kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ファッションアイテム’


「資本主義からの逃走」
「デジタルファッションサイボーグ化・『夢の形見』の予知」


   


     2月 2nd, 2011  Posted 2:19 AM

ファッションアイテムのデジタル化
身につけるハードウエアの変貌。
私たちが身体化し携帯してきたモノ。
まず、腕時計があります。
さらに、メガネ、ブレスレット、指輪などです。
私はブレスレットも指輪も大好きですが、
ブレスレットも金属や貴石や新たな仕掛けがある健康バンドなどファッションアイテムは、
ある種の流行があります。
この流行感覚を観て、私は自分が取り入れることには何の抵抗もありません。
メガネは私のデザイン対象としてもう20数年以上「商品化デザイン」してきました。
さらに、iPodやiPhoneの周辺では、
ヘッドホンやイヤーホンは収集もすれば性能確認も私の趣味にもなっています。
とりわけ、ヘッドホンは東芝時代に相当の想いで製品開発や商品展開をしてきたので、
専門知識も評価判断力もあると自負しています。
ヘッドセットは、まだ日本ではビジネス現場ではファッション化していません。
おそらく私はこれから、
TVドラマで使用されてくれば流行ファッション化していくと確信しています。
ヘッドセットとブレスレットバイブレータは
これから必需品になるのではないかとさえ思っています。
ケータイはやはり着信音よりもブレスレットバイブレータがマナーになってほしいのです。
私はこの数年、メガネもどうやってレンズから解放されるべきかと
アドバンスデザインを開発してきました。
瞬きで、デジタルカメラを携帯しないで日常化させたい想いがあります。
私は、こうした身体化・携帯する・身に付ける、
そんなファッションが「デジタル化」されることをデザイナーとして望んでいます。
これは、Ambient Allianceをデザイナー意図として目論んでいることです。
倉俣史朗作品「クピド」の予知
さらにこうしたことはロボティックス・サイボーグ化していくことを
私自身もきっと望んでいるのでしょう。
倉俣史朗先生の作品に、キューピー人形「クピド」というゼンマイ仕掛けの作品、
それもレントゲン写真でも表現したモノがあります。
これは、夭逝したデザイナーの想像力が、
実は現代を予知していたアドバンスデザイン作品だったと私は考えてきました。
しかも彼のモノローグに「不発かもしれない・・・」という言葉を思い出します。
かってのデザイン評論連載は、最初がこの「クピド」評論から書き始めています。
今、明確に、倉俣先生の命日に私の評論は重なっていたことを確かめている次第です。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
   「ケータイから消滅した「かたち」への総批判」


   


     12月 1st, 2010  Posted 12:46 AM

いわば言いがかり文句
日本のガラケーがようやく進展しました。
よかった、とひとまず安心です。
しかし、iPhoneの存在にこれほど影響されていて、
私は、「創造性」・「オリジナリティ」がまったく失われていく傾向を悲しく思います。
もっとも、私自身がデザイナーであるのだから、
本来なら、「私だったらこうする」ということが提示できないのに、
批判など出来るわけがありませんし、そんなことを表明すること事態を随分悩みました。
自分にまったくデザイン経験していないデザイナーはデザイナーでなく評論家ですから、
私も今回はその一人だと思っていただいて構いません。
けれども、私の教え子たちもケータイ・デザイン担当で苦労しているのを知るたびに、
何事かをサッゼッションしなければいけない、と思うのです。
煽動的表現・ブーメラン効果
だから、とても大批判的なタイトルでアジテーションを書きとどめておきたい、と考えてきました。
「ケータイからかたちが消滅している」とまで煽動的表現として、
結局は、天につばすることは百も承知です。
自分で投げたボールは、もっと高速度と質量で大きなエネルギーとなって、
自分に大けがを負わせることも覚悟しています。これは「傷つくブーメラン効果」です。
私はデザイン界に棲息してきてそんな経験ばかりしてきたと思います。
「あの時、あんな発言」をしたばかりに、いまなお、私自身がさらに深傷を負うでしょう。
ところが、実は、その当時の大問題は、経年ですっかりと解決がついてしまうことや、
その当時の大問題そのものが忘却されることも随分と経験をしてきました。
結果、私は発言した限りはその反発は当然だと覚悟していることも事実です。
多次元アイテムのかたち
さて、話をケータイに戻しましょう。
ともかく、デザイン=かたちに集約と収束する、このことを下敷きにして述べます。
断言すれば、「Smart-Phone」という呼び方をしないモノづくり、
そのデザインをすれば、必ず「かたち」が変わるでしょう。
変異し変位し転回し、そしてまったく変貌・変身してほしいのです。
理由は簡単です。
二つの断言
人間が「身につけるモノ」として、時計・めがね・指輪とかを思いつけば、
ケータイは身につけるコンピューターであり、
メディアであり、ツールであり、アクセサリーなのです。
それも大量の性能性・機能性・効能性を、しかも「現在の情勢報告の機器・機械・通信から、
まさにお財布でありIDカード」まで、これも多次元なモノとしてのファッションアイテムなのです。
とするなら、「ケータイのかたち・対・かたちとしてのケータイ」まで、
その次元のどこにポジショニングされているかということになります。
断言は二つです。
  ●「なんとかPhone」とアイテム名称は変えます。
  ● 「ユーザーセンスを表現・使い手個性」の演出カタチ。
この断言の意味づけから「かたち」・造形デザインを第一義にすることです。


目次を見る