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Posts Tagged ‘ノーメンクレーター’


「Nomenclator・ロボット、GUIからAUIへの提示」


   


     12月 10th, 2012  Posted 1:18 AM

「ロボットデザイン基礎学」という提案をしてきました。
そこには、二つの系譜があります。
阪大に特任教授としてフロンティア研究機構では、
ロボット・原子力・人工臓器をテーマにさせてもらいました。
その頃、FOMAの企画に参画もしていましたから、
GUI(Graphic User Interface)から
AUI(Agent User Interface)を持ち込んでいました。
したがって、ロボットについては、
ヒューマノイド系とメカノイド系が共存していたので、
なんとか、この融合体、
あるいは何か別個の形態とその名辞が必要だと考えていました。
したがって、名市大と阪大で、
ともかくまずはCGでのロボットデザインを設計しました。
その時には、マービン・ミンスキー「心の社会」が一つのテキストでした。
心の中にいくつかのエージェント=自分の代理人が、
それぞれの役割を「心」という機能分担しているという話に惹かれました。
そこで、Iso-nome Pro-nome Para-nomeを
ロボットの機能・性能アイテムにできないかと想像したのです。
そして、出逢った言葉に「Nomenclator」がありました。
ヨーロッパ中世の頃に、領主の召使いを表す言葉でした。
ノーメンクレーターは、領主が散歩をしていて小作人に出逢うと、
その小作人の名前や家族構成を伝える役割をする召使いでした。
私は、まさにロボットというのは、
人間にとってこの召使いになるべきではと直感したのです。
日本的には、事代の命的な情報分担役目だと納得しました。
このところ、
ロボット学者の石黒教授のアンドロイドは
私に大きな啓示を与えてくれました。
「ロボットの創造が人間とは何かを知る」という発想には、
これからのデザイナーの役割が見えてきた気がするのです。
GUIでの単なるアイコン表現やグラフィカルな表現での手続き、
そのデザインではありえなくなってきたのです。
IntelのTV-CFを観ていても、
ウルトラブック(Ultrabook)はパソコンにもなるというのは思考不足です。
人間とロボットとの関係、
それは人間が、それを心ある存在だとするなら、
自分の代理人になる資質とか気質あるいは能力を再熟考してみるには、
まさに石黒教授が自分自身そっくりなロボットを設計実現している
あのヒューマノイドの意味と意義がはっきりと見えてきている気がします。
この二日間、石黒教授と同じ壇上でそれぞれの講演をして、
新たなステージに、
ロボットデザイン基礎学の改編が出来る気分になっています。


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「悲しき列島での悲しき連帯」


   


     4月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

原電事故は「真実を露呈」しました。
大学人として「やっぱり感」と「無念感」です。
いくつも大学機能や大学法人制度に反省と、
大学・研究機関の制度設計・実施実現の再構築、
これらが必然たる具体例と象徴が明確になりました。
比して、鉄道技術=UrEDASという危機管理技術は見事でした。
その反対に、一般の方々もロボットへの期待感がありましたが、
結果は、「使えない」、「使い物にならない」ということでした。
海外から、ロボット提供が話題になりました。
日本のロボット技術は最高のはずだったのでは、
この期待感を一瞬にして失いましたが、当然です。
海外からのロボットも、肝心なモノは届いていません。
理由は明快です。すべて軍事ロボットですから提供されません。
無論、私もロボットデザインを研究課題として、
試作モデルを二台持っています。
ロボット学界からは、「たかがデザイナーの」程度だったはずです。
しかし、私のは「ロボット」という呼称すら捨てています。
「ノーメンクレーター」という呼称にしています。
これまで講演会では紹介してきましたが、
これからこの呼称由来と、
「ロボットデザイン基礎学」展開に入っていけることができます。
幸い、デザイナーが原子力をデザイン対象としてきたことは、
出身である東芝には受け入れてもらっていましたので、
一昨日プレゼンテーションができました。
「原子力は推進ではなくて、さらに進化させます」。
強行な推進もまして反原発ヒステリー主張も讒言です。
重大なのは「進歩」と「進化」です。
原子力への人間としての義務確認です。
今、ロシア・フランス・米国、相手に原子力技術成果を披露です。
日本のモノづくりは、「人間としての心あるモノづくり」。
まず、生産のライフライン復旧と生活のライフラインは同次元。
復旧ではなくて、「再構築」あるいは「新規開発実現」です。
大学には現政権からのアイディアが求められていますが、
「世界第二位で良い」と断言した閣僚のいる政権は無能です。
そんな政権支援より民間企業での具体的成果を成し遂げます。
「官(管)」より「民」です。
「学者」ではなく「実務者の連帯」です。
私たちは現国家体制に守護されてはいません。
自分自身で自己防衛しなければならない「悲しい民族」なのです。
パラダイムの大転換は、「日本の民」が果たすことなのです。
日本はあの「悲しき熱帯」ではなく「悲しき列島連帯」なのです。

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