留学で「C,I.」=Corporate Identityの理論や戦術を
身につけデザイン部内で共有され、独自性をもって練り上げられました。
私は、AurexのHi?Fiブランドでのブランド戦略よりも、
Identityの概念をE.H.エリクソンの8段階説から賢明に学びとり、
C.I.戦略によって、フリーランスから学者として歩いてきました。
だから、相当数のクライアント企業の戦略に携わってきました。
私はブランド戦略とC.I.戦略をしっかりと分けて組み立てています。
今もある企業の沿革とその精神を表すC.I.戦略をやっています。
これは新作を発表する時に全てを見せる予定です。
おそらく、新作も新たな素材を2種使います。
日本でのブームとなってしまったブランド戦略は、
勝手な政策をも産み出し、随分と蔓延しています。
私は「デザインあるいはデザイナー」の役割として
不易流行に取り組んでいます。
その効果がAurexのHi-Fiブランドとして、
連鎖して、今も残っているのかも知れません。
*「牛」のブランド化
*E.H.エリクソンの8段階説
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Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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2月 26th, 2011 Posted 12:00 AM
ブランド化が創出する価値性
なぜブランドブームなのでしょうか。
理由は前述していますが、
私はブランド=焼き印的な目印では決して語れない、
さらに伝えきれないことがあることを指摘しておくことが大切だと考えています。
企業・商品という経営資源から富を獲得して、
その企業体の帰属者から、企業が存在している社会に、
何をもたらすのかということが全く不明になってきているから、
ブランド戦略なるものが横行しているにすぎません。
すぎないどころから、こうしたブームで抹消されていく事、
そのことを見極めることの重大さがあるということです。
このブームは、いわゆるファッション系の歴史ある欧州ブランドの真似事が源です。
欧州ブランドの商品価値感、これを付加価値と呼ぶ錯覚があります。
そして、デザインをも付加価値の創出職能だという、
私に言わせれば、大誤解が蔓延していることにつながっていることです。
デザインは、「全体価値」だということです。
ブランド化という「全体価値」
ブランドがもてはやされているのは、いわゆる欧州系のファッションブランドです。
しかし、こうしたブランドはある種の「カルテル」的に統制された老舗表示です。
その老舗ゆえに、歴史的に蓄積されてきた全体価値があることを見習うべきでしょう。
こうしたブランドの基盤が、アイデンティフィケーションにあることを確認するべきです。
当然、企業体として経営商材である「商品性」と「サービス性」を確認する必要があります。
そして、企業創立以来、時代とともにその時流との応答には、
必ず、時代認識での問題解決が、商材から企業存在性を常に確認してきたことがあります。
つまり、商材に向けて培ってきたことがブランドとして認知され、
今度はブランドになっているがゆえの新たな価値感の創出、
それは全体価値になっているというサイクルで語りきろうとしていることが重大だと思っています。
Tags: アイデンティフィケーション, カルテル, サービス性, ブームで抹消, ブランド=焼き印的な目印, ブランドブーム, ブランド戦略, 付加価値の創出職能, 全体価値, 商品性, 問題解決, 富を獲得, 時代認識, 歴史ある欧州ブランド, 経営商材, 経営資源
Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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2月 25th, 2011 Posted 12:00 AM
ブランド化は「自己表現障害」の起因
ブランド戦略に私は信頼感を持っていません。
それは、企業の「同一性」構築から離脱する軽薄さがあるからです。
確かに、私はデザイナーとして企業デザインには、
企業デザイン戦略の骨子の重要課題にブランド戦略も製品デザインとともに提案してきました。
デザインという手法は、「ブランド」を構築する大きな手法であることは否めません。
しかし、私はむしろ企業C.I.によって、そこからブランド戦略デザインを追い求めてきました。
ここで記していることは、デザイン手法の論理よりも私の経験値です。
そしてこの経験値の背景には、E.H.エリクソンの「自我同一性」を参照しています。
なぜなら、エリクソンの「自我の形成論・8段階」には、
見事に、人間が生まれて死を迎えるまで、
人格=自我形成、すなわち人格=品性のあり方を正確に解釈していると思います。
よって、企業の自己性と自我性、それぞれその同一性が企業戦略の核心だと考えています。
企業存在が社会環境のなかでどのように進歩していく「べき」なのかを、
企業戦略プラン=企業戦略デザインにすることが最も重大でその可能性の設計がデザインです。
私の経験値では、企業自身の同一性とその表現には、
なんといってもまず、「自己表現障害」を回避させることです。
企業の「自己表現障害」とは、「美しさを失っている企業の全体性と同一性」です。
ところが、ブーム化している「企業ブランド戦略」は表現障害を来している企業を増加しています。
このブランド化が必要と思っていること、それは実は表現障害は、同一性どころか、
特に、商品「差別化」の焼き印=ブランド化に陥っています。
私はあらためてエリクソンの8段階説に照合して、
企業ブランド戦略の誤りを是正すべきだと考えます。
日本株式会社自体、日本ブランドの表現障害に落ち込んでしまっているようです。
私は「同一性」の確認とデザイン戦略を企業品格にまで求めることを目的と目標にしてきました。
Tags: 「同一性」構築, 「差別化」の焼き印=ブランド化, E.H.エリクソン, ブランド戦略, 人格=品性のあり方, 企業C.I., 企業品格, 企業戦略デザイン, 企業戦略プラン, 美しさを失っている企業の全体性と同一性, 自己性, 自己表現障害, 自我の形成論・8段階, 自我同一性, 自我性
Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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2月 19th, 2011 Posted 12:00 AM
ブランド戦略は同一性を創らず
まず、ブランド戦略が企業戦略第一義は不正解です。
ブランド戦略に翻弄され始めた企業戦略は、
根本的に間違っている、ということを指摘します。
理由は、簡単明瞭です。
企業は、「社会的な存在性」・「国際的な存在性」を明確に支援される必要があります。
その社会・国家・国際環境が激変すれば同一性判断を見誤ることになるわけです。
「社会的な存在性」というのは、まさに同一性が確認されていなければなりません。
それは、企業C.I.の見直しでもなくブランドという区別明示の目印作業ではないということです。
よく、ブランド戦略が企業C.I.につながっていくとか、
企業C.I.とブランド戦略がつながっているという言説、これが基本的に間違っているのです。
ブランド=焼き印という区別銘柄づけが同一性を社会に訴求していくという考え方、
この思考そのものを廃棄する必要があると私は思っています。
つまり、企業が存在する「社会観」・「世界観」が変貌し変質し変化していることの認識が
当然に十分でなければならないのです。
少なからず、政治性・企業性・国際性・投資効果性・イメージ性など、
すべての構造変革が毎日日常的に変化していることを直視する必要があるということです。
再構築という新創造
このブログも4年目に入りました。
ずばり、「資本主義」を廃棄する時代・社会の中で、
実際的な企業という構造・形式・内容・イメージすべての連関性と連鎖性を終焉させることです。
新たな「同一性」創出に向かわせる時期に入ってきたと確信をしています。
特に、日本株式会社のブランド戦略は、日本のアイデンティフィケーション=同一性を、
維新ではなくて革新する時代だと認識するべきなのでしょう。
したがって、新・日本株式会社のブランド戦略などはありえません。
まずは、日本の同一性の再確認から何を焼き印=ブランド化できるかを考え直したいと思います。
この考え方を分化すれば、日本のすべての企業に当てはまることになるでしょう。
Tags: ブランドという区別明示, ブランド戦略, 世界観, 企業C.I.とブランド戦略, 同一性判断, 国際的な存在性, 政治性・企業性・国際性・投資効果性・イメージ性, 業戦略第一義は不正解, 構造・形式・内容・イメージ, 目印作業, 社会的な存在性, 社会観, 維新ではなくて革新, 連鎖性, 連関性
Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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2月 18th, 2011 Posted 1:37 AM
日本株式会社のリストラ
企業C.I.より、現代はブランド戦略です。
私はこの現象に日本企業の混乱をみます。
それは、日本企業の国際的立場が揺らいでいることです。
しかし、これには二つの理由があると私は考えています。
■ 日本企業はそのまま日本の政治程度を体現しています。
つまり、日本の政治力が不安定になっていることに起因していることは間違いないでしょう。
無論、それは日本人すべてがその選択をした責任を自覚しておく必要があります。
さらに今や「政治」あるいは「政治家」という職能そのものが崩壊していることです。
三島事件の予知は当たっていたと私は思っています。
日本が敗戦で背負いこんできたトラウマや、敗戦での成功体験に囚われすぎて、
そこから解放されてはいないことをもっと自覚すべきだったのでしょう。
■ 日本の資本主義が、再検証を受けているということです。
これまでの日本独自の資本主義だけではなくて、
特に、先進国家すべての資本主義に終焉期が来ているともいえます。
これらも国際政治基盤の「富の分配」その再考に先進国家すべてが怠惰だったのです。
揺らいでいる世界観といってもいいでしょう。
結局、この二つの理由がウロボロス状態となっていること、
これがデザイナーとしての観察結論であり、職能的見解です。
日本が背負い込んできたトラウマから解放される
このままでは新たな企業理念は創作されないと断言をしておきます。
あらためて、日本企業の国際化や文化再構築を企業理念化すべきといっているのではありません。
もっと、事態は深刻です。もっと、大きな問題解決前に佇まされているわけです。
この状況を、日本株式会社、
その資本主義から解放させるべきだと問題提起にしておきます。
「企業」そして「企業理念」を書き直す時代だと自身を問い詰めることだと考えます。
Tags: 「政治家」という職能が崩壊, ウロボロス, トラウマ, ブランド戦略, 三島事件の予知, 企業C.I., 富の分配, 政治程度を体現, 敗戦での成功体験, 敗戦で背負いこんできたトラウマ, 日本の資本主義
Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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