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Posts Tagged ‘キューバ危機’


「『まさか』『ふだん』、だからこの寄附講座開設の動機です」


   


     9月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

昨日朝に大阪市880万人に非難訓練の速報がスマホに鳴りました。
正直、びっくりしました。
私は今春大学を退任後、3.11でのやり残しもあって残っています。
「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
危機管理学は、
1960年のキューバ危機後に、国際関係論の学域に提示されました。
ところが、私たち日本人は、東日本大震災大津波という天災と、
原発事故という人災によって、大変な「国難」にあります。
この天災=ふだん、という事態と、
人災=まさか、ということを実体験してしまいました。
以来、私のほぼ最終時期に入って、デザイン活動の中心を、
ふだん=CRISISとまさか=RISKに対して、
これまでの危機管理学を危機管理デザイン工学とすべく、
国内の論文で学域設定を行い、超党派での政治への提案事項を
エネルギーをかけて取り組んできました。
私は、なぜ、この国難を自分の生涯で体験したのだろう、と
随分と考え込まざるをえませんでした。
結論は、この事態にこそ、「デザイン」による、
机上の論理と化している制度設計の不備だらけを正し、
危機管理学を形態設計によって産業の創成に向かわせること、と
新たな学域と実務手法を明確にしました。
それは、これまでの大学機関のあり方の一新を取り込みます。
私自身、美術系大学で学び、芸術工学という学域で、
これまでのデザイン対象を拡大してきました。
そうして、デザイン対象領域を拡大するには、
さらに大きな大学院領域での活動を7年間してきました。
その大学人が終わる寸前に、
「ふだん」=CRISISと「まさか」=RISKという事態に
私自身がこの小さな日本列島で対峙しています。
ようやく、来10月から本格的な「デザイン講座」を基幹にして、
「デザイン」実務ゆえの具現化実現に向かわせる覚悟です。


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「『危機』・ことばの定義について」


   


     8月 16th, 2013  Posted 1:20 AM

終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。


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「あらたな『危機管理』だが・・・困難か」


   


     4月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

朝一のニュースで、やはり・・・と思いました。
世界5大マラソンで、ほぼプロたちのマラソン大会といわれる、
「ボストン・マラソン」が狙われて、
これはテロリズムだと思いました。
最近、大学の文系で「危機管理学」の受講生が多いと、
その講義を担当した期間限定の教授経験者から聞いたところでした。
ボストンは、米国で、私が一番長く過ごした経験の街です。
ハーバード大やMITがあり、
コンピューター・ミュージアムは当時大好きな資料館でした。
「ユニバーサルデザイン」を米国に定着させた本部もありました。
その街が誇るマラソン大会がテロリストに狙われ、
実行されてしまったようです。
「危機管理学」は、
1990年代に学域になった新しい学問です。
1960年代のキューバ危機
1970年代の地球環境の存続問題
1980年代の国際的な経済格差による貧富の発生
1990年代の旧ソ連の崩壊が、
この学問の決め手になったようです。
したがって、現代の「危機管理学」は、
国家の安全保障と、組織、企業から個人の危機管理までが、
その学域対象になりました。
つまり、「人間は常に命を脅かされる最悪の状態」にある、
この意識を認識しその状態から、
安心と安全になれる日常的な準備体制までを対象にしています。
米国で9.11によるアルカイダのテロリズムが、
全世界を震撼させて以来は、
さらに世界的には「テロリズム」という、
あらたな戦争体制に晒されています。
それが、昨日の朝、目覚めるといきなりこのニュースは、
全世界を混乱に落とし入れたのです。
私は、この4月から大阪大学大学院に、
危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
インターン学生の選抜での個人面接をしながら、
テロリズムを完全防止するモノ、そのモノを生産する産業化も、
「危機管理デザイン工学」の対象になると考えています。
しかし人類とは、
なぜもこうして「他の人々の命を最悪の状況」にするのだろうか、
その根本的な哲学が必務だと確信しています。
ボストンマラソンのこの大事件が、
本当にテロリズムかどうかは不明にされていますが、
私は、新たなテロリズムで、
マラソンという平和な人類の文化資産を壊すことは許せません。


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