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Posts Tagged ‘ファッション系’


『NewYork5番街の秘密ゆえに「デザイン」なのですが』


   


     2月 12th, 2019  Posted 12:00 AM

ハイエンドブランドは、ディレクターの起用により
ブランド価値に影響します。
先般、ブランド、アート、ファッション関連の映画を何本か観ました。
といっても、「ながら見」です。
以前は得意技だった「ながら見」も、
論文書きでも相乗効果を出すことができない年齢となっています。
さて、その筆頭には、「ティファニーでの朝食を」が、
繰り返し使われていました。
ティファニーのブランドストーリーの映画で、
「デザイン」が常に使われていました。
これが明らかに「デザイン」の意味合いをファッション系で語られ、
それは、日本の戦後に
「デザインがファッションと同時に入ってきたこと」、
このことに、大きな影響があるのでは、という私の推測にあたります。
ティファニーブルー(PANTONE・1837)のボックスが、
特別の日の演出を手掛け、そのカラー戦略と根付いた文脈があります。
ブルーボックスに入ったティファニーのテーブルマナー本や、
永遠の愛を誓う美しいカッティングのリングや、
栄誉や名声を手にするトロフィーまでもが手掛けられています。
ティファニーのブランド アイコン、
ミューズとしてのオードリー・ヘップバーン、
「ティファニーでの朝食を」は、欧州でのシンデレラ物語に等しいのです。
なぜデザインというその原論を考えているのかというと、
「デコレーションとデザイン(仮称)」の著作を進めているからです。
最も、私にはティファニーボックスには縁がありませんでした。


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『雑誌付録の誤った感覚が拡大しているのだろう』


   


     2月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

今や出版業界はその経済的状況は相当に悪化しています。
大好きないわゆる雑誌が廃刊に追い込まれています。
大きくは電子出版にてPadで持ち歩けることもあります。
デジタル化で文章や写真などを
本当に手軽に「見る」ことができる時代になりました。
街から「本屋」さんが消えていっています。
それでも印刷された書籍の魅力は
まだ私にはとても捨てられるものではありません。
しかし、私にとってもいつでも手軽さから、
iPadには300冊ほど持ち歩いています。
子どもの頃、雑誌の付録がとても楽しみでした。
最近では女性向けのファッション系雑誌には付録がついています。
しかし、このファッション系雑誌では男女問わずに、
バックやサイフまでの現物がそれなりの完成度で付録になっています。
時に本屋さんで、「今度の付録、かわいい」とかの声を聞くと、
その程度のバックやサイフに何を驚喜=狂気しているのだろうと思います。
よくよく見詰めてみると、確かに商品ぽい、仕上がりになっていますが、
この程度のモノでの評価を私はこのように見てしまうのです。
「本物を知らない」から「かわいい」とかの評価に紛れさせる付録付きという、
この程度の雑誌づくりなのかと思ってしまいます。
もちろん、私は高級ブランドと言われているファッション系のバックについても
「どこで、その皮革が採れ、染色は日本でなければ」とかで、
その高級店舗の店員さんを問い詰めてしまうことがあります。
つまり、こうした特にファッション系雑誌での付録が、
とても中途半端なモノづくりだと判定しているのです。
そういう意味では決してワイフには、こうした付録付きのファッション雑誌、
こうした雑誌購入購買は猛反対します。
それこそ海外の高級ブランドの製品であっても、
プロとして「これは認めることが絶対に出来ない」と購入反対をします。
結局こうした雑誌付録のモノ自体がモノ選択のセンスを壊したのです。
それは「かわいい」とかいう言葉に押し込んだ
低レベルな感覚を押しつけたのだと思っています。

* 『広報誌がまだジャーナリズムである』
* 「印刷の未来はまだ来ない・・・なぜだ」
* 『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』
* 「街から消えていく店舗だろうか・古書店」
* 「『松丸本舗主義』・松岡正剛へのアフェクション」


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『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』


   


     9月 11th, 2015  Posted 12:00 AM

30~40代の頃、私は国内外の雑誌を30~40冊は読んでいました。
最近は、時折、本屋さんの店頭で立ち読みする程度で、
あとは電子ブックの雑誌やワイフの読む女性ファッション誌などです。
学生時代や社会人デザイナー成り立て当時は、オーディオや音楽雑誌で、
若いときにはデザイナーなら少なくとも購買も15冊と言っていたものです。
ところが、最近の雑誌よりも企業広報誌やカード会社の広報誌の方が
雑誌内容にはまとまりがあるようです。
いわゆるファッション系は年齢もあってか,興味があまりありません。
そして商業誌丸出しというか、時計などは流行づくりが丸見えです。
私がプロとしての眼鏡などは
知識不足どころか誤記の多さには呆れています。
オーディオ・ビジュアル、さらにPC関連雑誌などは
まったく時代遅れであり、
オーディオなどは連載をしてみてすぐにその雑誌が
商業誌ゆえの哀れさで自分から連載を辞めました。
車などは、もうほとんど興味がわきません。
今、興味は専門誌である万年筆や鉄道関連程度です。
もっとも専門であるデザイン関係誌は、
国内外が時代遅れ甚だしくて、全く読みません。
結局は、インターネットでのサイトの情報が時間対応しています。
新聞?はもう定期購読しなくなって10年にはなるでしょう。
ファッション系などでは、
やはり定番的なブランド系雑誌はグラフィックス的には優れています。
雑誌情報では何が欠落してきたかということになります。
多分、三つあるのだろうと思っています。
一つは編集人としての職人魂でこれを伝えようという程の専門性が大欠落、
一つは雑誌ジャーナリズム思想などもう喪失しています。
逆に私が凄いと思っている万年筆などはまだまだ学べる時代性があります。
一方、眼鏡など専門性の大欠落には、腹立ちを覚えます。
これはオーディオビジュアルや車などは、
ジャーナリストや評論家が居ないのでしょう。
先般、教え子で大新聞の記者に、
「ジャーナリズムって、一言で私に伝えなさい」と聞き返したところ、
半分だけ応えました。
私は、ジャーナリズムはどんなジャンルであれ、
情報の市井的な日常で、権力それは商業的な圧力を、それこそ、
「ペンは剣より強し」による情報編集力での教示性だと答ました。
すでに私はもう老年ですが、とりわけファッション性は、
「モードの体系」を超えるほどのジャーナリズムを求めています。
そして
私自身の日常の編集力を生み出すジャーナリズムは失いたくありません。


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