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「光景の中の闇への抵抗」


   


     8月 15th, 2011  Posted 1:24 AM

人にはそれぞれの時間。
いわば賞味期限のように、
生命時間が誰かが決めているようです。
神が決めているらしいようです。
私が28歳で車倚子になったとき、
「君はあと平均で40歳まで」されました。
その医師は医師ではないと思っています。
そんなこと言うか・・・「怒り」いっぱいでした。
こんなドクターには何人か出会ってきました。
本来は医師という天職につくべき人間ではありません。
性根が暗くて医師免許があっても「ヤブ」な医者です。
大学医学部で講義を持つときには、
天職としての医師資格について語る事例にしています。
車倚子生活を告げられた時にも平常心で受け止め、
たかだか車倚子、歩けない、それがどうした、とすら
思えるほど私は冷静でしたが、
40歳までという宣告にはその医師に以後反抗しました。
ところが、気がついたときはすでに40歳になり、
そのときには憧れだった「毎日デザイン賞」を受賞。
以後、すでに22年生き延びています。
親友や級友やその奥様などが逝ってしまいました。
今では父母も叔父叔母、伯父伯母も居なくなりました。
だから、私の周辺でそのような事態が発生すると、
正直うろたえます。
人間の絶対時間を想い知らされます。
ただし絶対時間が「闇」世界につながってはいません。
これは私が絶対時間切れかもしれない三度の体験です。
私が、この世に戻ってくるときは、
必ずベッドの周りから大きな声が聞こえてきました。
医師・看護師のみなさんが声をかけてくれました。
正直もう眠くて、とても快感の中にいる自分、
それなのにその声で起こされると、
嘔吐・寒気・悪寒・発熱・気絶という苦しみがあります。
だから、私はこの世にいる時間そのものが、
本当は「苦しい時間」なのだと思います。
きっと、赤子として生まれ出る時には、
この世に出たくないと思って泣き叫ぶのでしょう。
私は、光景というのは生死の景観であり、
光と影では、必ずしも影世界が「闇」だと思いません。
むしろ、「闇」は、生きている人間が携えている、
とてつもなく抵抗しがたい世界観だと考えています。
まさに、「死に至る病」=絶望=闇なのでしょう。
だから、希望に自分を差し向ける苦しみが、
絶対時間の中で何度でも体験しても、
耐え抜ける力が「希望」だと思っている次第です。

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