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Posts Tagged ‘デザイン’


11月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 12th, 2010  Posted 10:59 AM

11月12日 仏滅(丙寅)

饒舌な語り口で形態を、
あるいはデザインを著すことは、
日本では特に嫌われるものである。

それでも私は、少なからず、
膨大な語彙を発するほどの
言語性が無いかたちは、
デザインとは言えないとすら
断言し続けてきた。

なぜなら、
デザインは形態言語、
あるいは造形言語を
保持していなければならない。

『デザインは言語道断』あとがき


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11月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 11th, 2010  Posted 1:14 PM

11月11日 先負(乙丑)

私は、
デザインとは最終的には
目に見えるかたち、
あるいは
目には見えないけれども
なんらかの問題解決したことを、
かたちとして認識できるように
提示する営為だと考えている。

さらに、
常に「かたち」と「ことば」は
相対論的な関係にあると考えてきた。

『デザインは言語道断』あとがき


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『資本主義からの逃走』
   「一極集中・東京が引き込んだ失策」


   


     11月 9th, 2010  Posted 12:00 AM

地方の時代
日本、それは東京でした。
地方は消えていました。
結果、国際的なすべての情報発信も東京。
一度、ふるさとでデザインしていた私には、
東京はパスポート無しの海外都市だったのです。
「地方の時代」が叫ばれたのも80年代初期だったと記憶しています。
同時に、ローカルからグローバリゼーションが、
地方活性化策にはなったが、せいぜい、地方都市が、
姉妹都市関係を結ぶ程度でした。
国策としての地方都市からのグローバリゼーションは、
地方の青年会議所が視察しているだけと私は傍観していました。
グローバリゼーションは、あくまでも行動的な企業に限定されていたと思います。
では、東京がグローバリゼーションに成功してきたのかとなれば、
これもバブルとともに終焉し、
今や、東京が国際的なローカル都市になりつつあるのです。
まして、地方都市にグローバル化の政策は無いにも等しい。
グローバリゼーション
私は、グローバリゼーションとは、観光都市になることでもないのです。
端的には、グローバリズムの中心が何かを突き止めることであり、
それは、経済至上主義の流動性でしかないのではないかと思います。
何がグローバリズムかは、世界全体が見失っていると判断します。
だからこそ、グローバリゼーション・グローバリズムへの国策は、
産業経済、景気循環、これらの流動性=虚構性そのものを、
情報空間とあらゆる領域での「ホスト国」・「ホスト地方都市」、
その条件整備をデザイン=策略化の創出、
この制度的機関すら整備されていないという問題が明白となってしまっているのです。
一極集中していったことで、東京そのものがローカル都市化を引き込んでいます。


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10月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 30th, 2010  Posted 10:00 AM

10月30日 先勝(癸丑)

自分が正常だと確信できるのは、
自分のデザインが
ようやく製品開発から
商品化になるときである。

この形態は
やっぱり美しいなー!と
思えた時である。
幸運な時を持つことが出来る。

『デザインは言語道断』倒錯


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『資本主義からの逃走』
  「あらためて情報と空間・デザイン資産として」


   


     10月 28th, 2010  Posted 12:00 AM

情報という資産
デザインと情報の組み合わせに言及しました。
それは、資本論が登場した時代に資本として、
まったく存在しなかった言葉の「情報」・「空間」という概念が、
今では重要な資本財だからです。
情報という資産は、人・物・金の動勢についての諜報性はありました。
それは、やがて金融資本という要因財の動因情勢に関わりはじめました。
当然、戦争による資本流動は、戦争要因となるイデオロギーと結びつき、
資本論は本来、マルクスやエンゲルスが意図しなかったイデオロギー書となってしまったことです。
私は、資本論は確かに資本主義というイデオロギーや政治経済の基本的なある種の思想書、
そして、経済システムを論理的に示したテキストということは認めています。
しかし、現代はこの資本論で、資本とされた物事に対して、
新たな資本が加わっていることを重大視しています。
資本としての情報・空間・デザイン
それが、情報・空間・デザインだと考えます。
情報という資本が時代空間・地球空間との関係=構造化があります。
この場合の空間は環境と呼び直してもいいかもしれません。
そして、この「情報」・対・「空間(環境)」を、
制御しさらにこの構造化を創出する実務的な営為をデザインと位置づけているのです。
私が「情報空間」といまさらながらこの言葉と概念に拘っているのは、
デザイン対象である資本財だからです。
そしてなおかつ、「デザイン」も資本財であることを主張する上で、
四つのデザイン領域を実務基本学・基本論としています。


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9月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 22nd, 2010  Posted 10:00 AM

9月22日 仏滅(乙亥)

美しい結末とは、自分の死である。

ユニバーサルデザインとは、
福祉的なモノや共用できるモノの
デザインでは決して無い。

自分の死を主観から客観へと
知行合一できうるように
支援するためのデザイン思想であり、
その思想を反映させ、
具体化したモノの体系であることなのだ。

『デザインは言語道断』知行


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9月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 20th, 2010  Posted 10:00 AM

9月20日 友引(癸酉)

問題はデザイナーであるだけに、
「美しいモノのデザイン」を
求められた場合には、
なんとしても「これは美しいでしょ!」と
断言して説得しなければならない。

知識の羅列を披露したところでは、
ほとんど美しさの説明は不可能である。

『デザインは言語道断』知行


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9月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 3rd, 2010  Posted 9:29 PM

9月3日 先勝(丙辰)

好奇、すなわち”好きさ加減”を、
かつていにしえの時代には昇華させて
「数奇」の世界観へと展開させた。

自分と好奇対象との関係を、
好奇から数奇へと運び上げるメディアとして、
デザインという世界があることを
明言しておきたい。

『デザインは言語道断』好奇


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8月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 17th, 2010  Posted 9:30 AM

8月17日 友引(己亥)

いまだに
「デザイン」ということの意味性が、
「モノのかっこうよさを造形化する職能」
程度と思われていることから、
なんとしても脱却したい。

これが講演をする大きな動機であり、
意欲の革新でもある。

『デザインは言語道断』面罵


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8月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 2nd, 2010  Posted 7:54 PM

8月02日 先負(甲申)

デザインへの制限なき
アプローチには、
必ず根底に理論と感性をどのように
配置していくかということがある。

『デザインは言語道断』制限


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